33ホテル
かおりは運ばれてきた料理を見て、
「……あっ!あってた!……これも。あの時と同じだ!」
嬉しそうにはしゃいでいた。
「思ってたのと同じだったの?」
「うん!」
「一つ一つ、僕に説明してくれる?」
「はい」
かおりは、自分のお皿に乗っている食材一つ一つの名前をフランス語で言って、これはあまり日本にないとか、これは日本にもあるけどフランスのものとはちょっと違う、美味しいけどフランスのはもうちょっと何かが違うらしいとか、これはもともと日本にあったけど自分が食べたことがないだけだったとか、話した。
「それで?最後にガトーショコラを食べたいのは何故?」
「えっ?……あ、……言っちゃったんだっけ……」
「僕には言って。なあに?」
「……先生が前に、甘えてほしいって。……教授も、シンイチにもっともっと甘えなさいって。……でも、それが……どういうことかがわからなくて」
「具体的にどうするか?」
「……はい……それで」
「それで?」
「前にしてもらってうれしかったことを、もう一度してって、お願いして、……みよう、かと……」
「ん?よく聞こえなかった。もう一度教えて?」
「……言わないつもり、だったのに」
「よくわかったよ。ガトーショコラの後にホテルね?」
かおりは真っ赤になってしまった。かわいすぎる。あのプロポーズの日のことか。よく覚えているよ。
僕のコーヒーと、かおりのガトーショコラが運ばれてきた。
かおりは必要以上に僕に見つめられて、かわいそうなほど震えていた。フォークを落として音を立ててしまったし、ケーキを口許に持っていっても口が開いていなかったり、かと思うと開けた口よりケーキが大きくて、ケーキが落ちてしまったりして、それはそれは緊張していた。
「ふふっ、ごめん。かおりがかわいくて、つい。ちょっと視線外していてあげるから、しっかり食べて、僕のためにもっとふっくらグラマーになってみて」
「え、……そんな……」
僕はそんなかおりを想像するために、頭を下げて目を閉じた。
しばらくして、
「……おいしかった。……ごちそうさまでした」
という声がした。
僕は視線をかおりに戻すと……。
かおりが大人っぽい顔をしていた。さっきまで子供みたいだったのに。女の子って……何でそう表情が変わるんだ。これは無自覚じゃない、ちゃんとかおりが僕を男として意識しているということだ。でも、誘っているという程ではない。
空港を出て、家に向かう間にある、予約をしなくてもすむホテルの駐車場に車を入れた。
「……あの、……ここは?」
「ここもホテル。お父さんには内緒ね」
夜景が綺麗な部屋のホテルとは違い、部屋に入ると窓がなく、真っ暗な中に不思議な色の間接照明がついていた。
毎朝5時に起きて勉強しているかおりには、異国の深夜みたいな雰囲気だろう。まだ全然そんな時間ではない。食事をしたのは夕方だ。
「大丈夫。キスだけ」
僕は先に入り、ベッドの中央に座ってかおりを手招きした。
かおりは部屋に一歩入ったままの位置で止まっていた。戸惑っているみたいだった。怖がらせたか。僕は我慢できるからいいけど。
僕はベッドから降りて、入り口に近いソファーに場所を変え、かおりにおいでおいでをした。かおりは歩いて来て隣に座った。
ソファーはそんなに大きくないのに、僕と少し離れて座った。わかりやすいな。
「大丈夫。キスだけ。かおりが怖いならここではキスもしない」
そう言うと、明らかに安心した顔になった。
僕はかおりの手を握った。
「かおり、聞いて?」
僕はできるだけ優しく言った。
「僕は、かおりのことが好きだから、かおりが怖がることはしない。でも、他の男はそうじゃない。かおりが昨日、お友達とご飯を食べようとしていたね。知っている男はいたの?」
「……いなかった」
「そうかなと思った。マヤちゃんのお友達かもしれないけど」
「マヤちゃんの彼がいたの。でも、マヤちゃんの彼と私はまだお友達じゃない。他の男の子も」
「そうだね。それでその男たちは、僕と同じようにかおりに優しくすると思う?」
「……先生も優しくない時があったけど……」
「そうだね。それはごめん」
「今のは、私が優しくありませんでした。ごめんなさい」
かおりはソファーの距離を詰めて僕の頬にキスをした。お利口な犬みたいだな。
「ありがとう。じゃ、続きね。まだかおりのことをよく知らない男は、女の子をこういうところに連れてきたがります。男にとって、大切な大切な女の子でなければ、それは簡単なことです。女の子がいやって言っても、やめてって言っても、泣いても、全く効き目はありません」
「……そういえば、断りましょうって」
「断っても無駄です。女の子は男の力には絶対に勝てません。僕は昨日、かおりがそんなことになってしまうかもしれないって心配したこと、わかってくれた?」
「え?……あ……」
「わかってくれたならいい。何もなくてよかった。僕が行かなくても何もなかったかもしれない。でも、例えかおりが僕に助けを求めたくても、いつでも僕が必ず助けてあげられるわけではない。僕はそれが、それがとても……怖かったんだ」
「……先生……」
「『自分を大切にする』っていうのは、『自分を大切にしてくれる人を大切にする』のと同じです。僕もかおりも同じ。僕は、かおりがとても大切だ」
「……同じこと、居残りでも言われた」
「何の居残りだったの?」
「……保健体育……」
「なるほど。高等部で成績トップのお嬢様が、何が出来なくて居残りだったのか、心配したよ。これからは僕が補習するから大丈夫」
「ありがとうございます。保健の先生からは、私のことが心配だから、わからないことがあったら、大学生になっても結婚しても来なさいって。私はこの科目がすごく苦手なんですね……」
「その通りです。マヤちゃんは大丈夫だったでしょ?」
「はい。居残りは私一人でした。マヤちゃんは、私の何がわかっていないか、わかってるみたいでした。だから、私、何を予習したらいいかわからなくて」
「予習?」
「先生が前に、『キスから先は結婚するまでしないから予習しておいて』って」
「あぁ。……わかった。かおりがこんなに苦手だと思わなかったから、ゆっくり教えないとね。もう予習はしなくていい。結婚してから僕が少しずつ教えることにする。それでどう?」
「ありがとう、先生。大好き」
「僕の名前は?」
「……しんいち、さん」
「大好きだよ、かおり。だから、お友達に僕と結婚することを報告して。確かに僕はかおりの彼氏じゃない。両家に認められた婚約者だ。もちろん、かおりも僕の大切な婚約者だ。僕に心配されるようなことも、疑われるようなこともいけないよ。それから、保健の先生にも何でも相談していいからね。赤ちゃんができることも、予習したかったらどうぞ」
「……赤ちゃん?」
「結婚したら、僕とかおりの赤ちゃんができる可能性があります。……ほしかったら」
「しんいちさんみたいな男の子がほしいです。」
な、何だって…………。
今度は僕の顔が赤くなりそうだ。やられたよ、かおり。油断した。
「帰ろう」
僕は立ち上がった。




