29どうしたらいいかわからない
コンクール主催者と打ち合わせに行った日。
かおりには、たまにはお友達と遊んでおいでと伝えておいた。
もう夜になった。今日は何をしていたのだろうか。もう帰ってきたのだろうか。今日は車を使わなかったので、電車の中からメールしてみた。
「未来の仕事をしてきたよ。かおりは何してる?」
「これからマヤちゃんたちとごはんにいきます」
すぐに返信があった。これからだなんて、遅い時間だな。高校生だし、あの子たちにしても珍しいんじゃないだろうか。
「これから? どこのお店?」
「新宿の『やきとりやさん』ていうお店だそうです」
チェーンの居酒屋じゃないか。こんな時間からなんておかしい。
新宿は……車内から外の景色を見るとさっき過ぎたばかりだと判った。戻ろう。
僕はすぐに電車を降りて、メールしながら新宿に引き返した。
「マヤちゃんの他にはだれと一緒なの?」
「私とマヤちゃんと、あと8人。違う学校の子もいるみたい」
それはもう、違う目的の飲み会としか思えない。高校生だし居酒屋はまずい。僕だって滅多にいかないのに、かおりは慣れていない。何より、行かせたくない。
新宿に着いた。『やきとりやさん』まで走って行って店内を覗いてみた。女子高生くらいの女の子10人はどこだ……。こっちにはいない……。店内は予想外に広かった。……あそこは男女5人ずつの10人だ。あ、そこにマヤちゃんとかおりがいる。かおりはこれが何だかわかっているのだろうか。
僕はお店の人に頼んで、マヤちゃんを呼んでもらった。マヤちゃんは不思議そうな顔をしながらも、お店の人と一緒にこちらに来てくれた。
「マヤちゃん。こんばんは」
「あっ、槇さん! ……こんばんは」
「これは何? かおりは意味わかってる?」
「すみません、わかってません。今日は珍しく一緒に遊べるって言われて、誘っちゃいました」
「ごめんね、お酒も飲ませたくない。かおりを連れて帰っていいかな?」
「もちろんです。呼んできます」
「待って。僕たち結婚するんだけど、かおりはマヤちゃんに話していない?」
「えっ! 本当ですか? 知らなかったです。ごめんなさい。かおりは彼氏いないって言ってたので、先生は他に彼女さんがいらっしゃるんだろうと思ってました。本当に本当にごめんなさい!」
「いいよ、かおりも結婚するの初めてで慣れていないから。かおりの分のごはん代、これで足りるかな、マヤちゃんが幹事?」
「はい、すみません。かおりを呼んできます」
「ありがとう。マヤちゃん、飲みすぎないようにね」
「見逃してくださ~い!」
やれやれ。
今度はかおりが不思議そうにやってきた。僕は黙ってかおりの手を引いて外に出た。
「……せん、せい? ……まって……いたい………」
同じ新宿の、ホテルの高層階にあるバーに連れて行った。悪いけど、綺麗な夜景を見せてかおりを可愛がるためではなく、自分が酔いたいだけだった。
かおりは表情をよく読もうとする。今、僕が普通じゃないことに不安を感じているだろう。幸い、今日は車じゃないから飲める。かおりを家に帰さないといけないから、酔わないうちに携帯のアラームをかけた。かおりにはソフトドリンクと軽食を注文し、僕は……教授にやめろと言われたことのある強めの酒を頼んだ。
かおりといても、こんなに沈黙が苦しいことはなかった。
少し時間が経ったが、アラームくらいでは、今日は無理だと感じた。万が一僕がまずいことにならないよう、かおりのために、門下の後輩の高橋を電話で呼び出した。
「高橋? ごめん、頼みがある。こっちに来てくれないか……そう、新宿の……そう、悪いな」
教授と高橋と、ここで何回か飲んだことがある。僕が最悪どうなるかも知っているのに来てくれた。申し訳ないが、かおりのためだ。
関西から東京に出てきて一人暮らしの高橋の家はここから近い。僕の家も知っている。
「槇先輩、藤原さん、こんばんは」
「悪い、高橋。まだ酔ってないから今のうちに言うけど、今日付き合ってもらうか、今かおりを連れて帰るか、どっちかお願いしたいんだけど」
「わかりました。槇先輩お一人を残して失礼するのは気が引けますが、藤原さんをお送りします。藤原さん、行きましょう。今日は僕がお送りします」
「……え?……先生……帰らないの?」
「ごめん。今日はかおりに優しくできない」
「藤原さん、行きましょう」
「まって……え……先生……」
高橋に促されてバーの入り口へと向かされていたかおりが戻ってきて、僕の頬にキスをしたがった。バーの椅子は座面が高い。190センチちょっとの僕が座っていても、立っている高さとさほど変わらなかった。かおりは僕の横に立って、すがるように懸命に背伸びをした。
ごめん。
かおりが仲直りを求めたのはわかっていた。僕は避けることもせず、目を閉じてかおりのされるがままになった。もしケンカして仲直りする時は、頬にキスをすると決めたことも覚えている。なのに僕は、それを拒否した。
かおりを許せなかったわけではない。かおりがわかっていないことに対してどうしたらいいのかがわからなかったのだ。
一生懸命に体を伸ばして、頬に何度キスをしても僕の表情と冷たさが変わらないことを悟ったかおりは、その場で泣き出してしまった。僕も泣きたかった。
「槇先輩、これ以上はお引き受けできかねます」
「そうだな、悪かった。僕が自重するよ」
「お役に立てず、申し訳ありません」
中途半端に酔った状態で、かおりと外に出た。かおりをきつく抱きしめて、めちゃくちゃにしたい気もしたし、一人で酔って何も考えられないようになりたい気もしたし、かおりを一歩も外に出さずに家に置いておきたい気もした。
そこで、ハッとした。かおりのお母さんは外に出ないでずっと家にいる……。
僕は、かおりのお父さんに会いたくなった。今のこの気持ち、かおりのお父さんはわかってくれるだろうか。
僕はかおりと共に新宿からタクシーに乗り、かおりの家に向かった。僕はタクシーの中で、かおりの手も握らず、反対側の窓の外を向いていた。
ショックでどうしたらいいかわからなかったし、かおりに優しくできない自分も許せなかった。




