表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君が奏でる部屋  作者: 槇 慎一


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/148

18夕暮れの海



 暗くなるのが早くなった。

 車で海についた時には、もう夕方だった。


 かおりはそんなに暖かい格好ではなかったから、砂浜に出る時に僕の冬のコートをかおりに着せた。


 砂浜は人がほとんどいなくて、波の音が大きく聞こえた。風に吹かれては揺れて、広がるかおりの髪、髪の動きによって見え隠れするかおりの表情を、手を繋いでゆっくり歩きながら堪能した。


「……先生、……しんいち、さん……」

「はい?」


 かおりは自分から直した。


「……あの、今日は、……うれしかった」

「まだ終わりにしないよ?」


「うん。でも、……ありがとう……」

「何が嬉しかった?」


 僕は、そんなに深い意味もなく訊ねてみた。


「……あの、先生が、かわいいって」

「そこ?」

「あの、車に乗る時に、先生が」


 なんだ、このちぐはぐな会話は。僕は、かおりに直接かわいいって伝えたことがなかったのだろうか。好きだとも伝えていなかったし。そうか、そんなに嬉しかったのか。


「かおりはかわいいよ。産まれた時からずっとかわいいって思っていた。ずっとずっと、かおりのこと、可愛がって育ててきた。かおりは、世界で一番かわいい」

 真面目にそう伝えた。

 かおりは驚いて、僕の手を離して後退りした。


 かおりは僕のことを、信じられない、という表情で止まっているように見える。そうか。かおりは自分がかわいいことも、僕がかわいいと思っていることも、わかっていなかったのか。


 僕はかおりの手を取った。

「まだ帰さないよ?」

「……うん。……まだいる。……まだお話してない」

「そうしよう。かおりの話、ゆっくり聞きたい」


 僕たちは、波が来ない砂の上に腰を下ろした。僕は、かおりに着せたコートのフードを被せ、さっき自動販売機で買った温かいコーヒーをかおりに持たせた。


「熱いよ。持てる? 寒くない?」

「うん。……では、お話します」

「お願いします」


 まるでかおりが先生みたいだ。でも、高等部の先生じゃなくて幼稚部の先生だな。僕は笑ってお願いした。まさかかおりが話題を用意してくれているなんて。


「……あのね、今日デートするのを、いろいろ、どうしようって、何から考えればいいかわからなくて、先生に聞こうかなと思ったんだけど、パパにも何でも聞いていいって、先生が言ってたから、パパに相談してみました」

「そうなんだ。パパに何て?」


「先生とデートするんだけどどうしようって言ったら、すごく喜んでくれて、とびきり可愛くしなきゃなって。次の日に、このお洋服を買ってきてくれたの」

「流石お父さん! 僕の好みをよくわかってる」


「それから、今日のメイクセットと、リップと、メイクの本も買ってきてくれたの」

「お父さん、最高!」


「それで、毎日メイクの練習をしました」

「とってもナチュラルで、上手に出来てた」


「それが、最初はつけすぎたり、うまくできなくてムラができたり、キレイにできなかったの。目の上につけるのは、目をつぶったら出来ないし、目をあけたらこわくてつけられないし」 

「頑張ったんだね」


「うん。毎日練習して、夕べパパに、メイクの仕上げを見てもらったら、とってもよくできたねって言って」

「それで?」


「泣いちゃったの」

「誰が?」


「パパが」




 僕は、いきなり後ろから頭を殴られたような衝撃を受けた。そうだ、当たり前だ。可愛い一人娘が、こんなに早く結婚することになるなんて。僕が、お父さんのかおりを奪ってしまうんだ。それなのにお父さんは、何のためらいもなく僕にかおりと結婚させてくれるって、笑顔でデートに送り出してくれて……。





 僕は声が出せなくなったけれど、かおりは続けた。


「久しぶりにパパが抱きしめてくれて。……あの、少し前まではほっぺにキスもしてくれていたけど、最近はなくて、あ、それはお友達のおうちもそうって、みんな言ってた」

「……うん……」


「パパに、先生は、パパが私を抱きしめたらいやかな?って聞いてみた。教授が私のことをぎゅうってしたり、たくさんほっぺにキスをするんだけど、抱きしめられていて逃げられないの。でも、その後いつも先生が私に冷たいような気がして、どうしたらいいかわからなかったって言ったの」

「……うん……」


「パパは、外国人の男性は女の人にはみんなそうするもので、それが挨拶と同じなんだって。先生もそのことはわかっているよって。それでも、先生は私のことが好きだから、本当はあまりうれしくないんだって。でも、どうしようもないんだって。それで、そんな時にいつものようにかおりに優しく接するのは、先生はまだ若いから難しいんだろうって。……そう、なの?」

「……お父さんのいう通りだよ」


「……ごめんなさい……」

「かおりが謝ることじゃない。僕が未熟で、かおりに悲しい思いをさせて、悪かった」


「ううん、もうわかったから、大丈夫」



 僕は、少し安心した。


「先生も、私に、そういう気持ち、お話して?」

 僕は笑ってしまった。そんな嫉妬したことなんか、かおりに言えるわけがない。


「笑ってごめん。言いたくないこともある。僕はかおりに何もかも、言えないんだ」

「……そう、なんだ」


「お父さんは?それから何て?」

 僕は話を逸らした。


「パパは、これからも困ったことがあったらパパに頼っていいけれど、これからは先生にお話するようにって。先生は私のことを愛してるから、かおりも先生の想いに応えなさいって。それが、甘えてほしいっていうことだよって。今までも、先生が私にたくさんピアノを教えてくれたこと、私がそれについていったことが、どちらかだけではダメで、二人の気持ちが同じだから、とっても尊いことだよって。……先生?」



 もう、堪えきれなくて、僕は泣いていた。



 かおりが、いつの間にか僕の前に来て、膝をついて、僕の頬にキスをした。



「……仲直りの方法は、これでいいですか?」

「……そうだね。……ケンカしていないけどね」


「でも、今……私が先生を泣かせてしまいました。……ごめんなさい」

「……いや、……これは……」


「……でも、……」

「でも、なあに?」


「先生が座っていてくれないと、私からはできないのが問題」



 笑ってしまった。そうだな。届かないだろう。


 だめだ、可愛い。

 帰りたくなくなる。

 帰したくなくなる。


 もうすっかり暗くなった。


「そろそろ帰ろう」

「えっ?まだ話は終わっていません。まだ全然!」


「あとは?」

「私が産まれた日のことから、うれしかったこととかを、順番に……お話しようかと」


 僕は笑った。そんなに話してくれるつもりだったのか。確かに僕は、かおりと話をしたいと言った。覚えていてくれたんだ。


 僕は笑いながら立ち上がり、砂をはらった。


「うれしいね。でも、車の中で聞くよ。もう夜だ。ここでかおりの17年分の話を聞いていたら来年になりそうだ」

「じゃあ、あとここで、キスして……」



 耳を疑った。


 今、かおりは、何て言った? 


 僕に……。


 おとなしくて、ほとんど自己主張のしないかおりが……。


 立ち上がった僕を、下からまっすぐ見上げてはっきりと言った。



 僕は、手を差し出してかおりを引き上げて立たせた。風で冷たくなったかおりの顔を両手で包み、優しく重ねるだけのキスをした。


 唇を離してから、

「一年前の『献呈』の時と同じ気持ちだよ。それより、もっと好きだ」

と伝えた。


「……先生は、あの時、ありがとうって。何に、ありがとう、だったの?」 

「覚えてるよ。かおりが僕のピアノを聴いてくれたこと。綺麗って言ってくれたこと。うれしかったんだ。あの時はまだ、好きだって伝えてなかったね。すごく好きだったけど、僕がピアノで一位を獲るまでは、それからかおりをピアノで一人前にするまでは、って思ってた」


「……今日の『献呈』……」

「どうだった?」


「……今までで、一番、素敵でした」 

「こちらこそ、素敵な一日をありがとう」


 暗くなった砂浜を、手を繋いで車に戻った。


 風は冷たかったが、不思議と寒さは感じなかった。かおりに持たせたコーヒーも、冷たくなっていただろう。


 かおりは繋いだ手の反対の手で、しっかり持っていた。


















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ