15エンゲージリング
デートの本番の日がやってきた。
僕たちはデートと約束してデートに行くのは初めてだから、初デートとでも言うのだろうか。
それにしても、かおりに「デートって何をするの?」と聞かれた時には、そんな野暮なことを僕に聞いてくるなんて……と思ったけれど、かおりには「野暮」もわからないような気がした。お友達に聞いてもらえば、いろいろな心の準備ができるかもしれない。かおりは予習してあると自分で安心みたいだし。場合によっては、僕が想像するより積極的な展開になるかもしれない。いや、それは期待しないでおこう。
かおりにはまだ秘密にしているけれど、今日は婚約指輪を買いに行くつもりだ。だから僕はスーツを着ていく。スーツに埃がついていないか、部屋の鏡で確認した。少し癖のある髪も、出来るだけ自然に見えるよう、空気を含ませて軽く整えた。改めてかおりにプロポーズするつもりだ。
後で海に行くから、普段着の着替えも靴も、車に置いてある。僕が運転する車にかおりを乗せるのは幸せだ。忙しかったが、免許を取ってよかった。
玄関に行こうとしたら、珍しく父がリビングにいた。
僕のことを一目見て、
「なんだ? プロポーズか?」
と言った。かおりと出かけることすら伝えていないのに、何でそんなに勘がいいんだ……。
僕は返事に困った。
「図星か。それなら特別にこっちの車を貸すよ」
父の一番お気に入りの車のキーを貸してくれた。いつもは貸してくれない、その車の名前は知らないけど格好いい車だ。
僕は観念した。
「ありがとう。かおりのお父さんには了承もらってるから。いろいろよろしくお願いします」
「大学院も留学もしないまま音大講師か。やれるだけやってみなさい」
「はい」
もうすぐ12月。外は寒い。
駐車場から車を出して、それからかおりを迎えに行った。
いつもは勝手に入るかおりの家。今日は時間ぴったりにチャイムを鳴らした。そもそも、時間を決めて待ち合わせしたこともなかった。
しばらくして、かおりとお父さんが出てきた。……いつもより可愛く見える。何だろう。
「先生、こんにちは」
「やあ、慎一くん、ありがとう。いってらっしゃい」
「行ってきます、パパ」
「ありがとうございます。行ってきます」
かおりのお父さんに笑顔で見送られるのは、嬉しかった。
外に出ると、父親の車にかおりは驚いていた。
「……いつもの車と違う。……これも素敵」
「かおりもいつも可愛いけど、今日は特別可愛い。どうぞ」
「……ありがとう……」
「海に行く前に、いくつか寄り道していいかな」
「はい」
まず、区役所に行って婚姻届をもらった。
「後でゆっくり、一緒に書こう」
「……はい」
それから、区役所の駐車場で車を発進させる時に、婚約指輪の薄い冊子を出してかおりに渡した。
「何でも好きなものを、ってわけにはいかないけどプレゼントするから。心の準備をしておいて」
「……先生……」
「僕の名前は?」
「……しんいち、さん……」
「なあに?」
「ありがとう」
かおりは下を向いて、小さな声で返事をした。可愛かった。
都内にある、若い女性に人気と評判のブランドショップに連れていった。事前に予約してあり、僕の予算と雰囲気と好みの感じを伝えて、値札を外しておいてもらってある。かおりが気に入るものがあるといいな。
明るい店内の、上のフロアに案内してもらった。奥まったコーナーで、他のお客様からは見えないように配置されている。僕が伝えた内容のものを出してもらった。かおりは何も言わなかったけど、幸せそうな表情に見えて、何度も何度も僕を見た。僕はその度にかおりを見て、安心させるように微笑んでみせた。
「かおりが気に入ったのはある? 何かつけてみて」
かおりがおそるおそる手に取ったのは、僕が一番最初にいいなと思ったものだった。つけてみると、ぴったりだった。
「……これがいいです」
よかった。
「お願いします」
僕は店員に伝えた。ピアノを弾くときには外して失くさないように、チェーンもつけてもらった。綺麗な箱に入れてもらった。
僕は、自分がやるべき大切なことが一つ叶えられた気がした。
どうかこの指輪が、かおりの日々の心配や不安を少しでもなくし、幸せに繋がりますように。




