112 僕の両親4
一階の部屋に荷物を置いて、るり子と一緒に二階の藤原さんの家に行った。
藤原さんが出てきた。俺達を見て目を細めた。こういう時だけ、ちょっと父親か叔父さんに見られているような気がする。藤原さんは年齢で言えば十違うだけなのに。
「ありがとうございます。婚姻届を出してきました。改めて、よろしくお願いします」
俺は頭を下げた。るり子も俺に倣った。藤原さんは奥さんを呼んだ。
おとなしい悦子さんが、見たことのないような笑顔でるり子に「おめでとう」と言った。可愛らしい。俺にも小さい声で言った。大変可愛らしい。るり子の妹みたいだ。まてよ、るり子と同級生なら悦子さんも俺より五つ年上なのか?信じられないな。まぁ、子供には見えないが。
藤原家のリビングに通された。るり子は何回か来た事があるらしいが、俺は初めてだ。やはり間取りが同じだ。今の俺達の部屋とほぼ同じであまり余計な物がなく、綺麗というよりは使っていない感じさえした。おいおい、ここに何年住んでいるんだ?
藤原さんがコーヒーを出してくれた。
「槇君に言ってなかったと思うけど、僕が悦子と出逢ってからるり子さんには相当お世話になったから、本当に嬉しいよ。るり子さん、その節はありがとう。感謝してる」
「いえ、そんな」
るり子が思い出してはにかんだ。
「そうなんですか、知らなかった」
俺は聞いていなかった。
「丁度、悦子が大学を卒業する頃だったから……」
藤原さんがそこまで言いかけて口をつぐんだ。
悦子さんが顔を覆って震えだしたのだ。
「悦子、ごめん。向こうに行こう。ちょっと失礼」
藤原さんは悦子さんを連れてリビングを出た。るり子も何も言わなかった。何だ?
しばらくして、藤原さんだけが戻ってきた。
「すまないね。僕は女性の扱いがまだまだだ」
口元は笑っていたが、悲しそうな目をしていた。
「悦子とは、彼女が大学四年の時に美術館で会ったんだ。夕方、悦子は美術館の外で男に怖い想いをさせられて……。その少し前まで、僕も同じ作品を長いこと見ていて、気になっていたのに……。とても『助けた』とは言えない。美術館の中で勇気を出して声を掛けていればと、今でも後悔している。るり子さんが迎えにきてくれたから、安心して家に帰すことができた。三人で何回か会って、それから悦子が卒業した時に結婚したんだ。るり子さんの卒業演奏会の日だった。卒業生代表だったし……あの時の演奏も良かったな」
「そうだったんですか」
明るくて朗らかな藤原さんの辛い過去を聞いてしまった。しかし悦子さんのあの様子では、まだ……。
「悦子共々、こちらこそよろしく。るり子さんが近くにいてくれるのは、僕も本当に嬉しいよ。槇君はとてもいい仕事をしてくれてね、今は業績もいい。有望だからあまり早く帰してあげられないけど、悪いね」
藤原さんは明るく言った。いつもの仕事の顔でもあった。
「いえ、大丈夫です。また来てもいいですか?」
「もちろんだよ。ただ、こちらからは『新婚家庭』にはあまり行かないように言うから、るり子さんから来てくれるかな?僕の留守中でも気にしないで、全く構わないから」
「はい」
るり子は不思議そうに、しかし返事をした。
俺達は家に帰った。
「俺達」という言葉も楽しい響きだ。
「『新婚家庭』だ。一緒に風呂に入ろう」
「ええっ?マキくん、そんなの恥ずかしい……」
「もう全部見たけど」
「ダメダメ!」
「しょうがないな。明るいところで見たかったのに……」
「絶対ダメ!」
口ではダメと言っているが、俺の我儘を許してくれる。
るり子が、俺にたくさん笑うようになった。
この広い社宅は廊下を一周して鬼ごっこができる。一階だし下には響かない。俺達はラフな格好でお互いを追いかけ回した。つかまえた体は、どこもかしこも俺のものだ。たくさんキスして、俺のことを覚えさせよう。
料理を作ってもらうのも楽しみだ。
いや、一緒に作るのも悪くない。
一生、楽しいことをしよう。
二人で。




