第三十七回:Y34
筆者が真剣に、セダンの衰退期を意識し始めた頃のモデル。最後のセドグロである。
日産が提携先であったルノー傘下に入ってカルロス・ゴーン氏を取締役社長として召喚した後、本格的にゴーン体制に入ってから開発された当時での新世代乗用車が徐々に市場に投入され始めた最初期のモデルである。その為、後のV系列のスカイライン、ティアナやフーガ等のニューネームと比較すると、その前世代までの日産車の影響をかなり引きずっているのがよく見て取れる。
例えば、4ドアハードトップドである事がまずその証左である。少なくとも筆者が記憶する限り、Y34生産終了以降、日産は2ドアクーペ以外でドアに窓枠がないハードトップモデルを生産していない。
次に、ヘッドライトやテールライトのユニット全体で、概算的に比較すると先代のY33の一部モデルとデザインや燈火類の配置方に多くの類似点を発見できる。やはりネームと共にそれまでのイメージも継承する以上、他の類に漏れずかなりの造形を33から受け継がざるを得なかったようである。この点が、実質的な後継車種とはいえ系譜としては全くセドグロと縁故のなかったフーガとは一線を画するところである。
最後に、小公子の名に相応しく、大人らしい落ち着いた雰囲気の紳士的なセドリック、対照的に男共を甘美に誘惑して情熱的に篭絡する戦闘的でスポーティーなグロリア。この半ば伝統的になった2車の印象がそのまま、否より明確に区分されて継がれている。
特にグロリアの進化は凄まじく、普通のHIDヘッドランプで赤色のテールレンズの極普通なセドリックとは対照的に、薄く墨黒に染められたヘッドライトのアウターレンズに潜むディスチャージ型プロジェクターランプ4灯、不気味に腰を据える横に細長い長方形の赤い反射パネルが却って良いアクセントになっている透明レンズカバーのクリアランスなLEDテールライトユニットを標準で装備していたりして、凄く官能的だった。
しかし、Y34は全く無条件に先代までの全部を受け取ったわけではない。やはり新世代の先陣を切っただけあって、些細な所で片鱗を見せていた。
第一に、フロント下部周り、フォグランプの形状だろう。先代までのセドグロは、Y31・32・33まで15年近く継承されていた、フォグランプとセットでウインカーも装備された一体型の物が長く主流だった。しかし34ではウインカーはヘッドライトユニット再外側のスモールの側に移され、バンパーカバーにはフォグランプだけが残される少し前までの流行りだったデザインへと変えられた。
次に内装のダッシュボード周辺だろう。32から33へと定型化されたようなドーム型メーターフードから、変則T型パネルによくある、メインセンターコンソールの助手席側まで覆われた平坦なフードに変更され、それに合わせるようにカーナビのモニターが覆いの中に収納するが如くセンターコンソール上に配置された。
内装といえば、興味深い事にY34では面白い所でセドリックとグロリアの差別化が図られている。センターコンソール下に配置されたゲート式のATのシフトレバーの軸部である。
セドリックは普通のステンレスの棒にシフトゲートが丸見えだったのに対し、グロリアではスポーツ性を意識したのか軸部からゲート全般まで内装色と同色のレザー素材でふっくらと覆われた仕様の物が採用されていた。特に一瞬スポーツMT車のそれかと見紛うグロリアのシフトゲートは、やんちゃそうな顔付きから、すっきりと平坦にリア周りを纏めた端正な尻を引き立てるクリア仕様のLEDテールライトと併せて雰囲気によくマッチしていたと思う。
ただ、過渡期で仕方がなかったという事情を考慮したにせよ、あの時代でもY34は少し古臭い車だった、と筆者は思う。どうせならマニュアルモードと言わないまでも、3速ATではなくオーバードライブモード付の4速ATを載せていれば、VQのツインターボに良く適応してもっと面白くなったのではないか……。
そう、筆者は考えているのだが、どうだろう?




