第三十六回:JZS170
系譜としては、ハードトップが無くなってセダンとなった初めてのクラウンで、且つ最後の1JZ系及び2JZ-GTEを積んだ最後の直6モデル。そしてカタログラインナップのグレード名のロイヤルがロイヤルサルーンに変わり、アスリートとハイブリッドとも加わって現行まで、否その次の新世代にも継承される三巴が確立された型である。
ロイヤルサルーンは、言うなれば今までのハードトップタイプだったロイヤルのセダンタイプへの置き換えに当たるグレード、もといやや上位互換に相当するモデルである。イメージカラーはバンパーやドア下等の車体下部にシャンパンゴールドメタリックのガーニッシュを添えたツートンカラー仕様のホワイト、3代目から続くクラウンの伝統的な印象色であり、『いつかはクラウン』というキャッチコピーを相変わらず想起させるモデルである。
タクシー等も含めた一般向けから、警察向けの各種パトカーに至るまでこの型のクラウンの中で一番受注の門戸が広かった分、他の2グレードに対する比較標準となるデフォルトなモデル。それがロイヤルサルーンに対する筆者の評価である。
デフォルトになるモデルだけあって、元々のロイヤルの性格を差し引いても、灰汁が少ない分その存在感は薄い。良い意味でも悪い意味でも『普通』という言葉がしっくりとくる。どんな景色でも上手く溶け込めてしまう薄白な陰のようである。2世代以上前の型になっても尚、覆面パトカーとして多くの高速道路で今でも多く目撃されるのも納得する。
対極的に、アスリートは色んな意味でぶっ飛んだクラウンである。スポーツタイプのクラウン。その今までならあまり考えられなかった新しいクラウンのスタイルを、トヨタは170系で初めて打ち出した。
今でこそクラウン・アスリートの存在は市井に受け入れられた感があるが、それでも170系のそれは何処か異様な存在感を放っている。
イメージカラーは濃いグレー掛かった燻銀のような渋いシルバーメタリック。3グレードの中で唯一ヘッドライトユニットが丸目4灯仕様で、且つフォグライトのレンズカバーが黄色く着色されていない特別な物となっている。
それだけではない。現行型でも受け継がれているが、フロントグリルは格子ではなく真っ黒なメッシュ、テールランプのブレーキランプ部の電球の周りが丸く切り抜かれている等、如何にもおっさんが考えそうな若々しいデザインを各所で採用している。
搭載エンジンは100系マーク兄弟や110系と同じ1JZ-GTEの2.5L。デフォルトで280馬力、限定モデルなら300馬力を誇るそれは、まさにアスリートの名に相応しい。
ハイブリッドに関しては特に何もない。正直ロイヤルサルーンにトヨタ独自のハイブリッドシステムを載せた、というだけのモデルだからである。本当に極細かい違いはあるものの、アスリートほど内外装に拘りを見せている訳ではない。180系以降のようにテールランプをLED仕様の全面クリアレンズにしている訳でもないので、評価としても控えめにせざるを得ない。
ただ、170系のハイブリッドを褒める部分があるとすれば、それまでエコロジーを叫びつつも大排気量で広い車内空間が良いとされていた高級車に、低排気量車にしか搭載されてなかったハイブリッドシステムを採用した走りとなった事だろうか……。当時は高級セダン初のガソリンと電気のハイブリッド車としてトヨタが大々的に宣伝を打っていたのを、筆者はよく覚えている。
クラウンの最近の変革と言えば、ゼロクラウンと銘打ってV型エンジンへ大幅な変更と若返りが加えられた180系が頭をもたげる諸氏が多かろう。筆者もそうである。
しかしながら、筆者はその前、則ち170系の時にはその前兆があったと考えている。ハイブリッドだとかメイングレードとしてのアスリートの誕生だとかそういうソフト面の話ではない。グレードに関係なく170系から180系に引き継がれた物は多くある。
その一つが、外装のサイド、前輪から後輪にかけてドアの窓のすぐ下を走る、二段状になった独特の出っ張りである。不思議な事に、車格が違うのにも関わらずあの出っ張りの形状は両車で一致する。2台とも、始まりがフロントオーバーハングの中程からボンネットのラインに沿ってCピラーまで流れてトランクの先で終端を迎えているのである。
インパネの雰囲気や機器ボタン類の配置も全体的に似ている。ただ、メーターフード内の計器の並び方及びデザインは、180だけ違う物が採用されているので、実際にはかなり差異を感じるようだ。
マジェスタになると、その類似性はもっと顕著な物になる。何処かマイバッハやキャデラック等の米国の高級車辺りを意識したテールランプのデザインや、ヘッドライト下にウインカーを置いたそれは、170系マジェスタから直に引きずられた物である事は明白であろう。
元々少々古臭いデザインである事も相まって、初期車がそろそろ15年選手に差し掛かろうとしている170系は、疾うの昔に新鮮味が失われた過去のものになりつつある。凡庸な車故に忘れ掛けている事も多かろう。しかし、筆者は170系を見る度に、180系へ至るクラウン並びにセダン復権と改革に東奔西走したトヨタの開発陣の試行錯誤に思いを馳せざるを得ないのである。




