第二十話:鉄錆の勲章、辰造の定年
第二十話:鉄錆の勲章、辰造の定年
昭和六十一年。
織田タワーが崩壊し、名古屋が「明智建設」の手によって再開発されてから、十余年の月日が流れた。
かつての反逆者たちは、今や日本を代表する建設集団へと成長していた。焼け野原だった熱田には、人の息遣いが聞こえる集合住宅が立ち並び、進が設計した建物は「壊れにくく、住む人に優しい」として、全国で評価されていた。
しかし、時の流れは残酷なまでに平等だ。
明智建設の「盾」として、数々の死線を潜り抜けてきた現場監督、辰造がその日、ついに一線を退く時が来た。
最後の現場
辰造が最後の日、自ら志願して向かった現場は、かつて自分が島田と共に収監されていた「名古屋刑務所」跡地の解体・公園化工事だった。
「辰さん、本当にいいんですか。今日は事務所で、みんなとのお別れパーティーの準備をしてるんですよ」
若手作業員の一人が、ヘルメットを被り直す辰造に声をかける。
辰造の顔には、この二十年でさらに深い皺が刻まれていた。酒を断ち、進と共に泥にまみれ続けた男の体は、今や全身が「土木の歴史」そのものだった。
「馬鹿野郎。俺は最後まで現場の人間だ。事務所でちやほやされるのは、進や健太だけで十分だよ」
辰造は愛用の、ボロボロになった安全靴の紐を締め直した。その足元には、かつて進から贈られた明智建設のロゴ入りの重機、そして長年連れ添った部下たちが、寂しそうな顔をして待っていた。
過去との対峙
刑務所の分厚いコンクリート壁を前に、辰造はふと足を止めた。
この壁の向こうで、自分は自暴自棄になり、人生を投げ出していた。そこに現れたのが、若き日の進だった。
「あのガキが、『あんたの力が必要だ』なんて生意気なことを言いやがってな……」
辰造は、最新型の解体用動力甲冑『明智・壱型』に乗り込むのをあえて拒んだ。代わりに、彼は一本の大きな「大ハンマー」を手に取った。
それは、明智建設がまだ廃工場の地下で蠢いていた頃、進が最初に作ってくれた、高周波振動モーターを内蔵した「特製ハンマー」だった。
「……最後の一撃は、こいつで行かせてもらう」
辰造は大きく息を吸い込み、刑務所の正門横の、最も強固な支柱へとハンマーを振り下ろした。
「おおおおおおおらぁぁぁ!」
ドォォォォォン!!
振動波がコンクリートを内側から粉砕し、白煙が上がる。
それは、辰造が自分自身の「過去の鎖」を打ち砕く音のようにも聞こえた。
弟分たちの訪問
作業が一段落した昼下がり。
現場に、一台の高級車が滑り込んできた。
中から現れたのは、明智建設の代表となった進、専務の健太、そして輸送部門のトップを担う正一だった。
「辰さん、何やってるんですか。みんな待ってますよ」
進が、かつてのように屈託のない笑顔で歩み寄る。
「進……。お前ら、わざわざこんな埃っぽいところまで」
「当たり前だろ、辰さん」
正一が、真っ赤なスポーツカーのボンネットに寄りかかりながら笑う。
「あんたがいない現場なんて、塩の入ってねぇ握り飯みたいなもんだ。俺たちのダンプを、誰が誘導するってんだよ」
健太も、最新のタブレット端末を脇に抱えながら、眼鏡の奥の目を細めた。
「辰さんの現場データは、僕のシステムの基幹になってる。引退しても、データの中ではずっと僕を監視し続けるんでしょ?」
辰造は照れ隠しに、泥のついた手で自分の頭を掻いた。
「へっ、口の減らねぇ野郎どもだ。俺がいなくなっても、この街の『基礎』を疎かにすんじゃねぇぞ」
鉄の魂を繋ぐ
夕暮れ時。
解体作業が終わり、刑務所の跡地からは、遠くに新しく再建された「名古屋の街並み」が夕日に輝いて見えた。
進は、辰造の隣に立ち、沈む太陽を見つめた。
「辰さん。あんたが俺の手を引いてくれたから、俺は『織田』を倒せた。あんたが盾になってくれたから、俺は『明智』を建てられた。……本当に、ありがとう」
進は、辰造のゴツゴツした手を両手で握りしめた。
「よせやい、進。俺はただ、お前の親父さんが愛した『土木』ってやつに、少しだけ惚れ直しただけだ」
辰造は、腰から下げていた「現場監督の笛」を外し、進の手にそっと置いた。
「これは、もう俺には重すぎる。次の世代の、威勢のいい奴に渡してやってくれ」
帰還、そして新しい門出
その夜、熱田の居酒屋で行われた定年祝賀会は、明智建設の全社員が集まる盛大なものになった。
かつての荒くれ者たちも、今は立派な技術者となり、辰造を囲んで涙ながらに杯を交わした。
会が終わり、一人夜道を歩く辰造。
ふと見上げると、かつて織田タワーがそびえ立っていた空には、今や美しい星空と、人々の暮らしを象徴する穏やかな明かりが広がっていた。
「……源造さん。あんたの息子、立派になったぜ」
辰造は空に向かって呟き、一歩、また一歩と、軽い足取りで歩き出した。
明日からは現場へ行く必要はない。だが、彼の耳には、今も心地よい鉄を叩く音と、進たちの叫び声が響いていた。
辰造、定年。
それは一人の英雄の終わりではなく、彼が守り抜いた「鉄の魂」が、次なる時代へと完全に継承された瞬間だった。
翌朝、明智建設の現場には、辰造の教えを胸に刻んだ若者たちが、これまで以上に力強くハンマーを振るう音が響き渡っていた。




