馬車
お昼を済ませて少し休憩した後、しばらく道を進んでいくと右手に見えていた森の木々が徐々に密度を減らしていく。
どこまでも広がる青空の下、なだらかな起伏の草原がずっと続いているが、向かう先である西の方には森が見えた。
長い年月の間に地面がずれたかのような崖がところどころに乱立している。岩肌には芽吹いた草や蔦が垂れ下がっていた。断層っていうやつだね。
疎らになった木を眺めながら進むと丁字路が見えてきた。魔物避けの石柱に案内板がかかっている。
ここを北へ進めばガルディアの町だ。南は国境方面だが、ここからではまだまだ遠いはずだ。
南下したあと、国境の手前で東への道を進むと大きな湖のある町らしい。
貴族や富豪の避暑地にもなっているって聞いた。冒険者になったらそのうち行ってみたいとは思う。
「少し休む?」
「……うん」
疲れてきたのか、話をふってもクレアの反応が悪い気がしたので再度休憩することにした。
顔色は悪くないけれど、無理に急ぐ旅でもない。むしろ、わたしのペースで歩かせすぎたかもしれない。
そこで、わたしはほとんど疲れていないことに気付いた。鍛え方とかそういう問題ではなく、セブクロのデータの影響だと思う。
テレネータ様のところでお茶を飲んでから、全体的にステータスが伸びたのかと思っていたのだが、生産スキルなどの影響も大きく変わっていた。
クレアへのプレゼントのために彫金や魔法付与を行ったり、魔法戦士用の強化魔法を練習したりしたが力の使い方や魔力操作がかなりスムーズになっていた。
木剣を作ったときは自分でも違和感を覚えるほどの不器用さだったけど、それも解消していると思う。
不器用過ぎたのは、ミーナの力の使い方の意識と海凪の力の使い方の意識が釣り合っていなかったせいなのではないかと思う。
海凪の意識では2ぐらいの力で押しているのに、ミーナの筋力だと3ぐらい出てしまっているという感じだ。
テレネータ様も「定着した」と言っていたから、ミーナの身体やデータの影響が定着したのではないかと仮説を立てている。
ただ、低レベル帯のスキル以外を使える実感がないので、レベルはリセットされていると思う。
……裁縫? 久しぶりにやってみたら3分で母さんに針を取り上げられましたけどなにか?
クレアとベンチのようになっている大きい石に座って水を飲む。
水のように長時間運ぶには負担になるものでも、マジックバッグのおかげで軽くなるのは助かるね。この辺りで休憩する旅人が多いのだろう、腰掛けやすいような石がたくさん転がっていた。
「お姉ちゃんは体力あるね。私も少しは一緒に稽古してるのに」
「んー、毎日続けることが大事なのかもね」
「そっか。もうちょっと頑張った方が良いかなあ」
きっとゲームの影響ですとも言えないので適当なこと言ったら、真剣に捉えられてしまった。
よく考えてみると、お昼ご飯以外の休憩無しで朝からずっと歩いてたよね。クレアも十分体力あるよ。
むしろわたしがもっと休憩入れることに気付いてあげるべきだった。反省しなきゃ。
◇
長めの休憩を取っていると、クレアが立ち上がった。
「もう大丈夫だよ、お姉ちゃん」
「それじゃ行こうか」
父さんには丁字路から「一仕事分」歩けば町が見えてくると事前に聞いている。
村で使われる「一仕事分」はわたしの感覚では2時間か3時間ぐらいだ。参考程度にしておかないと感覚的なものだから人によって幅が違うので注意が必要だ。
父さんが言うには町では「鐘1つ分」という意味とほぼ同じだと言っていたが、わたしには分からない。この辺は町にいる間に知っておきたい。
振り返っても休憩した石柱が見えなくなるぐらい歩くと左側には大きな川が見え始め、そのまま町の方向へ蛇行しながら流れている。
北から隣国まで流れ込むこの大きな川はカナーレル川と呼ばれている。川の向こうには森が見えていた。
カナーレル川から西部は魔物が多く生息するらしく、魔物が渡ってこないように橋は作られていない。
向こう側へ渡るには、泳ぐかガルディアの町を経由するしかないようだ。前者はよっぽどの急ぎの旅か、密輸などの犯罪者といった町に入ることが出来ないような者ぐらいだろうけど。
丁字路から先の街道は日差し避けに植林されたのか、同じぐらいの間隔に針葉樹が生えている。暦の上では秋だが、青々とした葉が茂っていた。常緑樹なのかもしれない。
道端に幌馬車が停まっているのが見えた。
クレアとのんびり歩いていたのに馬車に抜かれた覚えはない。随分長い間停まっているのだろうかと思っていると、獣の威嚇するような鳴き声が聞こえた。
馬車は数匹のウルフに囲まれている。向こうはまだこちらには気付いていないようだ。
こちらからは視認出来るのは馬車の後ろ側のみ。幌馬車の裏側にも布がかぶせられているようで中は見えない。
ウルフに囲まれているのに馬車からは何の反応もない。後ろは積荷だけだったとしても御者ぐらいはいると思うのだけど、かろうじて逃げ込んだものの、そのまま動けなくなっているのだろうか。
「お姉ちゃん」
ウルフの存在に気付いたクレアがわたしの手を握った。
焦っているのか汗ばんでいるのが分かる。この辺りはおだやかな開けた土地で、断層も長く続いていないため隠れる場所がほとんど無い。
魔物避けの石柱があるため、魔物自体も街道では滅多に見ないはずなのだが。
「ウルフぐらいなら大丈夫だよ」
「村で見るより大きいし、色が違うよ?」
「血狼だね」
クレアの言う通り、馬車を囲むウルフは村で見る普通の狼のような形状よりも二周りは大きいし、その毛並みは血のように赤黒かった。普通のウルフは駆け出しの冒険者が倒すぐらいの魔物だが、こいつらは違う。
血狼は名前の通り返り血を浴びたような色のウルフで獰猛で残酷。
1度食らいつくと死んでも離さないとまで言われる。吸血鬼の眷属の1つでゲームでは吸血鬼絡みのイベントでもなければあまり見ない。
1匹1匹の強さは、普通のウルフよりも強いというだけでリビングスタチューに比べるまでもなく大して強くはない。
どちらかというと数で攻めるタイプの魔物である。
低レベル帯の吸血鬼がよく使役している魔物だったなと少し懐かしい。
この世界では普通に存在するようになっているのかもしれないが、こなれた動きが出来るようになった今のわたしなら数匹ぐらいなら簡単に倒せるはずだ。
「クレア、その辺りの木の影に隠れているか、離れすぎない程度で剣の間合に入らない位置にいてもらえる?」
「お姉ちゃん、戦うの?」
「どっちみちこれだけ開けた場所じゃ、あいつらに見つからずに町に行けないでしょう。ここから村に引き返してたら日が暮れちゃうし」
「そ、そうだけど。ホントに大丈夫?」
「ええ」
魔法剣もいらないだろう、父さんから貰った鉄の剣を鞘から抜く。
クレアは武器を持っていないし、まだ冒険者でもないから危ないことはして欲しくない。とりあえず隠れていることにしたようで近場の木の陰に入った。
隠れているといっても近付かれたら丸見えで、クレアを狙われるのが一番怖い。
血狼は馬車の中を気にしているようだし、この距離でもこちらに寄ってこないなら大丈夫かな?
「じゃあ行ってくるね!」
クレアが心配しないように少し明るく宣言した。
「『加速』、『筋力強化』」
強化魔法を自分にかける。速度と筋力を強化して、馬車までを突っ走る。
残り半分ほどの距離まで近付くと血狼たちがこちらに気付いたかのように振り向いた。
もう遅い。
振り向いたときには血狼はすぐ目の前。
手近な血狼の首筋目掛けて剣を振り下ろす。
一刀で頭を切り捨てると、血が飛び散った。
馬車の右側面を回って、振り下ろしたままの剣を次の獲物に向かって斬り上げる。
血狼はバックステップでかわしたが、顎に浅く入ったようで血を流している。
――後ろ。
「『旋回』」
その場で自分の好きな方向へ強引に回転する魔法だ。
ゲームでは使い道のないネタ魔法だったが、現実になった今なら使いどころはある。
魔法の回転力に任せて、後ろから飛び掛ってきた血狼を一閃し再度『旋回』して半回転。
『旋回』は身体への負荷はほとんど無いが、連続で使うと目が回りそうだ。顎を斬られた血狼はまだ動いていなかった。
「『風刃』」
思わぬ怪我に怒り狂う血狼に向かって左手を向けて魔法を放つ。
風の刃を飛ばす基本的な魔法の1つだが、村で適当に撃つには威力がどうなるか怖くて使いにくかった。
ここなら試すのにも良い機会かもしれない。
魔法を放った途端、血狼が右へ跳ぶ。自分でも上手く視認できないが風の刃が飛んだらしい、血狼の足を切り裂き、体勢が崩れた。
「『氷針』」
視認しやすい魔法にしておくべきだったと反省し、撃つ魔法を変更。
針と言う名前にしては大きい、わたしの肘から先ぐらいの長さの氷柱が3本、空中へ出現し血狼へ飛んでいく。
氷柱は動けない血狼の頭から貫通した。
◇
馬車を一回りして血狼の残りがいないことを確認する。隠れていた木の陰からクレアが出てきて、こちらに向かってくるのが見えた。
馬車の御者台側もひびの入った木の板で覆われていた。引いていたはずの馬も見えない。血狼が囲んでいたから中に人がいると思うのだけど、声も聞こえない。
中に入る場所があるはずだよね?
前に無いってことは後ろだろう。もう一度後ろに回り、布をめくった。
そこには鉄格子の扉がついていた。
中には3人ぐらいが前方側に固まって座り込んでいる。3人とも貫頭衣と呼ばれる一枚布の衣服を紐で腰の辺りを縛っていて、金属の首輪がつけられていた。
「あのー?」
声をかけられたことで気付いたらしい3人が一斉にこちらを向いた。
中にいたのは20代ぐらいの男性と女性が1人ずつ。少し離れた場所に12歳ぐらいの女の子が1人。
「嬢ちゃん、ウルフは?」
「倒しましたけど」
男性は同い年ぐらいの女性の顔を見たあと、わたしに話しかけてきた。
こちらの2人は知り合いみたいな印象だ。女の子はこちらをじっと見ているが何も言わなかった。よほど怖かったのであろう。
「本当か!? 御者のやつは馬ですぐさま逃げちまったからもうダメかと……」
「あれはこうなると分かってた感じだったわ」
「うーん、扉の鍵は持ってかれちゃったんですね」
「いや、御者のやつが板の隙間から投げ入れてきた。かといって開けるわけにもいかなかったから……」
そりゃそうである。魔物に囲われた状態で鍵を開けようとはしない。だが、ずっと続けば誰かを犠牲に助かろうとするかもしれない。男性と女性が知り合いであるなら、面識の無さそうな隣の女の子が犠牲になる可能性も高かったのではないだろうか。
わたしは男が持っていた鍵を受け取り外から鍵を開けた。
「お姉ちゃん」
追いついたクレアが何か色々と言いたそうな顔で後ろから声をかけてきた。
クレアだけなら能力の説明をしても構わないが、他人がいる。その意味も込めて乗っていた人は無事だったと伝えるとクレアはほっとしたような表情で微笑んだ。
……わたしが思っているほど、クレアはわたしの能力を気にしてないのかもしれない。
それよりも目の前の問題を片付ける必要がある。この馬車って奴隷を運んでいる馬車だよね。このまま町に連れて行っても良いのだろうか。
この世界のルールを知らないので手に余るんだけど……。
わたしが奴隷を盗んだ犯罪者みたいにならないよね?
――さて、どうしよう。