第ニ話『世界に』
翌朝、レクトルは違和感を覚えて目を覚ました。
そのせいか、寝起きだというのに意識がはっきりしており、上半身を起こした少年に青白い光『召喚獣フルー』が寄り添って来る。フルーもまた、レクトルのように周囲のいつもと違う様子を感じ取り、ちょうど今少年を起こそうとしていたところだった。
窓の外に視線を移すと、座り込んだ少年からは空と頂点に達しようとしている太陽が見える。時間にして昼前だろうか。部屋に時計が無いため、正確な時間はわからないが、太陽の位置から大体の時間は推測できる。
だが、やはりおかしい。
「フルー、何かあったんだね。」
いつもなら母親が朝食を置いた音やその気配で目が覚めるのだが、今日はそれがなかった。つまりそれは、母親が昨晩夕食を下げてから今まで、一度もこちらに来ていないことを意味していた。
不安が胸の辺りで広がり、締め付ける胸から食道に気味の悪い何かが押し上がって来るのをレクトルは感じた。
-心配しないで。お母さんも村の人達も無事だよ。特にいつもと変わりない。...ただ珍しい客人が来てるみたい。-
「客人?一体誰が...」
そう言って立ち上がろうと床に手をついたと同時に、レクトルは何者かがこちらに近付いてくる気配を感じた。
一人ではない、複数人の足音だ。
普段誰一人としてこの倉庫には近づかないのだから、必然的にそれらがフルーの言う『客人』のものであることは容易に想像できる。また、地を蹴る音に合わせて金属同士がぶつかる重厚な音も聞こえる。それは確実に村の住人のものではないと、レクトルは理解した。
沈黙が部屋の中を包み、相手からは自分の様子など見えていないことはわかっていつつも、少年は手をついた姿勢から、動くことが出来ずにいた。
背中と脇にじわりと嫌な汗が吹き出て来るのを感じ、レクトルは視線だけフルーへと向ける。フルーはその人物の位置がはっきりわかっているのか、壁越しにもかかわらず客人の歩く速度に合わせるように宙に浮いたまま右から左にゆっくりと移動する。
フルーの動きが止まると同時に、足音が扉の前で止まる。そして、レクトルとフルーがいる倉庫の扉が軽く三度と叩かれた。
窓が家のように低い位置に取り付けられていれば、レクトルが外の客人の様子も伺えたのだが、倉庫の窓は小さく、少年の背よりも高い位置に取り付けられていたため、それは叶わない。
いや、今のレクトルからすれば、むしろその方が都合がよかった。自分から見えるということは相手からも自分の様子が確認出来るということなのだから。
「反応がないな。」
男性が低い声で呟く。
「母親の話ですと、ずっとここで暮らしてるみたいですし、いないはずがないんですけど...。やっぱり私が言ったように私服で来た方がよかったんじゃないですか?村の人にも物凄く警戒されてますし...」
次に声を発したのは女性だった。先程の男性とは正反対に明るく陽気な口調から、レクトルは自分の警戒心が少し和らいでいくのを感じた。
もう一度扉が叩かれるが、レクトルはそれに応じることはない。その扉の先に誰がいようと、扉を出た先に何が待っていようと関係ない。自分がこの世界に受け入れられることなど、何一つないのだから。
ここを出る意味などありはしない。
どれくらい経っただろうか。離れていく足音が聞こえないところをみると客人はまだ外にいるのだろう。フルーも未だ扉の向こうに警戒しているようだった。
「日を改めるか。」
「そんな必要ない。そこまでこいつに気を遣う義理もね!」
男性の言葉にそう言い返したのは先程発言した女性とは異なる女性。少し荒々しく男勝りな口調で彼女は言い放った。
その女性は何をするつもりなのか。レクトルの視線がフルーから扉へと移る。鍵はかけたままだ。例え彼女が無理に開けようとしたとしても問題はない。だが、レクトルは扉から目を離すことができず、固唾を飲み、時が過ぎるのをただただ待った。
「...おい!お前!」
「向こうが開けないなら、こっちから開ければいいだ...ろっ‼︎」
扉が開かれることはなかった。
代わりにけたたましい破壊音が倉庫内に響き渡り、何をどうしてそうなったのかはわからないが、中央に大穴が空いた扉が吹き飛ばされ、対面の壁に激しく打ち付けられた。
あまりの出来事にレクトルは瞬きすることを忘れていた。心臓は動揺で張り裂けそうなほど強く脈打ち、目の前で何が起こっているのか分からず、ただただ扉を失ったことで外の光を一杯に取り込めるようになった出入り口と、その向こうにいる客人の影を見つめていた。
「はぁ..。他にやり様もあるだろ。何故お前はいつもいつもこう力業で解決しようとするんだ...。」
「あぁもう...、またこれ始末書よ...。」
部屋に伸びた客人の影は三本。初めに発言した男性、明るい印象の女性。そして、先程扉を吹き飛ばした女性の三人だろう。扉を吹き飛ばした女性に対して二人が呆れたように文句を言う。
そんな彼女らをよそにレクトルは漏れそうになる乱れた呼吸を無理矢理に抑え、ゆっくりと四つん這いの状態で倉庫の隅に移動し、用心のために置いてあった身の丈半分程の角材を手に持った。フルーの青白い光は輝きと激しさを増し、いつでも放てるように、自身の周囲に複数本の細い氷の柱を出現させた。
レクトルの手が震えてる。呼吸が整わない。引いたばかりの嫌な汗がさらに増して背中から腰に伝う。
少年は人など殴ったこともない。それどころか自分を召喚士として認識したあの日から、誰かと接触することを極力避けてきた。それがいきなり誰かと敵対することになるなんて。少年の心は極限状態だった。
「んだよ、小さいことでああだこうだ言うなよな。始末書くらい何回でも書いてやるよ。」
「貴女は書いて当然なの!巻き込まれて書かされる身にもなってよね!」
呆れから怒りに変わった感情をぶつける明るい印象の女性に、はいはい。と一蹴した荒々しい印象の女性は、まるで自宅のように躊躇なく倉庫へと足を踏み入れる。木と靴底が当たった軽快な足音が室内に響く。
始めにレクトルから見えたのは、彼女の膝上までの白銀のブーツ。よく磨き上げられたそのブーツは逆光の中で僅かに輝き、一歩また一歩と中へと進み、そしてレクトルが気持ちを落ち着かせる暇などなく、彼女の全体像がレクトルの視界に映った。
軽装の鎧でまとめられた体は、聞いた声で感じたものよりも小柄で華奢に見えた。青い瞳に金髪の髪。その髪を後頭部で結わえ、邪魔にならないように頭頂部に向かって上げていた。年は二十代だろうか、その横顔はとても凛々しく見え、高貴な青年に見間違えると言っても過言ではない程だった。
気付けばレクトルは、氷を放とうと全身に力を込めたフルーを左手で制止していた。角材を握りしめていた右手からは、いつの間にか力が抜けていた。
それは、彼女に見とれたからではない。
(僕はこの人を知ってる...?)
少年は彼女の顔にどこか懐かしいものを感じていた。
でも、一体どこで。
少年は短く少ない記憶を探ってみるが、そこにたどり着くことは出来なかった。
瞬きを忘れ、呆然とするレクトルを目に、彼女はその整った顔を崩しながら、不敵で楽しみを孕んだような笑顔を見せて、こう言った。
「ほら、行くぞ!お前の世界に!」