第14章~モルモットの冒険【2】ー港町アルマスのパン屋さんー(D5δ8ゾーン領域)~
モルモットは生まれて初めて汽車と呼ばれるものに乗り、すっかり興奮してしまいました。ただ、この汽車は広大なエルガンティア大陸の中でも、はしっこにあるアルダ山の麓から海岸沿いにあるアルマスという町を僅かに繋いでいるだけで――<鉄道>なるものがあるのは、この世界全体でもここだけだということでした。
最終の駅であるドゥーリンガ駅へ到着すると、モルモットくんは汽車の窓から見た海の波が寄せては返す美しい光景を思いだし、しばらくの間その波に揺られているようにぼんやりしていたものです。とはいえ、馬車が出発する前にシャーロットさんが、『駅は危険人物でいっぱいたから気をつけてね』と言ったことは覚えていました。『わたしたちのような田舎者を騙す人や、かばんやその中のものを平気で盗む人がいっぱいいるから、ニンゲンを見たら泥棒と思ったほうがいいくらいかもしれないわ』と……。
そこでモルモットくんは右から斜めにかけたカバンをぎゅっと握り、注意深く周囲を観察すると、持っていた切符を出札係に見せ、駅の外へ出ることにしました。とはいえ、駅の構内もとても素敵ではあったのです。木造で、売店ではお弁当やおやつなども売っていましたし、プラットフォームへ向かう人々も、垢ぬけたスーツを着た男性や、素敵なドレスを着た女性ばかりで……ベンチに座って暫くそんな様子を見ているだけでも、モルモットくんには何かが楽しい感じがしたものです。
もっとも、いつまでもそんなことばかりしているわけにもいきませんし、モルモットくんは汽車に乗って景色を見ながらぼんやり考えていたことを実行へ移すことにしました。幸い、まだ時間のほうはお昼の二時くらいでしたから、パン屋さんやレストラン、それに食料品店のような場所もまだきっと開いていることでしょう。
この時、モルモットくんは都会や町と呼ばれるところがどんなふうな場所なのか、よく知りませんでしたのでまごつきましたが、今後、今いるアルマスの町、それに次へ行くことになるネルトファの町、ニールセンの町……と、順に大きな町を訪れるうち、わかってきたあるひとつのことがあったかもしれません。まず、ひとつはその都会や町の大通りと呼ばれる場所を探すと何かと便利だ、ということです。というのも、どこの大きな町でも<大通り>と呼ばれる場所には、有名なお店が軒を連ねていることが多いとわかったからなのです。
アルマスは、この地方きっての大きな港湾都市でしたから、海を渡ってたくさんの食料品や生活雑貨品、それに珍しいたくさんの品々が毎日のように船から荷下ろしされてきます。そこで、町の目抜き通りには旅籠屋の看板、パン屋の看板、レストランの看板、食料品店の看板……さらには、仕立て屋の看板、帽子屋の看板、宝石店の看板、香水店の看板などなど、モルモット的には後半はほぼ用のない店ばかりでしたが、物見遊山にひととおり見ておくことにしたのです。
ところで、肝心のロレンゾというジャム作りの名人のことですが、意外にもすぐその行方に心当たりのある人が出てきました。しかも、モルモットくんが最初に見つけたレストランで、です。(なんてぼくは幸先がいいんだ!!)とモルモットくんはびっくりしましたが、その後すぐにそれが何故かのカラクリが彼にもわかりました。
というのも、モルモットくんはロレンゾ氏を知る誰もが『そっくりだ!!』と驚く、センムさんの描いたロレンゾ氏の似顔絵を持っていたからなのです。ここからはモルモットくんの想像ですが、彼はおそらく料理人として、行った先々の都会や町にあるレストランといった目ぼしい場所は順に訪れ、食事していたのではないでしょうか。もちろん、もしMr.ロレンゾがただのよくいるタイプの一般客だったとしたら……たくさんのお客さんの姿に紛れ、レストランやパン屋の御主人のほうでもまったく覚えてなかったことでしょう。
ですがその点、ロレンゾ氏は一度見たら誰もが忘れることの出来ない凶相をしていました。髪の毛のほうは黒々していて、まるでヘルメットかカツラのようにぴちっとしてましたし、浅黒い顔にふたつある目はギョロリとして、その上の眉毛は赤みがかった焦げ茶色、鼻のほうはびっくりするくらい高くて、右と左の目をそれぞれ真ん中に寄せると、その高い山脈を見ることが出来そうなくらいでした。口のほうも大きく、その周囲を山羊のような黒々としたヒゲが覆っています。
「こんな魔王のような凶相は、一度見たら誰も忘れっこなんかない」
モルモットくんが礼儀としてメニューブックにあった一番安い品――ミネストローネのスープを頼んでのち、厨房にいる店主の親父さんとその奥さんに似顔絵を見せた時のことでした。
「そうだよ、あんた!」と、おかみさんがさもゾッとするとでも言いたげな顔で同意します。「しかも食事のあと『牡蠣のスープはなかなかだな』なんて、美食家気取りで講評なんかしちゃって……『しかし、スープの味のほうはいいが、牡蠣がたったの三つしか入ってないのはいただけない。いつもこんなんで、客のほうから文句が出たことはないのかね?』ですとさ」
「あのう……それ、何年くらい前のことになりますか?」
シャッチョーさんの話では、ロレンゾ氏が<神秘のジャム工場>をやめたのは、もう六年も昔の話だと、モルモットくんはそう聞いていましたから。
「ありゃあ、もう五~六年も昔のことになるんじゃないかね、おまえ」
熊のように体の大きなレストランの主人が、ムール貝のビスクの味を見ながら奥さんにそう聞いています。今、時刻のほうは午後の四時半で、お客さんの数のほうは少なくなっていました。みな、ちょっとコーヒーやお菓子を食べに来たといったようなお客ばかりのようです。
「そうだね。あたしもよく覚えちゃいないけど、何年も前だってことくらいは覚えてるよ……あっ、そうだ、思いだしたっ!!あんた、メニューに牡蠣のスープと書いてあるのに、小ぶりの牡蠣が三個しか入ってないとはなんたることだと言われて、こう言い返してたじゃないの。今年は牡蠣が不漁で、うちでも経費を節約してるんだって。そしたらあの魔王みたいな顔の奴が、『ほいじゃ、牡蠣があまり取れない年でなければ、もそっとおっきいのが最低でも五個か六個は入っとるのかね』なんて言うから、あんた言ったじゃないの。『おうとも。不漁でもなけりゃ、最低でも五個か六個、いやいや七個か八個入っとることも珍しくはない』って。だからあたし、あんたに小声で注意したじゃないのさ。『さすがに八個は言いすぎだよ』って……」
「そうだったっけか」
気のいい夫婦はそんなふうに笑って言い、モルモットくんはお代を置いてレストランをあとにしました。その後、大体のところ似たことが続いたかもしれません。もっとも、ロレンゾ氏は何も町にいくつかあるレストランのひとつひとつになんかしらいちゃもんをつけていたわけではありません。ただ、注文した料理について、「もっとこうしちゃどうだ」だの、「ああしちゃどうだ」だの必ず一家言残してから去っていくのが常だったようです。
また、そんな美食家気取りの客というのは何も、ロレンゾさんが初めてということもなかったでしょう。けれど、どこの店のシェフもロレンゾさんの似顔絵を見せると、「あーーーっ!!」と叫んでいたものでした。さらに、こうしたロレンゾさんの足取りを追ううち、パン屋さんをモルモットが訪ねてみた時のことです。
「ああ、覚えとる。覚えとるとも……うちはこう見えて、アルマスじゃ一番の美味しいパン屋として知られとるもんでね。うちじゃどんなふうにパンを焼いとるのかと、毎日しつこく聞かれたものだったよ。見てのとおり、種も仕掛けもありゃしない」
そう言って、気のよさそうな白髪頭のパン職人の店主は、パンの並んだ窓の下あたりを指差しました。そこには真っ白いパンや茶色いパン、黒パンなど、色々な種類のパンが並んでいます。奥さんが販売担当といったところで、見たところ彼女は暗算がとても得意なようです。壁のところには<神秘のジャム工場>の様々な種類のジャム瓶が並んでおり、モルモットくんは何か懐かしい感じすらしました。
「パンが焼きあがったら、ああして女房が大体のところ計算して売ってくれるんだがね、わしが小麦粉に水やパン種を足して作業したりするところは、窓からちょいと覗きゃ誰でも見れるというわけでしてね。なんの秘密もないから、そんなに知りたきゃ見学にでも来ればいいんじゃないかねとそう言ってやったのだよ。そしたらだよ、一体どこの産地の小麦粉を使っておるのかだの、この特別なパン種を分けて欲しいだなんだ、これがまた鬼のようにしつこくてね……わしだって慈善事業で商売しとるわけじゃないから、そんなものは企業秘密として決して教えられないと言って断ったのだよ。そしたら魔王みたいな顔の奴さん、苦渋に満ちた顔をして『ムムム』などとおっしゃる。それで、ほら、そこの壁にあるジャム瓶を指差し、『こんな昔取った杵柄のような話をするのはいやなんだが』と前置きし、『あの神秘のジャムを作ったのはこのわしなのじゃ』などと申される。わしも担がれるつもりはなかったのでね、『はあ、そうですか』と無視して、手許でパン生地をこねこねしておりましたわ。確かあの時はロールパンを作ろうとしてたんでしたかな……そんなことまでよく覚えておりますわい。魔王の奴め、これがとっときの奥の手だとばかり、自分が神秘のジャム工場に渡さなかったレシピがただひとつだけある、なんぞと申して、オレンジ色っぽい感じのジャム瓶をひとつわしに渡しおったのですよ。いやはや、それがなんとも美味しくてですな、危うくわしも簡単に口を割るところでしたわい」
「それで結局……魔王さん、じゃない。ロレンゾさんにパンの作り方についてあれこれお教えたりしたんですか?」
我知らず、モルモットくんはごくりと喉を鳴らしていました。神秘のジャム工場のジャムはどれも美味しいものばかりでしたし、その中でロレンゾ氏が渡さなかったほどのレシピとは一体どんなジャムだったのか……その味がとても気になったからです。
「まあ、結果だけ申せば、教えてしまいました」と、気がいいというよりは、職人気質の気難しい顔をしたパン屋の主人は肩を竦めています。「あの柿のジャムの味は今もとても忘れられません。なんでも、レモンが隠し味なんだとかで、レシピのほうも紙に書いてくださったのですがね、自分で同じ味のを作るのはちょいと難しいようだと感じましたな。お互い、胸襟を開いて話してみれば、割と気の合うところもあり、だんだんにわしも、こんな凶相に生まれついたのもこの人が悪いわけじゃなしといった気持ちになってきて、肝心のパン種の秘密についてもお教えしてしまいました」
「えっ、で、でも………」
「もちろん、このアルマスの町や、あるいは近辺でパン屋をやられたりするのはこちらも困りますからな。それに、素人がただ自宅のオーブンで焼く分にも、こっちとしちゃ商売上がったりだ。ですが、魔王の奴、自分はこれからあちこち遠く旅して歩いて、最良の食材を探しだし、それをすべて集めて最高の料理を作りたいと考えている……なんぞとおっしゃるじゃありませんか。ようするに、その頃にはもう二度とここら近辺へ戻ってくることはないでしょうなということだったのですよ。そいで、その頃もし自分のほうでレストランを開いておったら、是非一度来て欲しいと、こうした話だったのです。ああ、そうそう。そういや一年くらい前でしたかな。妻と一緒に来なされとかいう話で、招待状の入った手紙が届いておったことがありましたわい」
「えっ、えええーーーっ!?」
モルモットくんはびっくりしてしまいました。パン屋の主人はなんでもないことのように、オーブンなどの完備された部屋の隣へ行くと、戻ってきておかしな招待状をモルモットくんに見せてくれました。
そこにはこう書いてありました。
>>親愛なる<三日月パン亭>の親父どの。
当方、あなたさまにお約束したとおり、とうとう念願のレストランを開店いたしました……ま、開店なんぞと言っても、何月何日に店を開いたといった記憶もないのですが、森の中でしゃこやブタや牛、七面鳥その他を飼い、自分で野菜も育てて自宅に訪れる誰かしらに料理を振るまううち、何やらそんなことになっておりました。
そんなわけでして、自分でレストラン名を命名した記憶もないのでございますが、いつしか客たちから<森の魔王のレストラン>と、そのように呼ばれるようになっておりましたわい。美味しいパンの作り方に関してはですな、その後あちこちの都会や町のパン屋をいくつもまわりましたが、とうとうあなたさまほどのパン職人とは出会いませなんだ。つきましては、感謝の気持ちもこめまして、一度我がレストランへご招待したくこのようなカードを送らせていただきました。
もちろん、カードの有効期限のほうは無期限ですから、いつでもご都合のよい時に来てくだされ。そいでは、さいなら。
<森の魔王のレストラン店主、ロレンゾ=ロマンチェスカ=ロッセリーニ>
(これが、ロレンゾさんの本名なのか……)
また、差出人が彼本人であろうこともほぼ間違いなさそうでした。というのも、その招待状のカードにはコック帽を被ったミスター・ロレンゾの肖像画が描かれていたからなのです。おそらく本人をちょっと理想化したようなそれより、<神秘のジャム工場>のセンムの描いた似顔絵のほうがより似ているのではとモルモットくんは思いましたが、とにかく見比べてみるかぎり、このふたりは同一人物で間違いなさそうです。
こんなに早くミスター・ロレンゾの居場所までわかるとは思ってもみませんでしたので、モルモットくんとしても驚きでした。とはいえ、<三日月パン亭>の主人の話によれば、カードの入った封筒に書き記してある住所によると、その<森の魔王のレストラン>という場所は相当遠いとのことで……親切なパン屋の主人はその後、隣の小さな事務室兼休憩室のような場所へモルモットくんのことを通すと、机の上に世界地図を広げてみせてくれました。そして、自分たちが今いる<港湾都市アルマス>を右の人差し指でトントン叩き、それからずーっと北西のほうへ指をずらしてゆき、<魔王のレストラン>があるとおぼしき場所あたりを「まあ、このへんですわな」と、丸で囲んでみせました。
「思った以上に随分、遠いんですね……」
「確かに、そうでしょうな」と、店自慢のクロワッサンを勧めつつ、パン屋の主人は続けました。ついでに美味しい紅茶まで親切にも一緒に出してくれます。「奴さんが店を開いたというのか、我知らず気づいたらそこがレストランになってたらしい森とやらは、<神秘の森>と呼ばれておるらしい。一年前にわしと妻のとこへ招待状が届いたということは、さらにその一年前くらいにはすでにそこへ住みついておったのではないのかな。とはいえ、奴さんはここからそこへ至るまでの間に……色々な都市や町へ立ち寄っては、わしでのとこみたいなことを繰り返しておったのだろうことはまず間違いない。というのも、他でもない本人がこう言うておりましたからな。自分で最高のレストランを開く前に、まずは諸国を旅して最良の食材を見つけるつもりだと……わしに対するあのしつこさから見ても、たとえば『このチーズは最高だ』とあの魔王のような親父がひとたび思いこんだとしたらば、どうやって作っておるのか、また、作り方を教えてもらえなかったにせよ、自分にいくらで売ってもらえるかなど、交渉に交渉を重ねておることだろう。何分あの物凄い形相だ。ちょっと気の弱い人物であれば、少し脅されただけで『呪われたんじゃたまらない』と思いこみ、ついうっかり教えてしまうか、通常より安い値段で譲ってしまうかもしれませんな」
ありがとうございます、とお礼を言ってから、モルモットくんはアップルティーをこくんと飲み、それからハチミツのぬってあるクロワッサンにありがたく手をのばしました。
「確かに、そうかもしれませんね。ぼくはしがないモルモットなので、お料理の難しいことなどはわかりませんが……でも、大きな街のお城などに住むお貴族さまは、メインディッシュのお肉やお魚などの他に、スープやサラダなど、何やら複雑な手順を踏んで食べたり飲んだりすすったりされると聞いたことがあります。となると、お肉料理やお魚料理、色んな種類のスープやサラダやチーズにデザート――そうしたすべての食材を、魔王さん……じゃない。ロレンゾさんの納得されるほどのものを探し求めるとなると、なかなかに大変な旅路だったのではないでしょうか」
「そうでしょうとも」モルモットくんがいかにも可愛らしい様子でもぐもぐ食べる姿を見、パン屋の主人も厳しい顔がすっかりほころんでいます。「最低でも四年か五年くらいはそうしたご本人の望まれる食材を探すのと同時、あれこれ料理の方法についても試行錯誤されたのではありませんかな。これはわしの想像にすぎんことだが、そうこうするうち、例の<神秘の森>とやらで長く腰を落ち着けることになり……自然そこがレストランのようになっていたのではないかと思いますよ。あ、モルモットさん。そういえばマドレーヌもあるのですよ。わしが作ったのではなくて、妻が焼いたものなのですがな。そちらもよろしければ是非どうぞ」
パン屋の親父が棚の奥からマドレーヌの皿を取り、それもモルモットくんにくれました。貝殻の形をした、しっとりやわらかな味わいの、甘い焼き菓子でした。
「いえ、すみません。何か図々しく……でも困ったなあ。<神秘の森>まで旅をしてゆくことはおそらくどうにか出来る。とはいえ、そこへ辿り着くまで一体どのくらいかかるものか……」
「まあ、一番早いのは馬車でしょうな。大きな都市や町には<馬車宿>というものがある。つまり、街道沿いに馬車の便が定期的に行き来しておるので、それに乗るのが一番速くて比較的安全ではないかと思いますよ。ただ、決してあなたがモルモットだからというのじゃあない。奴ら、ニンゲン相手でも足許を見て料金を吹っかけてきますからな。他に、おいはぎや強盗などもよく出没します。一番いいのはたぶん、到着した都市や町ごとの馬車宿で一緒になった人と……自然と親しくなるか、親しい振りをしてもらうなどして、自分には物凄い腕っこきの弁護士先生が後ろについてるんだなどと、食事をしながら大声で話すことかもしれません。田舎の小さな町や村ではともかく、都市のような場所ではしょっちゅう裁判があって、一度訴えられるとなかなか難儀なことになりますから、あこぎな馬車屋の奴らほど、自分たちの商売がポシャることを恐れとるものなんですて」
「へええ……それはいいことをお聞きしました。ところでその、<神秘の森>のある場所と、あとはそこへ至るまでの簡単な地図と言いますか、そのう……」
「ええ。もちろん、いいですよ」と、パン屋の主人は別の――小麦粉の分量を計算するのに使ったらしい紙片や、一日の売り上げその他の書き記された余白部分を使い、<神秘の森>の住所、そしてそこへ行くまでの最短ルートと思われる地図を簡単に書き記してくれました。
「わしも、ここから船に乗って近くの島へ行ったり、あるいは北はせいぜいがアンティルダ、西であればオートゥイユあたりまでしか出かけたことはありませんのでな。あとは人の噂話くらいで聞いたことを元に言うのですが……まあ、そのくらいアテにならん話だと思い、行った先の町などでその都度ごとあらためて他の人から詳しい話を聞いてくださいよ。とはいえ、アルマスからは北の王都アンティルダまで、まずは馬車便が出ておりますわな。とはいえ、それだって最低でも十日やそこらはかかります。その途中途中であちこちの宿へ泊まるわけですが、ただ馬車屋の親父あたりに『あの~、王都のアンティルダまで行きたいんですけど~、おいくらくらいかかります?』なんて、善良な聞き方をしてはいけません。向こうはきっと、『いくらならだせます?』とか、悪賢く慣れた調子で聞いてくることでしょう。そうしたらですな、『モルモット割引はありませんか?』と、まずそう聞いてみるといいやもしれません」
「いえ、さすがにそんなものはないとしか、モルモットのぼくにさえ思われないのですが……」
他に、半獣半人割引も、うさぎ割引やねずみ割引といったものもないだろうとしか、モルモットくんには思えませんでした。
「そんなことじゃあいけませんよ、モルモットくん」と、いかにも商売人らしい渋い顔に戻り、パン屋の親父はチッチッチッと右手の指を振っています。「『だってぼくー、ニンゲンが使うような上等の部屋じゃなくったっていいんだもーん。それに半獣半人とはいえ~、そんなに場所もとらないしー、真夏はともかくとして、秋や冬はぼくとくっついて寝ればあったかくって風邪知らずだよ!ぼかあね、いつでもそんなふうにニンゲンと雑魚寝したいってわけじゃないけど、部屋にあぶれたらあぶれたで、一晩くらいなら馬小屋で眠ったっていいんだ!おじさん、こんないたいけなモルモットからお金を絞りとろうったってダメだよ。ぼくの懐は毛布みたいにふっかふっかだけど、財布のほうはあまりあたたかくないんだ。そのあたりのこと、何も言わずとも察してくれなくっちゃヤダヤダ!!』と、うるうるしたお目々で一度言ってごらんなさい。たちまち、どんな非情な馬車屋の御者だって、『ちょいとお勉強しようかな』という気になること請け合いですからね」
この時は、(そんなものかなあ……)とモルモットくんはぼんやり思っただけでしたが、パン屋の親父殿はさらに親切でした。なんと!驚いたことには「今日は我が家へ泊まっておいきなさい」と、そうおっしゃってくださったのです。
「えっ!?えーと、でもさすがにご迷惑なのでは……」
「いやいや、遠慮してはいけませんよ、モルモットくん」と、パン屋の店主は言いました。「第一、路銀としていかほどお持ちかは知らないが、今後はかなり図々しいず太い根性によって旅のほうは続けねば、途中で行き倒れてしまうかもしれませんからね。まったく素性の知れない旅のニンゲンであれば、金ももらわずただで寝泊まりさせてくる旅籠屋はないでしょう。ですがモルモットくん、君のように感じのいいモルモットであれば、一晩や二晩くらいならただで泊まらせてくれる人というのは今後もいくらかはあるに違いない。そういう時、今のように遠慮してはいけません。なあに、もてなす側だってちゃんと人相のほうは……いや、この場合はモルモット相かな。とにかくそんなものをちゃんと見てるのですからね。情けは人のためならず、と言いますが、情けはモルモットだけのものならずとでも思っておいちゃいかがですかな。こちらにだって、もてなすことでいい気分になれるというお得な部分があるのです。さて、そうと決まったらお部屋のほうへご案内しましょうかね」
パン屋の主人が店番に立つ奥さんに声をかけると、奥さんのほうでも「もちろんいいとも!」と、何故かあっさり承諾していました。モルモットくんはパン屋の二階部分へ通されると、その晩は客間のほうで休ませてもらえることになり、なんとも嬉しい限りでした。
パン屋のご夫妻は名前をアンドルー・ディードと言い、奥さんの名前はアンナでした。ふたりは息子がふたりと孫が三人いるという身の上でしたが、長男のルカシュは王都のアンティルダで税務官をしており、役人としての仕事が忙しく、なかなかアルマスへは帰って来れないそうです。また、次男のマルキシュは船乗りで、一年の大半は海にいるか、軽く二~三年戻ってこないこともザラにあるということでした。
「ああ、そうだ。王都のアンティルダへ着いたら、息子のルカシュを訪ねるとよろしかろう。わしのほうでそのような手紙を一筆したためますのでな、『これがぼくがあやしいモルモットでない証拠です』とでも言って、息子に渡してください。ただ、子供のほうはまだ三人とも小さいのでな、モルモットくんにくっついて離れなかったり、何かとご面倒をかけるかもしれません。ですがまあ、ちょいと子守りでもしてくださりさえすれば、そこはそれ、ただで美味しい料理と泊まれるところが手に入るということで、モルモットくんのほうでも妥協してくださると嬉しい」
「い、いやあ、ぼくはそんな……」
美味しいパンにスープに、モルモットくんの大好きなサラダのごちそうが夕食のテーブルには並んでいました。しかも食後には美味しいイチゴのワインまで出てきましたから、モルモットくんは何やらディード夫妻に申し訳なくてたまらないくらいだったのです。
「でも、ぼくのほうこそ大変助かりました。ここの馬車駅から出発して、まずは王都アンティルダを目指せばいいのですね。それから、隣国のナジェンダ王国を南下してゆき、さらに西に向かってクローガン王国を通り、ロミュヌス王国の田舎の森の中にロレンゾさんはレストランを開いている、と……」
「まあ、たぶんきっとなんとかなりますよ」と、モルモットくんに対する気遣いのあまり、席を立ったり座ったりを繰り返していたアンヌ奥さんが言いました。彼女は気取りのないとてもよい人でしたが、魚屋が活きの悪いのを配達してくると物凄い形相で怒りだすこともあるという、そんな感じの人でした。「天候が悪くなったりしないかぎりは、馬車屋は信用問題ということもあって、なるべく急いで目的地へ向かうものですからね。ねえおまえさん、明日は店のほうは閉めて、モルモットちゃんのお見送りに行くのはどうかしら。ルーカスんとこの馬車屋より、マーカスんとこの馬車屋より、あたしゃ断然コンコルド社の馬車が好きだけど、さすがに高級馬車はお金がかかりすぎるものねえ。あたしとおまえさんとで、ひとついくつもある馬車屋と交渉して、なるたけ安くアンティルダまで乗せてってもらえるようにしてやろうじゃないか。あ、でもただ安いってんじゃダメだよ。きちん安全にね、モルモットだからって変に足許を見られることなく、途中でドブにポイ捨てもしない良心的な馬車屋に頼んで、ちゃんと王都まで行けるようにしてあげるからね」
「いえ、そんな……お店を休んでまでなんて、申し訳ないです。馬車屋のほうはまあ、なんとかぼくのほうでうまくそれなりの値段で乗せてってもらえるよう交渉しようと思ってるので……」
「いやいや、そんなことじゃあイカン」と、ワインを飲んですっかり上機嫌の主人が言いました。アルドルーさんは『いいモルモットがいると、いい酒が飲める』と、すでに三回くらい言っていた気がします。「店のほうはな、日曜以外今まで一度たりと休んだことはないのでな、たまにはわしらにとってもちょうどいい休暇ってくらいなもんだわい。なあに、モルモットくんは心配せんでええ。ちょいとな、わしとアンヌの馬車屋と交渉するさまっちゅうのを見て、『あ、こーゆうふうにすればいいんだ!』と、次回からの参考にして欲しいのですよ」
「そうですか。それはどうも、かさねがさね申し訳ないですね……」
一方的に恩義ばかり受けるというのも、何やら心苦しいかぎりでしたが、モルモットくんはディード夫妻のご好意を受け、翌日北へ向かう街道沿いにある馬車屋を一緒にまわることになりました。なんでも、ここアルマスからは下ろした船荷を王都へ向かうまでの町々まで運ぶ荷馬車が毎日何往復もしておりましたし、おそらくモルモットくんとしてはそのような荷馬車の後ろにでも安い料金で乗せてもらう――くらいのことしか、その頭には浮かばなかったことでしょう。ところが……。
「ええっ!?モルモット一匹くらいもっと安い料金で乗せていけだって?しかも宿賃や食事代まで負けろってのはさすがに無理だよ、こっちだって行く先々で契約した旅籠屋に金払って部屋押さえてもらってんだからね。他に、一往復につき、大体こんくらいの人数泊まって飲んだり食ったりするからその食事の用意のことも頼んでありますしな。ええと、そっちの人……」
マルヴォカー社の社長さんは、おそらくあまり半獣半人のことを見たことがないか、あるいは親しく話したことがなかったのでしょう。モルモットくんのほうをちらと見ると、しきりと首をひねってからこう言いました。
「ええっと、ミスター・モルモットね。まさか水とそこらに生える牧草や適当な雑草を与えておけばいいってわけでもないんでしょうからな。食べるところが宿の食堂でもキッチンの隅っこでも、値段のほうは一回の食事につき最低1ソルグはいただきますよ。つまり、王都まで行くとなりゃ最低十日……もし嵐だなんだということでもありゃ、次の日から道が悪くなって半月かかるってこともありますからね。けどまあ、この場合最低賃金として計算させていただきやしょ。十日かかるとして、毎日三食の食事がついて三十ソルグ、で、宿賃が十日分として一晩三ソルグだ。つまり、プラスして三十ソルグ、でもそれじゃうちの会社としても赤字なもんでね、サービス料として百ソルグはいただかないと、我が社は破産してしまいますがな、ハ・サ・ン!!」
この時、たまたま偶然でしたが、マルヴォカー社の狭い事務室に、社長のカー氏の娘さんが飛び込んできました。「大変よ、パパ!!折れた矢軸の修理代が八百ソルグですって。あの修理屋、絶対人をバカにしてるわ」と、物凄い剣幕でドレスの裾をからげつつ、二階へ上がってきたのです(マルヴォカー社は一階に馬車が何台も並び、御者といった従業員も下に仕事場や休憩室などがありました。そして二階のほうに社長室や事務室があったのです)。
『そーら、ごらんなさい』とでも言うように、マルヴォカー社の社長さんはギョロリとした目玉をグルリとさせています。
「我が馬車屋の経営状態は常にこのようなものなのですよ。ボンクラな御者どもが、行った先の町などで故障した馬車を直してもらい、あとから金をふっかけられる……いえ、自分で直せる技術がないというのではないのです。ただ、大きな町などでは特に、専門の職人がそれぞれおりますのでな。そうしたギルドに所属している技術人は、腕は立つが金のほうはめっぽう高い。御者どもは自分たちの手に負えない場合はそちらへ持っていくのが確実とわかっとりますもんで、のちのちの請求のことは考えず、まずは王都まで行って戻ってくればなんとかなるだろうと、こうした考えなんですな。う゛う゛っ、そんなこんなで今月も儲けのほうはスズメの涙、そんなこともよくある悲しい事業なのですて、馬車稼業なんちゅうもんは……」
娘さんのマチルダがまだ十三歳くらいだったせいもあり、モルモットくんはこの時ほろりときてしまい、肩かけカバンに手を伸ばしていました。実をいうと、モルモットくんは昨晩、話の中で<神秘のジャム工場>のシャッチョーさんが500ソリンガ旅の路銀にくれたという話をしてありました。ですから、それだけでロミュヌス王国まで辿り着けるかは謎だけれども、道々節約したり、何かのことで少しくらいお金を稼げればなんとかなるのではないかと……(ちなみに、20ソルグが1ソリンガです)。
ところがこの時、肩かけカバンに手をのばしたモルモットくんの小さな手を、おかみさんがぎゅっと握って首を振りました。そして、社長のマルヴォカ氏と娘さんのマチルダが「こんなの支払う必要ないわ、パパ!!」、「いやはやまったくだ!!この半値でも高すぎるくらいだわい」だのとやってるのをいいことに、おかみさんがモルモットくんの耳にこう囁きます。
「ここが堪えどころなのよ、モルモットちゃん。ね、きのうも言ったでしょ?お金がかかるのはそれだけじゃないのよ。行った先々で御者がノロノロとしか進もうとしなかったら『これ、煙草代にしてください』とか言って、そんな時には1ソルグ、チップとしてあげなくちゃいけないわ。そしたらその一分後には馬車は即座にスピードアップしますからね。その他、行った先の旅籠屋で、世話をしてくれるボーイやメイドがふくれっ面をしてたら、やっぱりそんな時にも1ソルグ。そしたらその一分後にはニコニコ笑顔で、『モルモットの旦那、その素敵なお毛並み、よろしければおブラシで撫でて差し上げましょ』とでも、もみ手で申し出てくるに違いないわ。ようするにね、こうして都会や大きな町ではお金というのは無限にかかるものなのよ……今はある500ソリンガも、そんなこんなできっと途中で尽きてしまうこと間違いなしよ。だからとりあえず後学のために、ここは夫のアンドルーの手並みをちょいと見ておくのです」
マルヴォカさんとマチルダの愚痴がなかなか終わりそうになかったので、パン屋の主人はごほん、ごほんとちょっと白々しく咳をつきました。すると、ふたりは途中で話をやめ、マルヴォカさんは客のほうへ戻ってきて言いました。
「ええっと、なんでしたかな。それで結局、お代のほうはおいくらくらいいただけるんで?こちらとしてはモルモット氏より、屋根席であっても王都へ戻る中産階級のお坊ちゃまでもひとりお乗せしたほうが、よほどお金になりますのでな。値段によってはお帰りいただいたほうがよいかもしれませぬぞ」
「食事代が三十ソルグ、それに宿賃としてプラス三十ソルグ。計六十ソルグ。ここまでは、相場よりも安いことからみてもこれでよろしかろう。したが、マルヴォカさんよ、サービス料のほうはちと高いのではないかな?百ソルグとは、これまた大きくでたもんだ!いや、馬車の中で手足を伸ばしてのんびり休めるならばともかく、馬車の屋根席ですぞ?いいとこいって五十ソルグですな。これ以上はビタ一文だせませんわい」
「ぐぬぬ……じゃ、九十ソルグならどうですかな。こちらも、これ以上はさすがに負けられませんわい」
「いや、いいとこいって五十五ですな。御者たちがマルヴォカさんから賃金として大したもんはもろうとらんと酒場でよく管を巻いておるのは有名な話……つまりですな、御者たちの主な収入源は客の心づけのチップのほうなのですぞ。マルヴォカさん、あんた、一台の馬車に屋根席含め、一体何人お乗せになります?馬車の中に四人、詰めて五人くらいということもありましょうが、こちらの人らからは百ソルグ以上もの金をサービス料としていただくのでしょうが!そして、御者の隣にもうひとり、こちらからも百ソルグ、馬車の外のでっぱりのところに、ひどい時には八人ばかりも人が乗っとることがありますわな。そう考えた場合、しめて計千三百ソルグ以上もの金があなたの懐に入る計算になります!いやいや、あなたの事業がいかに大変で、むしろそのくらい儲からねば赤字になるという言い分もよくわかる……ですが、相手はこんな可愛らしいいたいけなモルモットなのですぞ?少しくらい負けてくださってもいいではありませんか!」
「ぐぬぬぬ……じゃ、八十ソルグだ!これ以上はいかにかわいらしいモルモットだとて、負けることはまかりならんぞ」
「いやいや、だったら六十ソルグだ。こちらもこれが限界といったところ……」
「ぐぬぬぬぬ……ま、よろしかろう。ですがまあ、出発時刻には遅れぬように注意してくださいよ。御者のほうでモルモットが一匹たりなかったからとて、そのまま出発してもこちらの責任ではないということだけ、ようく覚えておおきなさいますように!」
アンドルーさんはこの小さな商談がまとまると、くるりと奥さんとモルモットのほうを振り返り、ウィンクして見せました。実をいうと、ここへ来る前にすでに二軒、マーカス社やルーカス社の馬車屋を訪ねていましたが、二社とも食事は一回につき三ソルグ、宿賃は一晩五ソルグいただき、サービス料もこみこみで二百五十はいただかないと………いやいや、何をおっしゃいますやら、他の馬車屋を回ってごらんなさい、うちといいとこどっこいどっこいか、安かったら安かったで、ひどい食事付きのひどい宿へ泊まらせられるという、こういった具合なのですぞ――ということだったのです。それに比べるとマルヴォカ氏は比較的良心的な金額を提示したと言えたのではないでしょうか。しかもその値段をアンドルーさんはさらに値切ってみせたのです。
「アンドルーさん、それにアンナさんも……ぼく、なんてお礼を申し上げたらよいやら……」
「いいのよ、いいのよ!」
帰りに立ち寄った海辺沿いのカフェで、奥さんはカスタードプリンを三人分注文していました。ふたりはその前に「パンの中にプリンを入れたら売れるんじゃないかしら?」、「いやいや、そんなことはとても無理だよ、おまえ」などと、そんな話をしていたものです。
「わたしたちもモルモットちゃんのお役に立てて嬉しいわ!じゃ、今晩はまたうちに泊まって、明日の早朝出発ね。うちも朝は早起きだから、一緒にごはんを食べて、それからお見送りしてあげるわ」
「す、すみません。本当に何から何まで……でも、次回から馬車屋と交渉する時にはどうしたらいいか、どのくらいの値段が相場かもわかったような気がします。とにかく、ひとつの町に何軒も馬車屋があったら、すぐに決めてしまわないで最低でも何軒かは回ったほうがいいってことですよね。他にも、マルシェ(市場)では言い値で物を買わず、必ず値切ることが大切だということも大変勉強になりました」
「そうなのだよ」と、美味しそうな顔をしてプリンをスプーンですくいつつ、アンドルーさんが言います。「向こうも値切られることが当たり前なので、そう思って値段のほうはつけとるからね。ま、そうした交渉を通して客とちょいと話をするのも商売の醍醐味であり、商人の楽しみでもあるのだよ。うちのパン屋もそうだが『最近、旦那さんの具合はどうだい?』だの、そんなふうに一言いってもらえたら、またここでパン買おうかなって気になろうというものじゃあないか。大切なのはつまり、そうした人の心と心の通いあいということなのだよ」
「な、なるほど。ニンゲンの社会というのは森の動物社会などより、ずっと高度で難しいものなのですね……」
「あーもうっ!モルモットちゃんあんまり初心だから、あたし、またぞろ心配になってきたわ」と、隣に座るモルモットの肩をすりすりしながらアンヌさんが言います。「まあ、王都のアンティルダまではなんとかなるでしょう。それで、アンティルダのほうには息子のルカシュがいるし……ねえ、あなた。あの子はお金にこまい子ですからね、手紙にくれぐれもよろしくと、事細かくモルモットちゃんのことを頼んでも――1ソルグの得にもならないのに、なんで俺がこんなことを……なんていう、そんな心のない残念な子ですものね」
アンヌさんはほう、と溜息を着いていました。モルモットくんがきのう聞いたご夫妻の身の上話によりますと、長男のルカシュさんは、小さな頃から数学の天才としてアルマスではちょっと有名な子どもだったそうです。そこで王都の上級学校へやったところ、その後そちらの税務官の娘さんにぞっこん惚れ込み、そのまま結婚してしまったということでした。この娘さんのほうはとてもよいお嬢さんで、お義父さんのほうも面倒見のよい責任感の強い方だそうです。そして、子供さんが三人いて、孫は三人とも目に入れても痛くないほど可愛い……ということでした。ただ、次男のマルキシュさんは今もフラフラして、今この瞬間も生きているかどうかさえもわからず、普段はいないも同然なのに心配で、「いつまでも親のことを心配させる困った子」だということでした。
「ええと、ぼくはルカシュさんにご迷惑なようでしたら、自分のことは自分でどうにか……」
「そんなのダメよ!モルモットちゃん」と、アンヌさんはすりすりしていた手で、今度はモルモットの肩をはたいてきます。「王都はそりゃもうおっかないところなんだから!田舎者が馬車から降りてこようものなら(服装などでそれと知れますからね)、『都会にはまだ不案内だろ?にいちゃんよォ』なんて具合で、酒を飲ませてわざと賭けで負け、そうして信用してたら三日後にはスッテンテン……そんな連中が当たり前のようにうようよしてるのよ。とにかく、誰に話しかけられても無視して、まずはルカシュの家へまっすぐお行きなさい。そしたら、息子は父さんのしたためた手紙を読むまではちょっと渋い顔してるかもしれませんけどね(何しろあの子は超のつくドケチだから!)、奥さんと娘のアリスや息子のダヴィドやヘンリーに会いさえすれば、あとはもう完全に問題解決よ。四人とも、締まり屋のルカシュには常日頃からうんざりしてるから、そのあしらい方については実に心得ていますもの」
「はあ……」
心配そうにモルモットくんが溜息を着いていると、アンドルーさんが笑って励ましてくれます。
「こんな美味しいプリンを食べているのに溜息とは、これはいけないな。とにかく手紙のほうには『これも普段できない親孝行のひとつと思え』とか、色々書いておきましたから、問題ありません。あと、我が家の財産はわしとアンヌの死後、すべて次男のマルキシュのものにすると遺言状に書いてしまうかもしれんぞ、といったようにもね。まったく、神さまも数学の才能なんてどうでもいいから、あの子に義理人情というもののほうをもちょっと生まれつきつけておいて欲しかったものですな。ルカシュときたら、もう弟は船の事故か何かで死んだものと見なして、我が家の財産はすべて自分のものになると……会うたびに、何やら遠回しにそんな話をするという、そんな情け知らずの子なんですから」
「…………………」
これもまた、モルモットくんがきのう聞いた話によりますと、次男のマルキシュさんは今まで船の難に遭ったったことが七回、強盗の難に遭ったことが三回、投獄の難に遭ったことが二回あり、特に船の難では七回とも死んでもおかしくないくらいだったそうです。そしてそのたびに本人は陸へ上がり、「海とはもう縁切りだ!」と息巻いたように言うのですが、この陸のほうで何か問題が起きるごと、「やっぱりオレは海の男だ!」といったように言いだし、突然書き置きだけ残していなくなるというのです。そして、今はもう三年くらい顔も見ていない……という、そうしたお話でした。
「まったくもう、あの子ときたら……べつに小さい頃から兄弟仲が悪いということもなかったけれど、『母さん、マルキシュがいなくなって何年何月何日になるか、よく覚えておくんだよ』ですって。アルマスの法律じゃ、行方不明になって八年たてば、死んだものと見なして遺産の相続権は別の者に移るんだからね、なんてこう言うのよ。そんな年数、一体なんの意味があるかしら。とにかく、母さんの目の黒いうちは死ぬまであの子は生きてるものと思って待ち続けるわっていつも言っておくの。それに、事によったら突然ふらっと帰ってきて、奥さんでも隣にいるかもしれないものね」
「ま、それもルカシュの話じゃ『うちのルイーズみたいにしとやかじゃなく、とんだアバズレの娼婦崩れじゃなきゃいいが』ってことになるのかもしれんがな」と、アンドルーさんが肩を竦めて言います。「が、わしもあの子はいつかまた必ず帰ってくると信じとる。一文なしで隣に奥さんがいなくったっていいのさ。とにかく元気で生きてさえいてくれればな」
「…………………」
モルモットは再び黙り込みました。すでに大恩あるこのご夫妻に、せめても何か恩義に報いるようなことをしてあげたいという気持ちでいっぱいでした。けれど、お金も受け取ってもらえない以上、(自分はなんて無力なモルモットだろう……)といったようにしか思えなかったのです。
こうしてこの翌日、モルモットくんとディードご夫妻は朝の三時に起きると、ご主人は仕事があるので無理でしたが、アンヌさんが北の馬車街道の入口まで送ってくれることになりました。ちなみに、馬車の出発時刻は四時です。
このような早朝に王都へ向け馬車が出発するのはマルヴォカ社のものだけではありませんでした。ですから、まだ静かなアルマスの町のあちこちから集まった人々が眠たい顔をしつつ馬車乗り場のほうへ続々やって来ました。大体、並んだ馬車は七台ほどでしたが、集まった人々は老若男女、すでに五十名ばかりもいたでしょうか。
「じゃあね、モルモットちゃん。わたしとはここでお別れよ。だけど、覚えておいてちょうだいね。モルモットちゃんはただ一方的に恩義を受けるばかりで心苦しかったかもしれないけれど……この二日ほどの間、あたしもアンドルーもとっても楽しかったの。こんなに楽しかったのは、ずっと前に孫たちが遊びにやってきた時以来かしら。またここアルマスに来ることがあったら、『あのパン屋の親父とおばちゃんは元気かな』なんて、訪ねてきてくれると嬉しいわ」
アンヌさんはそう言って、モルモットくんのふかふかの体に抱きつきました。まるでこれが今生の抱きおさめだとでもいうように……。
「ありがとうございます、アンヌさん。またもしここアルマスへやって来ることがあったら、必ずおうちのほうへお礼かたがた寄らせていただこうと思っています。それと、アンティルダへ到着したら、必ず無事到着したことやルカシュさんのことなど、お手紙を書こうと思ってるので……」
「そうね、そうね!そうしてくれたらあたしもアンドルーも安心だわ。それじゃモルモットちゃん、旅の安全を微力ながら神さまにお祈りしているわね」
「ありがとうございます。ぼくも、行った先の教会などで、必ず奥さまと旦那さんのアンドルーさんのことをお祈りします。ご商売のさらなるご成功のことや、ご健康のことなど……」
「あら!モルモットちゃんにまで気を遣わせるだなんて、あたしたちはいけない人間だわね」
――こうしてふたりは、マルヴォカ社の馬車の停まった前でお別れしました。アンヌさんは最後に、仏頂面をした中年の御者に心づけのチップを渡し、その耳許に何か囁いていました。モルモットくんは馬車の外の屋根席に座っておりましたので、そんな様子のこともしっかり見えていたのです。この時も(何から何まで申し訳ないなあ)と思いましたが、アンヌさんの去り際にあらためて頭を深々下げることしか出来ませんでした。
アンヌさんがこの時、一体いくら御者に渡したのかはわかりません。でもそんなチップが功を奏したのかどうか、モルモットくんはアンティルダまで概ね心楽しく旅を続けることが出来たのです。
同じ屋根席には他に前と後ろの出っ張りのところに七人も人が乗っていましたが、みんなほとんど初対面であるにも関わらず――いや、むしろそれゆえでしょうか。屋根席のほうではいつでも何かと話が盛り上がり、モルモットくんとしても聞いているだけで何やら面白かったものです。
ただ、馬車の屋根には七人も人がいるにも関わらず、中の馬車席にはふたりしか人が乗っていませんでした。ひとりは豪華なドレスを着た若い女性で、上の「オレたち中産階級の小市民」らの話によれば、「アンテイルダのお貴族お譲さんでねえの?」とのことでした。そして彼女の向かい側には年のいったおじいさんが座っていましたが、その後次の町でわかったのは、このおじいさんがお嬢さんの屋敷に仕える執事だということだったでしょうか。
とにかく、モルモットくんの馬車の旅はこのようにしてはじまりました。果たして彼は無事王都アンティルダへ到着し、その後はロミュヌス王国にある<神秘の森>へ辿り着くことが出来るのでしょうか?モルモットの冒険の旅はまだまだはじまったばかりです。
>>続く。




