第6話 ドッペルゲンガーと危機意識
普段より少し早い時刻。
リリアナは夕焼けに染まる森の中を早足で歩いていた。
向かう先はいつもと変わらぬ場所。
自分のドッペルゲンガーがいる場所である。
「はぁはぁッ」
聖女リリアナは昨日から妙な胸騒ぎを感じていた。
理由はただ一つ。昨日あの子とした話の内容が気になっていたからである。
『あの子は生きることにあまり興味がなさそうだった』
そんなことないかのように穏やかに微笑んでいても分かる。
今まで苦しんでいる人を沢山見てきたリリアナにそれは見慣れすぎた顔だからた。
生きることに未練のない、ただ生きているから生きている者の顔。
リリアナはそんな顔をしている人を見るのが嫌だといつも思っていた。
その感情が人間としての哀れなのか、それとも聖女としての義務感なのかはよくわからない。
ただ確かなのは、あの子があんな表情をするのを見たくないということと、あの子があのままむなしく消えてしまうのを見たくないという気持ちだけ。
その想いだけは確かだった。
だからこそ焦ってしまう。
『あの子がいなくなっていたらどうしよう』
最初から土と水から生まれた命だ。
そのまま大地に溶け込んでしまっても何一つおかしくない。
それを考えるたび、リリアナは息が詰まるような気がした。
そしてその気持がリリアナの足をせき立てていた。
軽く歩いてた足取りはだんだん速くなり早歩きに、そしてそこからまた速くなってほぼ走りになっていた。
後には胸が苦しいのが優れない気持ちのせいか、それとも休みのない走りで息が詰まったせいか分からなくなっていた。
リリアナがいつもの森に着いたのは、彼女の肺と足が限界だと叫ぶ直前だった。
湖のすぐ近くまで来たリリアナは息を整え、いつも通りの優しい声で彼女の名前を呼びながら湖岸の方へ歩いていった。
「リリ……アナ!!」
穏やかに始まったリリアナの声が、最後には悲鳴に変わった。
理由は他でもない、自分の目の前に広がる信じられない光景のせいだった。
リリアナの2倍はありそうな巨体のオーガが、その背丈にふさわしい巨大な木の棒を自分のドッペルゲンガーに向かって振っていた!
今すぐにも命を奪われるかもしれない危険な状況。
しかしリリアナ自分とそっくりなあの子は反抗もせず、ただ自分に容赦なく振り下ろされる木の棒を見つめていた。
『ああ、ダメ!!』
リリアナはこんな状況をあらかじめ考えておかなかった自分自身を心の底から恨んだ。
同じ魔物とはいえ、魔物が魔物を攻撃することがないわけではない。むしろ自分の縄張りや同族を守るため、より残酷になるモンスターも少なくないのだ。
故に、たとえ同じ魔物であるドッペルゲンガーだとしても、魔物に攻撃されないという保証はどこにもなかった。
今、目の前に広がる光景のように。
今まで一度も見たことが無かったからって、油断しすぎた。
そんなことを考えながらも、声にならない悲鳴の代わりにリリアナの唇から出たのは、過酷な環境で鍛えられた聖交の呪文だった。
「女神よ、あなたの子をお守りください!守護の盾!!」
注文と同時に現れた金色の盾がオーガの攻撃を防ぎ、あの子を守った。
驚いたあの子の目が自分に向けられるのが視界に入った。
今すぐにでも驚いたはずの自分そっくりのあの子を慰めてやりたかった。
しかし今はそれどころじゃない。
「クルルーハッ!!」
リリアナのバリアーに攻撃を阻止されたオーガが、今度はリリアナ本人に狙いを変えた。
ドスン!ドスン!と響く足音がいつもより大きく感じられた。
今すぐにでも腰が抜けそうな悍ましい姿。
それを見ながらリリアナは心の中で考えた。
『もしここにいるのが勇者様や傭兵さんだったら、オーガなどすぐに倒せたはずなのに』
しかしリリアナは神官。
女神の祝福を受けた聖女だとはいえ、神官は防御と牽制に特化していて、命を奪うほどの力は持ち合わせていなかった。
自分にできることといえば、せいぜいオーガを村へ誘い込み、騒ぎを聞いて駆けつけてくる勇者様たちに助けを求めることくらいだ。
それだけが、あの子と彼女自身、二人が生き残るための道だった。
自らの無力さに身震いしながらも、リリアナはその場に崩れ落ちる代わりに、手に握った杖をぎゅっと握りしめ、叫んだ。
「こ、こっちにこい!こ、このブタヤロウッ!!!」
ブタヤロウ、なんて人生で初めて口にする汚い言葉。
傭兵ダンカンが使う挑発文句をそのまま真似してみたものの、下品すぎるのではと心配になった。しかしそれもほんの一瞬でこれでもオーガを挑発できなかったらどうしようという考えが頭をよぎった。
だが、そんな考えも束の間。
「クォォォォォッ!!」
煽りがうまく効いたのか、激怒して走ってくるオーガの姿をを見たリリアナは、素早くその場から離れながらリリアナに向かって叫んだ。
「……」
そう叫んだ後、疲れた足を動かして湖畔から離れるリリアナ。
オーガに追われながらも湖畔に残った自分の分身が気になり、後ろをちらりと振り返ったとき、彼女はなぜか湖畔にいるリリアナと目が合ったような気がした。
オーガに追われながらも湖畔に残る自分の分身が気になり、後ろをちらりと振り返ったとき、リリアナは湖畔に立っているリリアナと目が合った。
その目はなんの感情もなく、まるでガラス玉のようにただ透明だった。




