第1話 38歳、階段から落ちて16歳に戻った話
結論から言う。
俺は38歳で、酔って階段から落ちて、高校2年生に戻った。
しかも、「ごめん」を言われる文化祭の当日朝に。
まだ告白していない。まだ振られていない。
頭の中だけが38歳のまま、体は16歳だ。
(落ち着けアラフォー。)
(これは夢じゃない。本物だ。本物すぎて笑えない。)
まず何をするか。
38年間の記憶が、フル稼働した。
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話を最初から整理する。
38歳の俺の状況は、こうだった。
SEでリモートワーク。パワハラ上司。偽りの結婚。
半年前に知った。子供2人は、俺の子じゃなかった。
深夜の2時。ウイスキー3杯目。ソファで詰んでいた。
そこへ、スマホのタイムラインが流れた。
見覚えのあるアカウント名。
「kyo_n_xxxxxxxx」
(……京?)
プロフィールを開く。
アイコンは手書きっぽい服のイラスト。
一行だけ、書いてあった。
「服を作っています。ノンバイナリーです。東京在住。」
(——知らなかった。)
京。
橘京。
16歳の頃、毎朝の各駅停車で隣に立っていたやつ。
MDウォークマンの右のイヤホンを、無言で差し出してくれたやつ。
俺が「好きだ」と言って、「ごめん」と言われたやつ。
(20年間、何も知らなかった。)
ビールを置いた。画面を見つめた。手が少し震えていた。
(お前が感じていた「わからない」には、ちゃんと名前があったんだな。)
(ただ、あの時代にはまだその言葉が存在しなかっただけで。)
酔った勢いでDMに番号を送った。
そのまま電話をかけた。
「もしもし?」
声がした。20年ぶりの声が。
「リュウ?」
(落ち着けアラフォー。)
(名前を呼ばれただけで、これか。)
電話は10分ほど続いた。
「また話せる?」と聞いたら「まあ、気が向いたら」と言われた。
それで十分だった。
切れた。
立ち上がった。
足元がふらついた。
(あ。)
(やばい。)
廊下の段差に気づかなかった。
頭を打った。
痛みがあった。
それから——
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目が覚めたとき、天井が違った。
(……なんだここ。)
見覚えがある。ある、というか——
(俺の部屋。)
(実家?)
起き上がると、全身が軽かった。
異常なほど軽い。なんだこれ。
鏡があった。
覗いたら、知らない顔が映っていた。
(違う。知ってる顔だ。)
(俺だ。20年前の、俺だ。)
窓の外から音がした。喧騒。生徒の声。
「文化祭、今日だぞ!」
(文化祭。)
(文化祭の当日朝だ。)
(2005年9月。)
(あの「ごめん」の——まだ前だ。)
心臓が跳ねた。
壁のカレンダーを確認した。2005年9月。間違いなかった。
頭の中は38年分の記憶で、パンパンだった。
(俺は——まだ言ってない。)
「ごめん」は、まだ起きていない。
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鏡の前で、5秒だけ考えた。
38歳の頭で、何が使える?
未来の知識がある。
株価の動きを知っている。競馬の結果も知っている。
2006年1月にライブリンクショックが来ることも、2013年にビットリンクが爆発することも、全部知っている。
(使える。全部使える。)
会社員として20年分の経験もある。
会議の仕切り方、人心掌握、プレゼン技術、デートの段取り。
16歳の俺には一個もなかったものが、全部入っている。
(落ち着けアラフォー。)
(38歳の知識を持った16歳。無敵じゃないか。)
ただし——
一個だけ、絶対に変えてはいけないことがある。
この時代のキョンは、まだ何も知らない。
俺が好きだということも。
「性別:Xジェンダー(ノンバイナリー)」という言葉が、この時代にはまだ存在しないということも。
(お前が感じている「わからない」には、ちゃんと名前がある。)
(ただ、この時代にはまだその言葉が存在しない。)
(20年後、お前はちゃんと自分の言葉を見つける。)
(今は——待つだけだ。)
俺は今回、焦って告白しない。
ちゃんと準備してから言う。
それだけは決めた。
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制服に着替えながら、頭が回転し始めた。
やることリストが自動的に生成される。
38歳のSEの職業病だ。
**今日やること:**
①文化祭の出し物を把握する(記憶にない。まずここ)
②キョンと話す(元の歴史では全然話せなかった。今回は違う)
③自分の「変化」を最小限に見せる(急に変わると怪しまれる)
(③が一番難しいな。)
(38年分の落ち着きを持った高校生は、確実に浮く。)
立ち上がった。
窓から外を見た。旗が揺れている。準備に走り回る生徒が豆粒みたいに動いている。
あそこのどこかに、キョンがいる。
(落ち着けアラフォー。)
(今日から、やり直しだ。)
——そして俺は、ふと気づいた。
(あれ。)
(今日の文化祭、俺の出し物なんだったっけ。)
(頭の中が38年分あるのに、高校2年の文化祭の出し物だけが、なぜか出てこない。)
嫌な予感がした。
やり直しの初日から、もう詰んでいた。
38歳が酔って転んで16歳に戻りました。しかも告白前日。しかも出し物を忘れている。
次回——「かしこまりました」と言ってしまう高校生と、最初に「変わった?」と気づく子の話。
キョンは文化祭の翌日には気づいていた。フミは初日から気づいていた。リュウだけが気づいていない。




