第9話 交わる影
ギルドの掲示板に並ぶ依頼書を前に、ゼオンは腕を組んでいた。
薬草採取や小規模の魔物討伐は報酬が少ない。
一方で、高難度の依頼は今の立場では受けられない。
「……ふむ。街道の警備、か」
数日前から西方街道で商隊が襲われているという。
盗賊か魔物かは不明だが、報酬は悪くない。
「金になるなら十分だな」
札を剥がし、受付に差し出した。
依頼主は初老の商隊長だった。
馬車二台に積まれた荷は布地や保存食らしく、護衛が数名ついてはいたが、心許ない顔ぶれだ。
「助かります、冒険者殿。最近は妙に魔物が荒れていて、我々のような小商隊では太刀打ちできませんでな」
「気にするな。依頼を受けたからには責任を果たす」
ゼオンは淡々と答え、馬車の横を歩き出す。
配下の魔物たちは視認されぬよう影に潜ませてある。
街を離れれば、街道は緩やかに森の中へと続いていった。
昼下がりの陽光が木々の隙間から降り注ぎ、道の脇には野花が風に揺れている。
一見のどかな光景――だがゼオンの直感は、張り詰めた弦のように研ぎ澄まされていた。
(……静かすぎる。小鳥の声すら消えているな)
突如、空を裂くような甲高い咆哮が轟いた。
「な、なんだ!?」
商隊の護衛たちが慌てて頭上を仰ぐ。
黒い影が陽光を遮り、街道に覆いかぶさる。
翼を大きく広げた、二足飛竜――ワイバーンだった。
体長は四メートル近く、翼を広げれば倍以上。
鋭い爪と蛇のような尾、顎には無数の鋭牙。
竜種には遠く及ばぬとはいえ、並の冒険者数人では到底相手にならない強敵だ。
「ワ、ワイバーン!? なぜこんな街道に……!」
護衛のひとりが絶叫した。
ゼオンは剣を抜き、低く呟く。
「……なるほど。これが“街道の魔物被害”の正体か」
ワイバーンは旋回し、鋭い爪を振り下ろしてきた。
馬車の幌が引き裂かれ、積み荷がばらまかれる。
商人たちの悲鳴が響いた。
「怯むな。俺が前に出る」
ゼオンは一歩進み、影から数体の配下を呼び出す。
オークとウルフが咆哮を上げ、ワイバーンに突進していった。
だが相手は空を舞う飛竜。
鋭い翼の一撃でウルフが弾き飛ばされ、オークの棍棒は鱗に弾かれて火花を散らす。
「……やはり硬いな。下手に正面から削っても意味はない」
ゼオンは冷静に分析しながら動く。
自身の〈遺力〉――ウルフの俊敏性を借り受け、地を蹴ると視界が一瞬で流れた。
風を裂き、ワイバーンの背後へと回り込む。
「ここだ!」
ナイフが尾の付け根を斬り裂き、血飛沫が弧を描く。
ワイバーンが怒り狂ったように咆哮し、翼を乱暴に振り回した。
風圧で木々が揺れ、馬車が大きく軋む。
「ひぃっ、だ、駄目だ! もう終わりだ!」
護衛の一人が腰を抜かし、地面に尻もちをつく。
商隊長が必死に叫ぶ。
「しっかりしろ! 冒険者殿が戦ってくださっているのだ!」
だが彼らの叫びをかき消すように、ワイバーンは再び高度を上げた。
大きく口を開き、灼熱の吐息を溜め込む。
「……ブレスか」
ゼオンの表情がわずかに引き締まる。
炎が街道を呑み込まんとした瞬間――
「今だ、押さえろ!」
ゼオンの合図で、影から現れたハイオークが巨体で飛びかかり、ワイバーンの胴を組み伏せる。
火炎が横に逸れ、森の一角を焼き払った。
「ぐ、ぐぉぉおおお!」
ワイバーンが暴れ、ハイオークを振り払う。
しかしその隙にゼオンが駆け込み、喉元へナイフを深々と突き立てた。
鋭い悲鳴を上げ、ワイバーンは大きくのたうち回った後、地に崩れ落ちる。
街道に静寂が戻った。
焦げた木々の匂いと、血の生臭さが漂っている。
「……ふぅ」
ゼオンはナイフを払って鞘に収めた。
商隊の者たちは呆然と立ち尽くしていたが、やがて口々に歓声を上げた。
「す、すごい……!」「あの飛竜を……」
だがゼオンは彼らに答えず、ワイバーンの死体をじっと見つめていた。
(……普通のワイバーンではないな。動きがどこか不自然だった。まるで誰かに操られているかのように……)
その時、森の奥にちらりと黒い影が見えた。
ローブを纏った二つの人影。
こちらを一瞥したかと思うと、すぐに森の奥へと姿を消した。
「……なるほど」
ゼオンの口元に冷たい笑みが浮かぶ。
「セリス・アルヴェインの“調査”とやら……どうやら、他人事では済まなそうだな」
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