その77 綺麗ですよね、月
奥さんと白髪の少女の様子を見届けてから、今度は御者が口を開いた。
「部屋と布団は息子達が使っていたものがありますが、流石に足りませんね。どうしましょうか……」
「おいおいおっさん、気を遣う必要はねえって言ったろ。数が足りねえなら、俺達が我慢すればいいだけだ。なあ?」
ハオが同意を求めてきたので、ケイとサキは同時にうなずいた。
「はい」
「そうですね。問題はどういう組み合わせにするかですけど……」
サキの言葉に、今度は珍しくアスが口を開いた。小さな声で、ぼそりと独り言を言うような調子だったが。
「……わたしと彼女、ハオとそいつで組めばいい……」
アスは普段はサキのことをサトリと呼ぶが、いまは御者夫婦がいる為そう呼んだようだ。アスの提案に、ハオは腕を組んでうーんと唸りながら。
「ま、そうなるわな。俺としては可愛い黒髪ちゃんか、せめてアスと組みたいところなんだが……」
「……しね……」
「お、おいおいアスさん⁉ 冗談ですよ冗談! だから手に持ったその箸を下ろしてくれよ!」
本気で慌てたようにハオが言う。そんな様子を見て、皆は苦笑を浮かべているのだった。
そして就寝の時間。空いている部屋は二つだったので、男女で別れて四人は眠りにつく。
チクタクと時計の針の音だけがする中、やがて青年のいびきがケイの耳に聞こえてきた。青年のイメージに半ば合っているぐがーぐがーといういびきであり、寝相も良いとはあまりいえなかった。
だからというわけではないが、ケイは中々寝付けずにいた。いや、この異世界に転移してきてから寝付きが良かったことなど、考えてみればなかったかもしれない。
こっちに来てからもうかなりの時間が経っているはずで、前の世界とは違うと吹っ切れているところはあるはずなのに……。眠れない頭でケイはそう考えてしまう。
だからだろうか、ケイはふと起き上がると、熟睡しているハオを起こさないように気を付けつつ、そっと部屋を出た。外……静まり返った夜の街を歩きたい気分に駆られたが、流石に我慢する。
もしみんなにいないことが知られて、心配を掛けてはいけないから……そう思って。だから、向かうのは一階のリビングまでにしておこう。そこで眠くなるまでボーっとして、それから……。
「あ……」
「ケイさん……」
そんなことを考えながら廊下を歩いていたケイは、その途中でサキに出会う。廊下に佇む彼女は、そこにある窓から外の夜景、とりわけ空高く昇る下弦の月を見上げていたようだった。
「どうしたの? サキさん」
「……ケイさんこそ……」
「俺は何だか眠れなくて……」
「……実は、わたしも……」
「…………」
「…………」
サキもケイも寝間着ではなく、昼間着ていたのと同じ旅の服装だった。ケイは外套こそ脱いではいたが、サキは未だにフードをかぶっていた。寝間着を準備する余裕はなかったし、なるべく旅の荷物を減らす為に買うこともしていなかったから。
二人は廊下のその場で、背を壁にして並んで座り込む。何故だか二人とも、自然と膝を抱える格好になっていた。そのまま少しの時間、黙ったまま窓から月を見上げていた。
不意にサキが口を開いた。ぼそりと、まるで自分自身につぶやくように。
「イブさんや修道長さん、ユウナさんはいま頃寝ているでしょうか……」
ケイは彼女をちらりと見る。彼女は依然月を見上げていた。ケイも再び月を見上げながら答える。
「うん。だと思うよ。今日別れたばかりなのに、何だかもうずっと会ってない気がするなあ……」
あはは、と彼は照れ隠しをするように微笑む。しかしサキは月を見上げたままだった。
「……サキさん……?」
「……綺麗ですよね、月……」
「……うん……」