その75 静寂
「もしかして、あたしがここに来ることを最初から予想してたってこと? だけどあまりにも早すぎたのが予想外だったって言いたいの?」
「…………」
ユウナは答えない。まるでイブに教えても仕方がないというように。代わりにユウナは彼女へと片手をかざす。その手のひらに暗い魔法陣……影魔法の魔法陣が展開されていく。
「……いま貴方を彼らに会わせるわけにはいかないのです……それは今後の計画に……私達の計画に大きな影響を及ぼしてしまうかもしれません……」
「……っ⁉」
その魔法陣から先端が棘のように尖った影がイブへと飛び出してくる。影魔法は他の攻撃魔法と違って攻撃向きなわけではなく、どちらかといえば様々なサポートに向いた魔法だ。
だからその影の棘のスピードは、いまのイブでもギリギリ避けられる速さだった。彼女はとっさに地面を蹴って横に跳んで回避する。
しかしイブは見習いシスターであり、普段から身体を鍛えているわけではない。華奢な彼女の身体は回避した時の勢いを抑えきれずに、バランスを崩して地面に跪くような体勢になってしまう。
ユウナは魔法陣を浮かべた手のひらを横に動かして、再度イブへと魔法を使おうとする。イブもまた不安定な体勢になりながらも、ユウナへと手をかざして炎魔法の紅い魔法陣を展開した。
ユウナは自分を攻撃してきた。つまり、少なくともいまは応戦しなければいけない状況だ。
イブの炎魔法はまだまだ未熟であり、ユウナの影魔法と戦えるかは分からない。だがやるしかない。
「ファイアボー……」
イブが火球を撃ち出そうとした時、その足元から背後に伸びていた影が立体的に起き上がった。
「……私は影の魔法使い……全ての影は私の味方であり、夜は私の力が最大になる……」
「……っ⁉」
ユウナの手のひらの魔法陣に気を取られていて、イブは背後から迫る自分自身の影に気付くのが一瞬遅れてしまう。とっさに回避行動を取ろうとするが、時既に遅し。
イブは自身の影に飲み込まれてしまった。
「……っ⁉ ……っ!」
……っ。
影に口を塞がれてしまったのだろう、イブの声は外には漏れてこない。また彼女は影から脱出しようと必死にもがいているようだが、それすらも空しく影を破壊するには至らなかった。
やがて影は膨らんでいた形を小さく収束させていき、跡形もなく消え去ってしまう。そこにはイブの姿もまた残されてはいなかった。
「……殺しはしません……ですが然るべき時が来るまで、大人しくしていてください……」
ユウナは影を媒介にした転移魔法を使える。その影の転移魔法によって、イブを別の場所へと隔離したのだ。
「…………」
ユウナの身体もまた影に飲み込まれていき、転移していく。向かう先はこの王都を統治する者がいる場所……王宮。
王女やその関係者達はもう就寝しているだろう。だが側近であり、ユウナやミョウジンに指令を下しているフードの人物……ドゥはまだ動いて、彼女が外出していたことに気が付いているかもしれない。
とにかく、ユウナは自分がいま戻るべき場所へと戻っていく。ドゥに説明する内容を考えながら。
そして。再び夜の王都に静寂が訪れる。ユウナとイブの戦いはすぐに終わり、また付近には人もいなかった。その為、彼らの戦いに気付く者も、姿を消したことを見咎める者もいない。
夜の王都はただ静かに時間を過ぎさせていく。その夜、仲間を追って駆けつけた一人の少女が、跡形もなく姿を消した事実を飲み込むように。
彼女がその夜に奔走した記録は残らず、やがては人々の記憶からも消えていくだろう。
そしていつか、誰もが忘れて、思い出す者すらいなくなっていくに違いない。