その72 ……手掛かりは
「困っているのは分かる。だがね、やっぱり規則なんだ。教えたせいで余計なトラブルを招くわけにはいかないんでね」
「…………」
男の警戒心は強く、これ以上無理に聞き出そうとすれば官憲を呼ばれてしまうかもしれない。そうなったら面倒だ。仕方なく、イブは一旦引き下がることにする。
「……分かったわ。ごめんなさいね、無理言って……」
そしてカウンターへと背を向けて入口へと引き返そうとしたとき、不意にカウンターの向こう、組合の奥の方から声が掛けられた。
「ちょいと待ちな」
イブは振り返る。カウンターの男も振り向いていて、その視線の先には一人の白髪混じりの男がいた。
「財布を落としたんだってな」
「え、ええ……」
どうやら奥にある部屋で話を聞いていたらしい。
「それなら、こっちに遺失物届けは来てねえぜ。少なくとも、うちらには落としてないってことだな」
「…………」
「まあ、あるいはくすねた奴もいるかもしれねえが。とりあえず俺の知ってる組員にそんな奴はいねえな」
「……そう……ですか……」
財布の遺失物届けがないのは当然だ。イブがついた嘘なのだから。その男は親切で教えてくれたのは分かったが、彼女を元気付ける情報にはならなかった。
イブは頭を下げる。
「……ありがとうございます。他を探してみます」
「……見つかるといいな、財布」
「……ありがとうございます……」
もう一度礼を述べた後、イブは今度こそ入口の引き戸を開けて外へと出る。思いありげな男達の視線を受けながら引き戸を閉めていき……閉めた後、これからどうしようかとその場で立ち尽くしていた。
いまは夜で人通りは少ない為、戸の前で立つ彼女を見咎める者はいなかった。建物内の男達には気付かれているかもしれないが、彼女の心情を察してか注意はしてこない。
どうせ間もなく営業時間が終了するのだ。そうなれば嫌でも他に行くしかなくなる。男達はそう思ったのだろう。
(……手掛かりはなくなった……どうしよう……これから……)
いくつかの星が瞬く夜空を見上げながら、イブは途方に暮れてしまう。こうしている時間がもったいない、とにかく動かなければならない……気持ちはそう焦るのに、実際にどう動いていいのかが分からない。
イブにとってそんな無為の時間が無情にも流れていく中……閉めた引き戸の向こうから、先程の男達の会話が聞こえてきた。
「そういや、ホッソのおっさんはどうした?」
「お前もおっさんだろうが。ホッソなら客を自分ちに泊めるってよ。何でも通り魔から助けてくれた客で、泊まる所がなくて困ってたからってさ」
「親切だねえ、あいつも」
「違いねえ」
…………っ⁉