その五十二 ソニアさま、あなたはこの国の王女なのですから
「さて、困ったな……」
建物の陰に身を潜めながら、仮面の剣士は道の先にある王宮を覗き込む。
「ああするしか方法がなかったとはいえ、空間転移の指輪は壊れてしまったし……まさか自分の家に帰るのに苦労することになるとは……」
王宮の敷地は鉄柵で囲まれているし、鉄柵でできた門も固く閉ざされている。鉄柵を無理矢理乗り越えることはできなくはないだろうが、それではまるで侵入者のようだし、家族や警備の者たちを無闇に騒がせてしまうだろう。
これは自分のわがままが招いた事態だ。だから、無用な騒ぎや心配はかけたくなかった。
とはいえ困っていることも確かなわけで……このままでは、自分が部屋にいないことに気付かれて、遅かれ早かれ騒ぎになってしまうだろう。
「仕方ない……恥を忍んで門番に事情を話して……」
門番には他の者に言わないように口止めもしたいところだが、それは難しいかもしれない。
とにかく、意を決して王宮へと向かおうとしたとき、すぐ近くから声がかけられた。
「また退治屋ごっこですか、ソニアさま」
振り返ると見知った者がいた。いや厳密にはフードをかぶっているため顔は分からないのだが、かけてきた声音と漂わせている雰囲気は、仮面の剣士が知っている者のそれに相違ない。
「ドゥか。助かった。実は空間転移の指輪が壊れてしまってな、王宮の私の部屋まで帰らせてくれないか」
「…………」
仮面の剣士の頼みに、しかしフードの人物は応じることなく、ただフードの奥の視線を仮面の剣士に注ぐだけ。
無言のままのその様子に不安を感じたのだろう、仮面の剣士はおそるおそるといった調子で聞いた。
「もしかして……怒っているのか?」
「……そうならない理由がありますか?」
問いに問いで返したフードの人物に、仮面の剣士は反省するようにうつむいてしまう。
「……すまなかった……また内緒で王宮を抜け出したのだからな……」
「それだけではないでしょう?」
「……!」
ハッと、顔を上げた仮面の剣士に、フードの人物は続けざまに言った。
「偶然、外に出ていたユウナさんが目撃していました。斬り裂き魔に襲われていた者たちを助け、その斬り裂き魔を異空間に飛ばしたそうですね」
「……危険に身を晒したことはすまないと思っている……」
「そうであるならば、もう少し自分がどのような存在なのか自覚してほしいですね。ソニアさま、あなたはこの国の王女なのですから」
「だが……! いてもたってもいられなかったのだ……! 人々が斬り裂き魔に怯えているのに、私は王宮でドゥや護衛たちに守られているというのは……!」
語気を強める仮面の剣士に、フードの人物は動じない視線を向けるだけ。
「だとしても、です。ソニアさまが斬り裂き魔に殺されてしまえば、それこそ民は大いに悲しみ、そして斬り裂き魔への恐怖心はさらに強まってしまうでしょう」
「それは……」
「以前に私は言ったはずです。斬り裂き魔は、私と王宮の護衛たち、及び王都の官憲で協力して何とかすると。また斬り裂き魔以外の犯罪者や、人々に危害を加える魔獣などに関しても、私たちで対処すると」
「……そのことは、ちゃんと覚えている……ドゥたちを信じていないわけじゃないんだ……」
フードの人物の心配は充分に理解していた。だからこそ、強かったはずの語気は弱くなり、仮面の剣士は再びうつむいてしまう。
その様子を見たフードの人物は小さな息を一つつくと……言葉の端々から発していたかすかな怒気を消して、冷静な口調に戻って彼女に言った。
「……帰りましょう、ソニアさま。冷えた夜気で風邪を引かれても困りますし」
「……ああ。……ありがとう……」
二人のそばに縦長の黒い穴が現れる。仮面の剣士がそのなかへと入り、フードの人物が続いて、そしてその黒い穴は裂けた空間を縫い合わせるように閉じていった。