その三十三 出発前夜、それぞれの思い
その後。
少年は青年や、あとからやってきた修道会の者たちと協力して、戦いの痕跡が残っているギルドの修繕をおこなった。いつもは無言で興味なさそうな瞳の白髪の少女も、表情はそのままながら、散らかっているギルド内の清掃などを手伝っていた。行動しているそんな彼女を見て、よほど珍しいのか、青年は口笛を吹いたほどだった。
またギルドの主人たちも、ギルドの修繕のためにわざわざ戻ってきた彼らを見て、目を丸くしていた。
その修繕作業は夕食の始まる陽が落ちる頃合いまで続き……終わるころには、不思議と皆のなかで不思議な一体感や協力関係みたいなものが出来上がっていた。
そして修道会に戻って、夕食や風呂などの雑事も済ませて、皆がそれぞれの部屋に戻って夜も更けたころ……。
修道会のとある一室。その部屋の壁には絵画に入った額縁や各種の動物のはく製が飾られ、テーブルの上には煌びやかな輝きを放つ宝石の入った箱や豪華な装飾品が置かれている。
この部屋は昨日までジャセイが使用していた部屋だった。その部屋の床の片隅には隠しドアがあり……いまそのドアは開けられていて、地下へと続く階段が顔を覗かせていた。
この地下室はワインなどの酒類を貯蔵するために、ジャセイが特別に造らせたものだった。なかにあるいくつもの木製の棚には様々な銘柄のワインボトルや酒瓶が並べられていて、床には小さいながらも酒の入った木樽がいくつか置かれている。
その地下室のなかに、輝くような金髪をサイドテールにした少女……修道士見習いのイブがいた。
彼女はそれなりの広さがある地下室の中央に置かれた巨大な氷の塊を、険しく鋭い瞳で眺めていた。その氷の塊のなかにこそ、少年たちが協力して、やっとの思いで倒したチート能力者……ジャセイが閉じ込められていた。
「…………」
白目を剥き、顔をゆがませているその姿は、気絶したときそのままの状態で保存されていた。その状態は、戦いが終わったあとで、青年が自身の能力でここまで運んでいたときからのそれと、何ら変わりがない。
ジャセイの封印はいまもなお、無事に継続されているということだ。
「…………」
依然険しい目つきを崩さないまま、金髪の少女が目の前の氷漬けの男を見続けていたとき、背後から彼女に声をかける者がいた。
「イブ……」
彼女は振り返る。そこにいたのは修道長だった。彼は彼女の近くに来ると、同じように目の前にいる氷漬けの男に視線を注がせる。
「ハオさんの話では、この氷はたとえハオさんが死んだとしても自然には解けないようにしたということだった。わざわざ見に来なくても、心配する必要はないはずだ」
「……それはあくまであの変態が言ったことです。あたしはあの変態をまだ信じたわけではありませんから」
「用心深いな」
「それに修道長も、この地下室に来てるじゃないですか」
「私がここに来たのは、イブがこの部屋に入るのを見たからだ……と言っても、言い訳にしか聞こえないか。この部屋の近くまで足を運んだのは確かなのだから」
「……。修道長も不安になったということですね。氷が解けてないかどうか」
修道長はわずかにうなずいた。
「ああ。今日一日でハオさんとアスさんのことはそれなりに信じたつもりだが、それでもやはり不安になるものなのだな……私もまだまだ修行が足りないようだ」
「…………」
金髪の少女は修道長から氷の塊へと視線を移す。少しの間、彼らはそのまま氷漬けの男を見続けて……そして修道長が金髪の少女に言った。
「もう夜も遅い。部屋に戻りなさい。明日は朝早くにケイさんたちの見送りをしなければいけないのだから」
「ええ……」
彼らは地下室を出て、それぞれ自分の部屋へと戻っていった。
修道会の一室の窓が開け放たれていて、その上に位置する屋根に青年が寝そべっていた。夜空には星が瞬き、降ってきそうなその光点の海へと、青年は思わず手を伸ばしてみる。もちろん本当に星に手が届くわけではない。ただそうしたい気分になったから、そうしただけだ。
「こっちの星は綺麗だな……俺がいた世界じゃ、街んなかでこんなに見えたことはねえってのに……」
どこか感傷的になっていた青年のもとへ、小さな影が近付いてくる。青年へと声をかけるその影の正体は、白髪の少女だった。
「……ハオ……」
「アスか……」
目を向けてくる青年に、白髪の少女は無感情の声で言う。
「……チートレイザーたちに手の内を晒す必要はなかったはず……」
「仕方ねえだろ。少年たちはともかく、あの金髪は言わねえと引き下がらなかっただろうからな。アスのことを言わなくて済んだだけでもマシだ」
「……正直に本当のことを言う必要はなかった……」
吐息をついて、青年は星空へと視線を移す。
「少年たちとはこれから一緒に旅をするんだ。できるかぎり嘘はつきたくねえのさ」
「…………」
「それより見てみろよ。まるでいまにも降ってきそうなくらい大量の星だぜ。綺麗だよな」
「…………」
白髪の少女は夜空を見上げ、その無感情な瞳に綺麗な星の光が映し出される。
「……明日、王都に出発する……いよいよ、『やつ』の手掛かりがつかめるかもしれない……」
白髪の少女がつぶやく。静かななかに揺るぎのない意志が垣間見えるそのつぶやきに、青年も落ち着いた声で応じる。
「分かってる……」
「……チートレイザーたちに、殺すかどうか分からないって言った……」
「……あのときは、ああ言うしかなかったからな……」
その後、しばらくの間、二人は降ってきそうな星の海を眺めていた。
黒髪の少女の部屋。
ベッドに腰掛けて、彼女は両手を目の前に持ち上げると、静かに瞳を閉じて意識を集中し始めた。
(わたしのなかのサトリの力……コントロールしてみせる……一つだけ出るように集中して……)
手のひらが淡く光り、空白のウインドウが一つだけ浮かび上がる。
目を開けて、彼女がそれを確認したとき、コンコンと部屋のドアがノックされた。慌てて彼女はウインドウをしまい、ドアへと声をかける。
「誰ですか?」
「俺だけど」
それは少年の声だった。
「ケイさん……? いま開けますね」
彼女がドアを開けると、そこには照れたような表情の少年がいた。恥ずかしさを隠すように、彼は頭の後ろに手をあてながら、
「こ、こんばんは」
そのあいさつに、彼女もつられて、
「こ、こんばんは」
夜に部屋に会いに来るということで、どこか気まずい雰囲気のなか、二人は一瞬黙り込んでしまう。そして、
『あ、あの……』
二人同時に声を出して、気まずさに拍車がかかる。少女が言った。
「あ、ケイさん、どうぞ……」
「い、いや、サキさんから……」
「そ、そうですか……? あ、あの、どうしたんですか、ケイさん? こんな時間に」
「え、えーっとね、サキさんに言いたいことがあって……」
「わたしに……?」
「うん」
照れ笑いをする少年のことを少女が見つめたとき、彼はおもむろに彼女の手を握って、それを目の前に持ち上げながら、
「サキさん。俺は絶対に、サキさんの呪いを解いてみせるし、なにがあってもサキさんのことを守ってみせるから……!」
「あ……ありがとうございます……」
彼女はうつむいて、
「あ、あの……それを言うために、わざわざ……?」
「うん……どうしても伝えなくちゃいけないなって思って……とは言っても、呪いを解くってことは昼間言ったけどね……」
あははと少年は笑い、彼女から手を離すと、
「それじゃ、おやすみ。また明日ね」
「は、はい……おやすみなさい……」
手を振って去っていく少年に、彼女もうつむいたまま手を振り返す。
そしてドアを閉めて、彼女はそのドアに背中をもたれさせた。
うつむいたままのその顔には、ほんのりと朱色が差し込んでいた。