その二十九 俺は絶対にサキさんの呪いを解いてみせる!
修道会にたどり着いた少年が入り口の扉を開けたとき、なかから二人の男が話しているのが聞こえてきた。
「ジャセイさまに無断で奴隷たちを解放するなど……ジャセイさまに知られたらどうするのですか……⁉」
「そのことなら心配する必要はありません」
「何を言って……」
どうやら彼らのうちの一人は修道長らしく、もう一人のほうは初めて見るが、口振りやそれなりに年齢を重ねていることから察するに、おそらくはこの修道会で上の立場に属する人なのだろう。
奴隷を解放した本人である少年は、その話を耳にして、急いでいた足を立ち止まらせてしまう。入り口で自分たちのことを見ている彼に気付いた修道長が、話し相手に、
「とにかく、全て私に任せていてください。それでは」
そう言って少年のもとまで近付いてくる。
話し相手の男は修道長の背中を少しの間見ていたあと、
「全く修道長は何を考えているんだ……それにあんな、どこの誰とも分からない者を招き入れるし……全く……」
ぶつぶつと文句を言いながらその場から立ち去っていった。
立ち尽くしながらそれらの様子を見ていた少年に、近くまで来た修道長が声をかける。
「お疲れさまです。どうでしたか、返還魔法の使い手は見つかりましたか?」
「あ、その、ダメでした……」
「そうですか……。……破れた服についてはどうでしたか?」
「それも、王都にある王家専属の仕立て屋に依頼してほしいと……」
「王家専属の……?」
どういうことなのかと修道長が首を傾げたとき、息を切らした金髪の少女が彼らのもとまでやってきた。その後ろからは青年と白髪の少女の姿も見える。
金髪の少女は息を整えつつ、少年に言った。
「いきなりギルドを飛び出してどうしたのよ」
その言葉に、少年は思い出したようだ。
「あ、そうだった……! サキさんのところに行かなくちゃ……!」
そう言って、少年はまた駆け出した。その背中に金髪の少女が注意する。
「修道会では走らない……! 誰かとぶつかったり転んだらどうするのよ……!」
しかしその声が聞こえていないのか、少年はそのまま走っていってしまった。
「もう……!」
彼のあとを、金髪の少女も小走りで追いかける。そんな彼女を見て、修道長はやれやれと息を吐きながら、
「イブも走っているではないか」
そして入り口までやってきた青年たちに目を向ける。
見かけによらず体力があるのか、走ってきたというのに、白髪の少女は息を乱さずに平然としていた。逆に青年のほうが息を上がらせているくらいで、彼は入り口のそばで止まると、膝に手を置きながら息を整えている。
青年の息がある程度落ち着くのを待ってから、修道長が彼に聞いた。
「サキさんのもとまで戻るみたいですが……そんなに急いでどうしたのですか?」
「少年に聞いてくれ……」
疲れた声で青年は答える。修道長は遠ざかりつつある少年たちのほうを見やってから、
「私も向かいましょう。気になりますからね」
「そうかい……俺はもう走らないからな……疲れるから……」
ぼそりと青年がつぶやく。そのとき通路の向こうを歩いている修道士たちの話し声が聞こえてきた。
「ジャセイさまはどこに行ったんだろう?」
「そういえば朝から見かけてないな」
彼らに目を向けたあと、青年は修道長に小さな声で尋ねる。
(じいさん、あいつがいる場所……誰かに言ってないよな?)
(言えるわけがありませんよ……私たちもサキさんのところに行きましょうか……)
そして青年たちも少年たちを追うために歩き始めた。
黒髪の少女がいる部屋にたどり着いて、少年はそのドアを勢いよく開ける。
「サキさん……!」
びっくりした顔で黒髪の少女が彼を見る。彼女のそばには影の薄い修道女もいて、その修道女も無感情の顔を少年のほうに向けた。
さすがに走りすぎて疲れたのか、少年はドアを開けたまま、膝に手をあてて荒くなっている息を整えつつ、顔を上げて黒髪の少女に言った。
「お願いがあるんだけど……!」
「ケイさん? いったいどうしたんですか……?」
少年がそれに答える前に、金髪の少女も部屋までやってきて、彼と同様に息を整えながら、
「いい加減に……しなさいよね……ケイ……。ほんとに……もう……⁉」
そんな二人を見て、修道女はテーブルに置いてあった水差しから二つのコップに水を注ぐと、彼らにそれぞれコップを手渡していく。
「……とりあえず、これを飲んで落ち着いてください……」
「「あ……ありがとうございます……」」
二人がそのコップに口をつけていると、少し遅れて青年たちも部屋にやってきた。一同が部屋に入り、ドアを閉める。コップをテーブルに置いて、少年はさっき言っていたことの続きを言った。
「サキさん、お願いがあるんだ。サキさんのサトリの力で調べてほしいことがあるんだ」
「え……」
黒髪の少女は声を漏らす。
また少年の言葉を聞いて、何を言いたいのか察した青年が口を開いた。
「なるほどな、そういうことか。つーか気付くの遅くねーか? いや俺もいま気付いたけど」
「すみません。いろいろあったから、うっかり頭からすっぽ抜けてたんです」
「とにかく、それで返還魔法の使い手を探してもらうってこったな」
「それよりも大事なことです……!」
「へ……?」
目を丸くした青年から黒髪の少女へと、少年は視線を移して、
「サキさん。サキさんのサトリの力で、そのサトリを解く方法を調べてほしいんだ」
「…………っ……そ、それは……」
「サトリの力を使うことは難しいっていうのは分かってる……でも、サトリを解くために、いま一回だけ使ってほしい」
「……っ……」
彼に言われて、黒髪の少女は言葉に詰まったような表情を浮かべる。
また青年も感心したように言った。
「おお、なるほどな。何でも知ることができるのなら、それでこの呪いを解く方法を知ればいいってこったな」
「はい」
少年はうなずく。しかしそんな少年や青年とは対照的に、
『…………』
二人以外の、金髪の少女や修道長たちは皆一様に押し黙ったままだった。その様子に気付いた少年が彼らを見回しながら、
「え、みんな……?」
と声を漏らしたとき、金髪の少女が重々しく口を開く。
「……ケイ……あのね……」
「イブさん……?」
しかし金髪の少女がそれから先のことを言おうとする前に、黒髪の少女が口を挟んだ。
「分かりました……わたし自身は、まだ試したことはありませんし、いまならなにか分かるかもしれません……」
そう言う黒髪の少女に、金髪の少女が、
「待って、サキ。いま使ったらまた倒れるかも……」
「さっきよりももっと集中しますし、使うのも短時間だけですから……だから大丈夫です、イブさん。それに……」
黒髪の少女が白髪の少女を見やる。先ほど白髪の少女に言われたことが脳裏をよぎっていく。
(リスクを恐れてなにもしないか、リスクを信じてなにかをするか……決めるのは、わたし……わたしは……信じる……)
そして黒髪の少女は自分の胸元に手をあてた。ごくりと少年が息を飲み、金髪の少女は心配そうな瞳を向け、他の者たちも押し黙って見つめるなか……黒髪の少女は目を閉じて、意識を集中し始める。
数秒後、黒髪の少女の胸元に数枠のウインドウが浮かび上がった。少年たちが目を見張り、黒髪の少女も瞳を開けて、そのウインドウに表示されているメッセージを確認するが……それらのウインドウにはいかなるメッセージも表示されておらず、完全な空白があるだけだった。
「……は、あ……っ……!」
集中が途切れたのか、黒髪の少女は息を切らして前のめりになる。それと同時にメッセージウインドウも消えていった。
「サキさん……!」
「サキ……!」
ふらついた黒髪の少女の身体を、少年と金髪の少女が支える。二人に手を添えられながら、黒髪の少女は小さな声でつぶやいた。
「……やっぱり……」
「え……?」
そのつぶやきを聞いて、少年は疑問の声を出す。彼に金髪の少女が説明するように言った。
「さっき、サキのおじいさんの話をしたわよね。サトリの呪いを解くための方法をサトリ自身に尋ねるっていうのは、当時の司祭長さまたちも真っ先に思いついて試したそうよ……でも、いまサキがしたみたいに、やっぱりダメだったらしいの……」
「そんな……⁉」
そこで少年は思い当たった。金髪の少女を始めとして、どうして誰もこの方法を提案しなかったのか。試したところで、結末は分かり切っていたからだ。知らないのは少年や青年だけだった。
「……気にしないで、ください……ケイさん……」
やはりまだサトリの力を制御するのは難しいのだろう、額にうっすらと汗を浮かべて、息を整えながら黒髪の少女は言う。
「……母も試したことがあるそうですが、やはりダメだったそうです……おそらく、少なくとも現状、この呪いを解く方法はないのでしょう……ないものを知ることはできない、だから、メッセージが表示されないのだと思います……」
「……っ」
彼女の言葉に息を飲んで、少年は顔を伏せる。サトリの力自身ですら、それを解く方法を見つけることはできない。やはり黒髪の少女に、死ぬそのときまで制御し続けてもらうことしかできないのか……。
(そんな……そんなこと……)
少年がそう思っていると、金髪の少女が黒髪の少女に話しかけているのが聞こえた。
「まったく……また倒れたらどうしようかと思ったわよ。あんまり無茶はしないでよね」
「すみません……でも、祖父や母が調べたときよりも年月が経っていましたし、もしかしたらと思って……」
「それはそうかもしれないけど……」
「でも、分かったこともあります。以前よりも集中する必要はありますが、それでもなんとかある程度は操作できそうです。これなら、もう少しの間だけ、みなさんのお役に立てるかもしれません」
「あのねえ……使えば使うだけ寿命を縮めることになるのよ、分かってるの?」
現状をポジティブに捉えようとしている黒髪の少女に、金髪の少女が心配とわずかな怒りを含めた声を出したとき、おもむろに少年が顔を上げた。
「決めたよ……俺」
『え……?』
黒髪の少女を始めとした、その場の一同が彼を見る。少年のその瞳には、決意の光が宿っていた。
「俺はサキさんの呪いを解きたい。サキさんにばっかり負担はかけられないし、呪いのせいでサキさんには死んでほしくないから」
金髪の少女は少年に、以前言ったことと同じことを繰り返す。
「ケイ、あんたの気持ちは分かるけどね。呪いを解く方法がない以上、さっきも言ったように、サキに制御してもらうように任せるしか……」
「うん。イブさんの言っていることは正しいと思う。方法がない間、サキさんにはそうしてもらうしかないと思う」
「分かってるなら……」
「だけど」
黒髪の少女にまっすぐ顔を向けて、少年は決心したように言った。
「俺、サキさんが苦しんでいる姿を見ているだけなんて、やっぱりできない。それに、いま思いついたんだ。呪いを解く方法がないのなら、その方法を『考えれば』……『作れば』いいんだって」
『…………!』
少年の言葉に、その場の一同が目を見開いた。彼らに首を巡らせながら、少年は続ける。
「俺がいた世界では、難しい病気や新しい病気が出てきたら、それを治すための手術方法や薬が新しく開発されてたんだ。この世界だって、それまでにない病気が出てきたら、それを治すための回復魔法を開発すると思うんだけど……違う?」
皆を代表するように金髪の少女が答える。
「それは……そうだけど……でも……」
少年は黒髪の少女の手を握りながら、
「だったら……! 呪いを解く方法だって『作れる』はずだ……! いまはなくても、なんとかして『開発』できるはずだよ……! その方法を使って、俺は絶対にサキさんの呪いを解いてみせる!」
力強く、そう言った。