脳筋小僧の届かない想い
「やっぱりここかー」
ミキリアが魔法学校の宿舎の自分の部屋へ向かっていると、一階の廊下の窓の外からひょっこりとヨデヴァスが顔を見せた。
彼は友達であるフウレンとユイリが王都へ出てしまっているので、遊び相手がいなくて暇なのだ。
「なあ、ミキ。
何で領主館に戻って来ないんだよ。
俺、すぐ自治領に戻らなきゃならないからさ。
もっと手合わせしてくれよお」
ミキリアはヨデヴァスを睨む。
「あんたはもう少し大人になりなさい。
領に帰ったら領主の引継ぎがあるんでしょ?」
フウレンもユイリも王都で遊んでいるわけではない。
二人ともそれぞれ将来のために王宮で見習いとして働いているのだ。
勇者の血筋であるヨデヴァスの父親サンダナは王都にある本家の跡取りだった。
しかし放浪癖のある彼は王都を嫌い、ギードのいる商会に身を寄せていた。
それを利用したギードが国王陛下に進言して新たに設立した自治領の領主にしてしまったのである。
妖精ガンコナーのサガンはギードに頼まれて勇者サンダナの死後、彼の役目を果たしている。
領主であるサンダナは妖精のサガンが人族に擬態している姿なのだ。
本物の人族ではない。
それを知っているのはごく一部の者だけだった。
だがそれも、息子であるヨデヴァスが成人するまでと決まっていた。
「いくらサガン父様が自由になるためだからって、俺を跡継ぎにしなくてもいいのにさ」
サガンはヨデヴァスに跡を任せた後、勇者の姿ではなく完全に妖精ガンコナ―に戻って自由になる予定だ。
もうすぐ十三歳になるヨデヴァスは、そろそろ領主としての教育が始まる。
そのために自治領に戻らなければならなかった。
「俺、本当は帰りたくないんだ。 領主なんて俺には無理だよ」
「何言ってるの。 あなたじゃなきゃ誰が跡を継ぐのよ」
ミキリアは呆れた。
ヨデヴァスは窓をヒョイと越え、ミキリアの側へ寄る。
「なあ、ミキも一緒に行かないか?。
俺、お前がいてくれたら絶対、頑張るんだけど」
「嫌よ」
即答である。
ヨデヴァスが次期領主に決まってから何度も繰り返された問答だった。
二つ年上のミキリアはヨデヴァスにとって初恋の相手らしい。
だけど、ミキリアにはそんなことは関係ない。
「あんたみたいな考えなしのお坊ちゃんの世話なんて嫌よ」
ミキリアの双子の兄ユイリは、小さい頃からこの赤毛の少年の面倒を見させられていた。
勇者の血のせいか正義感が強すぎるヨデヴァスに散々振り回されていたのをミキリアはずっと見てきたのだ。
剣術はすでにそこら辺の騎士たちよりも強いヨデヴァスは、幼い子供よりも質が悪い。
その彼と共に行くことはミキリアには考えられない選択だ。
バタン
閉ざされたミキリアの部屋の扉をヨデヴァスはしばらくの間、ただ見つめていた。
「何だよ、皆して。 俺だってやればできるのに」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
ヨデヴァスは、ギードたちが『大神』との交渉から戻って来た後、本格的に血統魔法の訓練を受けることになった。
それまでも用意されていた訓練場の小屋で血統魔法を感じ取るという練習は行っていた。
七歳のヨデヴァスにすれば、ただ「感じる」ことで「理解する」魔法など、どうすればいいのか分からない。
サガンが魔法を使った場所で、その魔力の痕跡を感じようとただじっと佇んでいる。
「どう?、ヨディ。 何か感じた?」
その場所は危険な魔獣が出る地帯の中にある。
そのため護衛に付き添ってくれている母親のヨメイアに、首を振って答えた。
「ううん」
「そっか。 うん、大丈夫。 気にしないでがんばろう」
母親は明るく励ましてくれたが、ヨデヴァスは自分が情けなかった。
訓練場は幻惑の森の北東にある。
森の入り口のすぐ脇にヨデヴァスたちの館があった。
「坊ちゃま、お疲れ様でございます」
王都の本家を引退した爺やがこの館を取り仕切ってくれている。
「じぃじ」
涙を浮かべたヨデヴァスが見上げると、やさしい笑顔が返って来た。
「さあさあ、お食事の用意が出来ておりますよ」
「うん」
勇者の王都にある本家の執事長であった爺やは、私兵長でもあった。
ずっとヨデヴァスの父親であるサンダナと行動を共にしていた時期がある。
ヨデヴァスは部屋で着替えを手伝ってもらいながら話しかけた。
「じぃじ。 僕はやっぱり父様のような勇者にはなれない」
ボロボロと涙がこぼれた。
「何をおっしゃいますか。 まだまだ修行は始まったばかりでございましょう。
お父上様もそんなに早く会得されたわけではございませんし」
「ほんと?」
「ええ、お父上様も、それはもう苦労しておられました」
それを聞いてヨデヴァスの顔が少し明るくなる。
爺やさんの言う「父上」はサガンではなく、本物の勇者サンダナだ。
ヨデヴァスもそれは理解している。
育ての親であるサガンは女性にはやさしいが男性、特にヨデヴァスには厳しい気がした。
(いつか父様をあっと言わせてやる)
「じぃじ。 僕、がんばるからね」
老執事は孫というより曾孫の年齢であるヨディヴァスにそう言われて年齢のせいか、ほろりとする。
まだ幼い暗赤毛の少年の頭を撫でながら、ついうっかり、零してしまう。
「この分なら特効薬は必要なさそうですな」
しかし幸か不幸か、当時のヨデヴァスには何のことか分からなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
十二歳になったヨデヴァスはだんだん焦り始めていた。
幼馴染のユイリとフウレンは王都に出て、王宮で見習の仕事を始めている。
だけど自分はまだ血統魔法の修行も終わらせていない。
「王都へ行きたい?。 バカか、お前は」
父親のサガンにフウレンたちのように王宮で働きたいと言ってみたが、却下された。
長い歴史を持つ勇者の家系は亜流が多く存在し、ヨデヴァスの命を狙っている者が多い。
血族の中でも彼が最も血が濃く、血統魔法の発現の可能性が高いからだ。
ヨデヴァスは今はまだ中途半端なので精神的に付け入る隙がある。
子供のうちに、血統魔法が発現する前にと、彼を暗殺するにしろ取り込むにしろ、様々な者たちが狙っていた。
王都に行けば、そんな者たちを喜ばせるだけだろう。
今のところヨデヴァスは、父親の自治領と始まりの町の師匠のところを往復する毎日だ。
移動するにも本来なら馬車でひと月以上かかるところを移動魔法陣で一瞬で飛ぶ。
主要な町にはだいたい設置されているが、それを使って移動するのは金持ちが多い。
富豪の御曹司であるヨデヴァスは、そのお小遣いをバカ高い移動魔法陣の料金に使っているのである。
ミキリアと別れたヨデヴァスは、何を思ったのかオーリフのところへやって来た。
「えっと、ヨデヴァス様。 何か御用でしょうか?」
オーリフは部屋の扉を開けながら、目の前に立つ赤毛の少年にため息を吐く。
断れるなら断りたいが、相手は勇者一族の若様である。
物理的にも経済的にも断れる相手ではなかった。
「俺だって来たくて来たわけじゃねえ」
子供のころは素直な子だったが、最近は言葉遣いも乱暴になってしまっている。
そんなヨデヴァスを仕方なく部屋に入れると、オーリフは椅子を勧める。
「なあ、オーリフはいつもミキと何の話をしてるんだ?」
お茶の用意をしながら兄弟子は首を傾げる。
「どういう意味でしょう?」
うーん、とヨデヴァスも考え込む。
「俺はミキリアが好きだし、側にいて欲しいと思ってる。
だけど、どうも嫌われているみたいで、何を話していいのか分からん。
でも女性の中ではあいつぐらいしか俺の相手はしてくれないだろ?」
まだ子供の言葉とは思えない、とオーリフは思う。
「そんなことはないでしょう。
世界はヨデヴァス様が考えるよりも広く、人は多い。
まだ十三年くらいではすべてを知ることは出来ませんよ」
彼がミキリアに恋心を抱いていることは周りの誰もが知っている。
微笑ましく見ている者もいるが、オーリフにすれば妹弟子が迷惑がっているのも分かる。
「そうかなあ」
「まずは修行が先ではないですか?。
ご領主となられれば女性などいくらでも寄ってきますよ」
「お、俺は魔法剣士がいいんだ!」
ヨデヴァスはミキリア本人ではなく、魔法剣に憧れているようだ。
「それこそ、もっと修行されればご自身が魔法剣士となれるのではないでしょうか」
「え、俺が?。 なれるかな」
頬を染めてうれしそうに目を輝かせるヨデヴァスを、オーリフは窘める。
「ですから、修行なさいませ」
「うんっ」
飛び出していく後姿をやれやれと見送った。