老執事の微かな希望
ヨデヴァスは急いで自治領にある自分の館に戻って来た。
「じぃじ!。 俺は魔法剣士になることにする」
鼻息荒く帰って来た若様が何を言い出したかと、出迎えた老執事は怪訝な顔をする。
「そのためにも修行が必要だ」
「ええ、そうですが。
今はお母上様のヨメイア様がいらっしゃいませんので、修行場には行けませぬよ」
「え、そうなの?」
ヨメイアはタミリアと一緒に聖騎士団の遠征に出掛けてしまったのだ。
「いつ帰って来るの?」
「さあ、伺っておりませんが」
今回の遠征には正確な期限が無かった。
「お、俺、せっかくやる気になったのに」
ヨデヴァスはしょぼんと肩を落とす。
最近の彼の実力を知る者たちにすれば、危険地帯の魔獣など敵ではないと思われるが、修行場では別だ。
小屋の中で何もせずに、じっとその場で魔力を読み取る修行なのである。
それに集中している状態では何かあっても気付くのが遅れ、すぐに対処出来ない。
「何人か護衛の兵を付けましょうか?」
老執事が聞いてくるが、ヨデヴァスは彼らも仕事があることを知っている。
「うーん、大丈夫。 ちょっと様子を見てくるだけだから」
駆け出して行くヨデヴァスの姿を老執事は心配そうに見ていた。
ヨデヴァスは危険地帯にある兵士の訓練場に来ていた。
ここにギードが結界で作った修行場がある。
その結界の小屋に入れるのはヨデヴァスと母親のヨメイアだけだ。
「俺がこの中にいる間は魔獣も手を出せないはずだしな」
一人で来ることは禁止されていた。
ここまでの出入りが危険なのであって、中に入ってしまえばヨデヴァス本人には危険はない。
ヨデヴァスは安易にそう思い込んだ。
中に入って扉を閉めると、ヨデヴァスはいつものように瞑想を始めた。
しばらくして、結界に囲まれた小屋がガタンっと揺れた。
「え、何?」
慌てて扉を開くと、小屋を踏みつぶしそうなくらい大型の魔獣がヨデヴァスを見下ろしていた。
「若様!」
護衛の装備を身に着けた元兵士長である老人が駆けて来るのが見える。
「じぃじは来るな!」
これくらいの魔獣ならヨデヴァス一人で対処が可能だ。
しかし、今は手元に剣を持っていなかった。
修行場に入った時に外して床に置いたのを忘れていた。
「くそっ」
ガキンッ
魔獣の牙を受け止めたのは老兵だった。
「ヨデヴァス様!。 早く小屋にお入りください!」
中にいれば大丈夫だというのは分かっていた。 それに剣を取って来ないと戦えない。
「じぃじ、待ってろ!、すぐ戻る」
ヨデヴァスは慌てて小屋に戻り、剣を拾うとすぐに外に出た。
目の前で老兵の身体を引き裂こうとする魔獣の爪が見える。
「うわあああああああ」
ヨデヴァスの剣は一振りで魔獣の身体を真っ二つにした。
「はぁはぁ」
ヨデヴァスは大きく肩で息をして、老人を見る。
倒れている彼は血に濡れていた。
「じぃじ!。 大丈夫か、すぐに治すからな」
「大丈夫でございますよ、若様。 これは魔獣の血でございます」
しかし、ヨデヴァスにも彼が怪我をしているのが分かる。
「黙ってろ!。 俺はちゃんと魔法も使えるんだ」
これでも白い魔術師ハクレイの弟子なのだ。 傷を塞ぐくらいは出来る。
老執事を担いで館に運ぶ。
二人の姿を見た獣人の使用人たちが慌てて準備をしてくれた。
応急的な処置は済ませてあったので、部屋に運んで着替えさせたりしてくれる。
ヨデヴァスが爺やの部屋で眠る姿を見守っていると、ミキリアたちと同年代で白い狐獣人であるヴィキサがやって来た。
「ヨデヴァス様、また無茶をなさったのですね」
彼女は獣人では珍しく豊富な魔力を持ち、教会の巫女として怪我や病気の治療、子供たちの教育係りをしている。
老執事の怪我を見た誰かが彼女を呼びに行ったのだろう。
「ヴィー、そんなことはどうでもいい。 じぃじは大丈夫なのか?」
言葉は乱暴になったが、ヨデヴァスは基本やさしい少年だ。
ヴィキサは横になっている老人の手を握り、身体の具合を確かめる。
「怪我はたいしたことはございませんね。 ただ何分ご高齢ですから」
微笑んでいたヴィキサの顔が少し暗くなる。
それを見たヨデヴァスの顔も青くなった。
「な、何か良い薬とかないのか?。
そうだ、魔法。 元気になる魔法とかないのか!」
その言葉には寝ていたはずの爺やさんが微笑んだ。
「じぃは若様がご立派になられた姿を見れば、すぐにでも元気になりますぞ」
「え」
ヴィキサもフフッと笑う。
「そうですわね。 ご老人を安心させるためにも一日も早くご領主らしくなられるのがよろしいかと」
そうすれば老執事だけでなく、領地の皆を喜ばせることになるだろう。
ヴィキサと爺やにそう言われると、ヨデヴァスは何も言えなくなった。
「わ、わかったよ」
でも今はヨメイアがいないので、彼女と同じくらいの実力者がいなければ修行場には近寄れない。
今回のことでヨデヴァスはそれを思い知った。
「そういえば、昔、『特効薬』があるって聞いた覚えがあるんだけど」
ヨデヴァスはうろ覚えだったが、爺やの顔を見ていたら急にその言葉を思い出した。
「ええ、あるにはありますが。
ギード様が厳重に保管なさっておいでです」
否定されなかったことで、それは存在するのだと確信する。
「じゃ、ギードさんに聞いてくる」
「は、若様、お待ちください。 あいたたた」
またしても飛び出していく脳筋小僧。
その後姿をヴィキサと老執事はため息を吐いて見送った。
森の北東の入り口にある自治領主の館から、中央にあるギード商会の館は近い。
しかし森の中は足元があまり良くない。
ぜえはあと息を切らせて、ヨデヴァスはギードの館に到着した。
館の中に入ると商会の従業員である金目のケット・シーの少年が出てきた。
「ヨデヴァス様、何か御用でしょうか?」
ギードに会いたいと言うと彼は首を傾げた。
「それが最近、商会長様はお部屋から出て来ないんですよね」
そう言いながら地下にあるギードの部屋の入り口を指す。
「行ってみる」
そう言うとヨデヴァスは地下への階段をそろりと下りた。
本来ならギードの結界に弾かれる。
しかし現在は無防備な状態だった。
ぼんやりとした顔のギードが大きな会議用の円卓に一人座っている。
仕事をしているわけでもなく、目線もどこを見ているのか分からない。
そんな異様な光景も、自分のことしか頭にないヨデヴァスにはどうでもいいことだった。
「おじさん。 ねえ、ギードおじさん」
ギードをおじさんと呼ぶのはヨデヴァスくらいである。
「あ、ああ、ヨディ」
「あのさ。 じぃじが『特効薬』があるって言ってたんだけど。
ギードおじさん、持ってる?」
「はあ。 それって勇者の『特効薬』かな」
ヨデヴァスの胸がドクンと高鳴る。
「う、うん。 じぃじがもらっておいでって」
ここからは自分の作り話だ。 ヨデヴァスは冷や汗が流れるのを感じる。
「ふうん」
相変わらずギードは何もない空間を見つめていて、ヨデヴァスなど目に入っていない。
「あのさ。 サガン父様もきっと喜ぶと思うよ」
自分が信頼しているサガンの名を聞いてギードがピクリと反応する。
「……分かった」
立ち上がると地下室の壁の一部に手を当てた。
何もない場所に扉が現れ、ギードはその中に入って行く。
ヨデヴァスも後に続こうとしたが何かに弾かれて入れない。
しばらくして戻って来たギードは陶器の黒い小瓶を持っていた。
「はい、どうぞ。 でも効果はあまり期待出来ないよ」
「ありがとう」と受け取りながら、ヨデヴァスは興奮していてギードの言葉など聞いていなかった。
そしてまたしても飛び出して行く。
行き先は自分の館ではない。
ヨデヴァスは商会の館のすぐ近くにある泉の神殿へ向かった。
神殿は神の住む神聖な場所だ。
静かな場所にヨデヴァスの走る足音だけが響く。
地下へと下りるとそこには移動魔法陣があった。
管理している教会の係員に大金を払うと、すぐに魔法陣が起動する。
ヨデヴァスが向かったのは始まりの町にいるミキリアのところだった。
この町の領主館の地下に森の神殿直通の移動魔法陣が設置されている。
普段は町の広場にある移動魔法陣を使うが、今は大切な物を抱えているのでこちらを使った。
一旦そこに出たヨデヴァスは領主館の一階へ上がり、そこから外へ出なければならない。
使用人たちが何人もいる場所を通る。
「あ、こんにちは」
ヨデヴァスが会釈をしながら足早に廊下を歩いていると、ふいに声をかけられた。
「ヨディ、お前はここで何をしている」
それは勇者サンダナに擬態しているヨデヴァスの養父、妖精ガンコナーのサガンだった。




