懐かしき再会
襖を乱暴に閉めて、数歩歩きだした時点で俺は後悔していた。
『共和国』大統領にあんな口をきいて、俺は生き残れるのだろうか?
それに、クロードさんや尾上さんの顔も潰してしまったのではないだろうか?
俺の一時の感情に任せて。ヤバイ、これは。
「……あの爺さんが気に食わねえのは確かだけど、ヤベえなこれは……」
しかし、今更頭を下げるのもどうかと思う。プライドの問題だとかではなく、一度謝れば際限なくそこに付け込んでくるような気がしていた。あの狡猾な爺さんは、そんな雰囲気を漂わせている。迂闊に頭を下げたら、すべてが終わる。
どちらにしろ、俺のスタンスは変わらない。戦争だの、何だのと、そんなものはどうだっていい。この世界の命運をどっちが握るかなんて、好きにしてほしい。だけど、人は守る。『真天十字会』が人々を虐げるというのならば、俺はそれに立ち向かう。
けれど。一度捨てかけたジレンマが、再び俺に襲い掛かってくる。
『真天十字会』の構成員たちは、《エクスグラスパー》はともかくとして一般の構成員は食い詰めた農民たちで占められているという。決して人を殺したくて殺している人じゃない、手に入れた圧倒的な力に酔い、行く先を見失っているだけとも言える。
《エクスグラスパー》にしたって、彼らがこの世界で戦っているのには何らかの事情があるはずだ。それをひっくるめて悪と断罪することが、俺には出来るのか?
この血に塗れた手で、悪を選定する権利など、果たして存在するのだろうか?
「……ああ、ちくしょう。何だか、分からなくなってきちまいやがる……!」
こういうファンタジー世界には、絶対的な悪の魔王だとかそう言うのがいるもんじゃないのか? それを正義の《エクスグラスパー》が倒して、一件落着めでたしめでたし。命懸けで戦ったらみんなに祝福されて、彼女が出来ました……
正義ってなんだ、悪ってなんだ。
守るべきものっていうのは、いったい何だ。
中学生の妄想じみた考えだが切実だ。悩んでいるうちに人が死んでいくんだから。
そう分かっていても、割り切ることなんて出来はしなかった。
「罪を背負って戦う、か。そんなこと俺に出来るんだろうか……」
救うことと奪うことのジレンマ。それを背負って戦うことを決意したヒーローがいた。それはテレビの中の存在だったけれど、俺の心の中に鮮烈な印象として残っている。そして向こう側の世界で、同じように戦うヒーローの姿を本当に見た。彼らのようになりたい。誰かを救える人になりたい。俺はそう思っていた。
「それではソノザキ、また会おう。今度はお前がおごってくれよ?」
「気が向いたら、そうしてやるさ。それじゃあな、クラウス」
思いがけず懐かしい名前を聞いた。そう思って顔を上げた俺の心臓は跳び上がりそうになった。三人の男が、俺の目の前にいた。士官用食堂から出てきたところから見ると、それなりの高位者なのだろう。そのうち二人は騎士だったが、もう一人が問題だ。
背の高い男だった。百八十センチ以上はあるだろう。日本人離れした鼻筋の高い顔立ち、鍛えられ、引き締まった肉体。現地の物であろうコートを纏っているが、何となく彼はこの世界の人間ではないように思えた。《エクスグラスパー》だ。
昔、俺はこの人を見たことがある。いや、一緒に遊んでくれたことさえあった。
「あの……すみません、あなた。園崎さん、って言うんですか?」
思わず、俺は声をかけていた。
その人は不思議そうな顔をしながら振り返って来た。
やはり、そうだった。
成長してはいるが、あの時の印象がまだ残っている。
「やっぱり……真一郎さん。あなた、信さんでしょう?」
彼はその言葉を聞いて、何かを思い出すような仕草をした。
「俺……紫藤善一です。あなたの妹さんの、美咲さんの幼馴染の……」
美咲。その名前を聞いた瞬間、彼は俺のことを思い出したようだった。
思いがけず再会した信さんの部屋に俺は招かれた。
やはりここは高級士官のための部屋だ、この城の中にあってさえ豪華さが見て取れるのだから。畳敷きの部屋であり、品のいい丸テーブルに書き物机、丸い窓に生けられた花の数々。下士官用の部屋に荷物を置いて来たから分かるが、ここは贅の限りを尽くして作られた部屋だ。
「まさかこちらの世界に来て、知り合いに会えるとは思ってもみなかったよ」
信さんは薬缶に水を注ぎ、部屋の真ん中に備え付けられた囲炉裏にそれを置いた。火を付けるのに苦労しているようだったので、それは俺が手伝った。ほのかな温かさが部屋中を包み込んだ。俺は信さんの対面に座った。
「お久しぶりです。都市圏の大学に通っている、と聞いていたんですけれど」
「こっちこそ。キミは死んだと、そう聞いていたんだがな」
やはりそうなっていたか。俺はあっちの世界で死んで、そしてこっちに来たのだ。
「キミの葬式にも出た。かなりひどい状態になっていたそうだから、死に顔を見ることも出来なかったが……美咲の悲しそうな顔を見るのは、とても辛いことだった」
いままで分かってはいたが、あえて意識はしないようにしてきた。そして理解していることとはいえ、自分の死に姿を想像するのは心に悪いことだった。そこで俺は信さんを制して、話を中断させた。俺が聞きたいことは、また別にあったからだ。
「あれから美咲はどうなりましたか? あいつ、その、自殺しかけて……」
俺がそう言うと、今度は信さんが渋面を作った。重苦しい口ぶりで、言った。
「あいつはキミの葬式が終わった後、自殺した。
港湾部の桟橋に、遺書と一揃えの靴が残っていた。
死体も上がらなかったが、警察は死亡したものと判断しているよ」
頭がくらくらした。どうすればよかったんだ、俺はあの時。
結局俺に出来るのは、死を先延ばしにすることだけなのか?
命を賭けたって俺には何も助けられないのか?
「……どうしたんだ、シドウくん。顔色が悪いようだが……」
俺の顔色が変わったことを察して、信さんは俺の顔を覗き込んできた。いけない、こんなところで心配をさせては。俺は弱気を振り払って、信さんの顔を見つめ返した。
「いえ、何でもありません。ところで、信さんはどうしてこちらに?」
それは俺が本心から気になっているところでもあった。まさか、美咲の自殺にショックを受けて彼も自殺してしまったのだろうか? そう思ったが、違ったようだ。
「雨の日のことだ。子供がトラックに轢かれそうになっているのを目撃した。
子供が被っていた雨合羽は黒っぽかった。反射板は着いていたが、恐らく保護色になっていたり、ライトの光に被ったりして運転手からは見えなかったのだろう。考えている暇はなかった」
「じゃあ、信さんは子供を助けようとしてトラックに轢かれて?」
そう考えたが、信さんは苦笑しながら首を横に振った。
「いや、俺はトラックに轢かれてないよ。
子供を突き飛ばして、でも少しばかり時間はあった。端に避けられるほど長い時間じゃなかったがね。だから仕方がない、俺はトラックを飛び越えることにしたんだ」
「トラックを飛び越える、って……え? そんなこと、本当に出来るんですか?」
「出来るよ。トラックと言っても軽トラックだったからね。車高はそれほど高くない。
横回転のジャンプを打って、でも飛距離が足りないから軽トラの天井を打ってもう一回跳んだ。確実に避けきった、そう思ったんだが……俺の前に黒い穴が開いていたんだ」
「穴、ですか。っていうことは、それを潜ってこっちの世界に現れたって……?」
信さんは微妙な笑顔を作って頷いた。信さんの言葉はにわかに信じられないものだったが、しかし俺は信じてみようと思った。長い間会ってこなかったが、こんな下らないことで信さんが嘘を吐く様な人ではないことは分かっていたからだ。
信さんは真面目で、ひたむきで、尊敬に値する人だ。
誰に対しても分け隔てなく接し、正しいことを信じて生きている人だった。
俺が間違っていることをすれば必ず叱られたし、その矛先が向かうのは俺たちだけでなく、大人にだってそうだった。そして、必ず勝利を掴み取って来た。
だからこそ、俺は信さんのことを信じてみようと思った。
「しかし、こう言う世界に来るのって普通、トラックに轢かれてからじゃないですか?」
「俺はそう言うのはよく分からんが……そういうものなのだろうか?」
「少なくとも、トラックを飛び越えて異世界に飛び込んできた人はいねーと思いますよ」
俺は笑った。信さんも笑った。無理に笑っていることは確かだったが、けれども本心から笑っている部分も確かにあった。久しぶりに会えた友達は、俺の心を癒してくれた。
「ん、あっと……もうこんな時間なのか。すいません、信さん。俺そろそろ行かないと」
「この世界の時間が読めるのか。かなり苦労しているな、シドウくん」
「こないだ時計無くしちまいましたからね。なので、思い切って覚えようかと」
とはいえ、日時計なので時間はかなり適当だし、地域によって当然差異も出てくる。それでもいまは大体この時間、というのが分かるのは大きかった。何より、この世界の人との待ち合わせに遅れないで済むようになったのは大きいだろう。
「あの、信さん。またお会いすることって、出来ますよね?」
「俺もちょっと探し物をしなきゃならないから、少しの間ウルフェンシュタインを空けるようなことがあるかもしれない。けど、必ずまた会えるさ。二度と会えないわけはない」
信さんは向こうの世界と変わらぬ笑顔で俺の言葉に頷いてくれた。
俺は最後にもう一度だけ、信さんに深々と頭を下げ宛がわれた部屋へと戻って行った。
「……この世界にいるってことは、信さんも《エクスグラスパー》なんだよな。
しかも、『共和国』の高級士官扱いってことは……かなり強いんだろうなぁ」
あるいは、トリシャさんのようにその能力が『共和国』にとって有用であるかだ。
いずれにしろ、やっぱり信さんは凄いと思った。
あの人は向こう側でも傑出していた。




