皇城死闘:後編
「貴様……! よくも俺の仲間をやってくれたな……!」
「あっ、ああぁぁっ……! か、顔が……私の、私の顔がぁーっ!」
ディノの憎悪に満ちた呻き声と、リチュエの叫び声とが重なり合った。吹き飛ばされた御神は空中で体勢を立て直し着地、リチュエの方を見た。彼女の顔は焼け焦げていた。醜い火傷が、濃い化粧を溶かし彼女の右頬を覆っていた。
「もう、もうやだ……! 何で、何で私がこんな目に遭わなきゃなんないのよ!」
「冷静さを失うな、リチュエ! 敵の思うつぼだぞ、その動揺はな! 冷静になれ!」
「うるさい! 元はと言えばあんたたちが悪いんでしょ、私をこんな、こんな……」
リチュエは後ずさった。
ディノは動けない、目の前にクロードがいるからだ。
「こ、こんなの付き合ってらんないわよ! 戦争ごっこなら勝手にやりなさいよ!」
リチュエは踵を返して逃げて行った。トレードマークとしていた傘さえ放り出して逃げ出している、余程狼狽していたのだろう。ディノは苦々し気に舌打ちした。気を張り詰め、何とか立っていた御神だったが、彼女の後退とほぼ同時に気を失った。
「所詮は花と夢の世界で生きて来た女子か。軟弱極まる。そうは思わんか?」
ディノの全身が、再度膨張したようにクロードには思えた。力士の基本技だ。
「そうは思いませんよ。戦いから逃れたいと思うのも、戦いたくないと考えるのも」
「はっ! 軟弱極まる思想なり! 貴様の口からそれが出るとは、失笑を禁じ得んぞ!」
「あなたが僕をどのように思っても結構。ですがそれを押し付けないでいただきたい」
ノーモーションでクロードは掌打を打った。ディノの肉体にぶつかり、金属音が上がる。今度は止まらない、何度も、何度も、何度も。クロードはディノに向かって拳打を放つ。ディノの顔色が、にわかに変わる。彼の体が、どんどん後方に下がっていく。
「やはり強いな……だが、だからこそ分かっているだろう! 貴様に俺は倒せん!」
分かっている。クロードの脳裏に焦りが浮かぶ。自分の打撃力では、ディノの『砕けぬ金剛石』を突き破るだけの力がない。肉体強度は如何ほどか? 鋼鉄を遥かに上回っているだろう。ガトリングガンの斉射でも、この男を殺すことは出来ないだろう。
ディノが動いた。巨大な掌をクロードの打撃に合わせている。すべてを防ぎきっているわけではもちろんないが、ディノという男が単なる筋力バカではない、俊敏さを持ち合わせた暗黒アスリートであることの証明であるようにクロードには思えた。
「生と死の境界線、そこにこそ闘争の本質がある! 俺はアスリートではない、ウォーリアーだ! そして鍛え上げた肉体は、闘争の世界で十分に通用するものだぞ!」
ディノが張り手を繰り出した。クロードの頬を、ディノの張り手が掠めた。何たる瞬発力、何たる膂力。思えは傷を負ったのは久しぶりだな、とクロードは思った。
「見せてみろ、貴様の全力を! 貴様の持つ、殺人技のすべてを! 一目見た時から分かっていたぞ。貴様はウォーリアーでさえない、殺しを生業とするソルジャーだと!」
ディノが不意に腰を落とし、ショルダータックルを仕掛けて来る。クロードは後方に跳び、それを回避。しかしそれがマズい。ディノが突進を仕掛けて来る。人間一人を血霞に変えるほどの威力。この距離、このスピードでは回避は困難。
(さあて、まずいですね。これは、どうするべきか……)
クロードは自身の判断ミスに苦笑する。
そう、苦笑だ。死を前にして笑っている。
(僕が殺しを生業とするソルジャー。確かにそうかもしれないな。僕には殺ししかない)
クロード=クイントスは人を活かす術を知らない。人を助けよう、そう思ったことはない。ただ、兄や父、母から教わった行動を、条件反射的に成しているだけかもしれない。クロード自身はそう考えていた。結果がそうでも、過程が伴っていれば空虚なものだ。
(だからこそシドウくん、キミが眩しい。何の見返りもなく、何の理由もなく人を助けられるキミのことが……! キミと共に戦うために、僕はここに来た!)
クロードは恐れない。目の前を横切る殺戮列車、それをどうかわすかを考える。人は死ぬ。銃弾を食らえば、ナイフで刺されれば、鉄骨で押し潰されれば、寿命を迎えれば。いかに凶悪な力であろうとも、もたらされる結果は同じ! ならば恐れる理由なし!
「クロード! こいつを使えッ!」
テラスから掛けられる怒声。そこには大村がいた。
その手に握っているのは、刀。
鞘に納められたそれを、大村は投げた。弧を描き飛んでくるその柄を、クロードは取った。それは、無骨な刀だった。飾りはまったくない。ただ人を殺すために作られた刀。
だからこそ、それはクロードの手に吸い付くようだった。
大地を踏みしめ、腰を回し、刀を放つ。銀の光がディノとぶつかり合う。彼の体が、クロードをすり抜けた。
「はっ、はははは……そうだ。俺は、間違ってなど、いない……」
ディノの目には、自然と涙が浮かんでいた。その理由は、彼にさえ分からない。かつて犯した罪を、神聖なる土俵の上で人を殺めたことへの懺悔か。あるいは、力及ばずここで崩れ落ちることへの後悔か。あるいは全力を出し切ったことへの満足か。
「力は、振るうためにある。この技は、すべてを破壊するために。俺は、間違って……」
彼の正中線上に、一本の線が刻まれた。
赤黒い線を中心にして、ディノの体が割れた。
「いい刀です。キミに名前を付けましょう。何者にも遮られることなき、光の道……」
ディノの肉体に込められた力が、指向性を失って爆散した。
「『蒼天回廊』」
美しき殺人剣は、確かにクロード=クイントスの力に耐え切った。
■◆■◆■◆■◆■◆■◆■
皇城最上部。普段は皇家に連なる人間と、一部の近衛兵にしか立ち入ることを許されていない空間。その日は来客が多かった、それも招かれざる珍客たちが。
粗野な男たちが身に着けた武器は、選りすぐりの騎士たちの力を遥かに凌駕していた。甲高い火薬の音がするたびに、生まれてから多くの時間を剣に捧げて来た騎士たちが容易に打ち倒されてしまう。そのため、騎士たちは誉からは程遠い戦闘を余儀なくされた。
彼らは、それにも対応していた。物陰に息を潜めていた者たちは、男たちが投げた鉄の球によって吹き飛ばされた。万一、難を逃れたとしても飛び散った破片のような金属によって戦闘能力を奪われる。そして、名誉なき死を強制されるのだ。
「皇帝陛下、もはやここは保ちませぬ! お逃げ下さい、時間は我々が……!」
騎士団長フェイバーとは連絡を取ることが出来なかったし、出来たとしてもどうともならなかっただろう。
内側から城は食い破られ、ガイウス=ギリー=ヴィルカイトを前にして抵抗虚しく沈んで行った。むしろ、彼がここにいなくてよかった。そう皇帝は思った。
(もし、この場にいたのならば……ガイウスへの抵抗の目は完全に潰えていただろう。何としても生き延びろ、フェイバー。お前の力が我々には必要なのだ)
皇帝は城の最上部に備え付けられた自室の扉を固く閉めた。バリケードも築かれているが、どれほど役に立つかは分からなかった。だが、役にたって貰わなければ困る。皇帝は室内にいる二人の子供を見た。実子、アリカとその友人、花村彼方を。
「こ、皇帝陛下。僕たちは、これからどうなるのでしょうか……」
不安に濡れた彼方少年の声が、皇帝の耳に届いた。彼は薄く笑みを作った。
「大丈夫、キミたちは必ず私が守る。だから、来なさい」
皇帝は膝を降り、彼らに目線を合わせ手を広げた。アリカと彼方は顔を見合わせ、その懐に入っていった。皇帝は二人を力強く抱き留める。震えを抑えながら、彼は決意した。
命を賭して、二人の命を必ず守って見せる、と。
皇帝は街を見下ろした。火の手が上がっている。愛した街が、消え去ろうとしている。霊園が一切の攻撃を受けていないのは、彼にとって幸いだったのかもしれない。扉の前に築いたバリケードが、ガタガタと震えた。そして、根元から
崩れ去った。
大仰な扉が開かれ、そこからガイウス=ギリー=ヴィルカイトが現れた。
「私を殺すのはお前の仕事ということか、ガイウス」
「私にも感傷というものがある。友がボロ雑巾になるのは見ていられない」
ガイウスはわざとらしく両手を広げ、憐みの目線を皇帝に向けて来た。万が一、取り漏らしがあってはならぬ、ということだろうか。皇帝は観念し、立ち上がった。
「ガイウス。考え直す気はないか。何をするつもりかは知らんが……」
「無駄だよ。私の考えは変わらない。現皇帝家を排除し、私は新世界を築き上げる」
そして、ガイウスは室内を見渡した。
皇女アリカの姿はそこにはなかった。
「で、アリカ皇女はどこにいるのかね? 彼女も始末しなければならないのだが」
「私の命はどうなってもいい。しかし、我が娘の命だけは助けてはくれないか?」
「ダメだ」
ガイウスは手を皇帝に向けた。皇帝はそれを受け入れた。
幼い男女が、人気のない通路を駆けていく。そう、人気はない。死人ばかりがたくさんいる。誰一人として、アリカを守るために動き出すものはいない。彼女は涙をこらえ、健気に走り続けた。少女の手を引き、彼方は出口を目指して走った。
(どこに行けばいいんだろう? 陛下は僕たちを、逃がしてくれたけれど……)
暖炉に設置された隠し通路がバレるのも時間の問題だろう。皇帝陛下が命を懸けて稼いでくれた時間を、有効に使わなければならない。どこに逃げればいいのかは分からない、だがとにかく早く! そして遠くに! 走る彼方の足が、止まった。
「待機だって言われた時はツマんねえと思ったが……はは、面白そうなことになった」
影から一人の男が現れた。彼らの知らない服装――ヴィジュアル系バンドめいたレザー風のコート――の男が現れたのだ。その手にはジャックナイフがある。
「ガキ二人ってのが面白くねえけどさぁ……ま、いい具合に泣いてくれりゃいいかぁ」
「アリカ、僕の後ろから離れないで。キミを……絶対に守るから!」
彼方は背負ったアポロの剣を抜き、レザーコートの男に向けた。男は嘲るような視線を見せた。城のものたちが食べるはずだった上等なチキンを一噛みし、投げ捨てた。
「女の子を守る騎士様って? カッコいいなぁ! でもそういうのはさぁ!」
男は弄んでいたジャックナイフを投げつける! しかし、それが彼方に突き刺さる寸前で止まり、床に落ちる! カランという音が虚しく辺りに木霊する!
「ぇー、何だかよく分からねえけど、面白い力を持ってるみたいだなぁ」
「あなたの力は僕に通用しない! 退け! 僕は、無駄な殺しを望まない!」
彼方は精一杯の虚勢を張ったが、しかしそれがまずかった。
男の目の色が変わった。
「へえ、お優しいなあ、キミは。俺のことを見逃してくれるって言ってるのか? っていうことは、だ。キミは俺のことを……自分より下だって思ってるってことだよなぁ!」
男が吠えた。すると、彼の全身に変化が生じた。露出した腕が肥大化し、オオカミのようなフサフサの毛がその表面を覆って行った。全身が膨張する。顔も獣めいたものに変わっていく!
数秒後、そこに現れたのは直立する狼だ!
「舐めやがって、クソガキ野郎が! 手前が俺より下だと? んなわけねえだろ!」
狼が飛んだ! 速い! 彼方はかろうじで反応し、剣を掲げる。狼の太い腕がアポロの剣が生み出したフィールドとぶつかり合い、そして狼の力が勝った! フィールドを突き破った狼の腕が、彼方の掲げたアポロの剣とぶつかり合う! ウェイトが軽く、歳相応の力しか持たない彼方の体を、あっさりと狼が吹き飛ばす!
「か、彼方!?」
「どうだい、俺を舐めてくれやがった報いだよクソガキが! 絶望しやがれよ、タコ!」
狼は勝ち誇り、アリカの首根っこを掴んだ。長い舌を出し、喜びを全身で表現する!
「ま、圧倒的な力の差ってのが分かっただろうが、カス! こっからはお愉しみだぜ、負けるってことがどういうことか、教えてやろうじゃあねえか! ケッケッケ!」
狼は鋭利な詰めを振り上げる。あんなものが子供の体に当たれば、否、大人の体でも、武装した兵士の体であっても、八つ裂きにされるであろう。アリカの目に恐怖が浮かぶ。
「うっ……ぐっ! や、やめろぉ……!」
「止めさせたきゃ止めさせりゃあいいじゃねえか、ガキ。出来るんならなー? んー?」
狼は全身で嘲りを表現する。
彼方は立ち上がろうとするが、体に力が入らなかった。
(こ、こんなところで……守りたい人を、守れずに、僕は……!)
彼方の前に一人の女性が現れる。
誰もそれを見てはいない。彼方の目だけに映る影。
(恐れないで。あなたは、必ず勝つ。あなたの力を、アポロの剣の力を信じなさい)
彼女が手を伸ばす。彼方がその手を取るべく、手を伸ばす。
その瞳が、赤く染まった。
その時だ! 狼の背後から現れた黒い影が、彼を背中から蹴り付けた。予想すらしていなかった狼はつんのめり、アリカを放してしまう! アリカは黒い影の手を取った。
「よう、クソタコ。茹でても食えそうにねえ臭い野郎だ。どう処分したらいい?」
漆黒のラバー装甲、白銀のガントレットと具足。そして貧相なヘルム。
「ッ――! 来るのが遅いんですよッ、デカ人間!」
紫藤善一は、堂々とその場に降り立った。




