お友達の家でお茶を飲もう
スタルト村よりさらに小さな村が、俺たちを出迎えた。道路はまったく整地されておらず、黒い土と緑色の雑草のコントラストが陽光に映えていた。ペントハウス風の建物、と言うと格好がいいかもしれないが、要するに木組みの平屋だ。どうやって暖を取っているのかは分からない。もしかしたら囲炉裏のようなものがあるのかもしれない。
「それじゃあ、みんな。着いて来て下さい。僕たちの家はこっちです」
彼方は俺たちを先導し、村の中央へと歩いていく。牛を引く村人、寝藁を持ってくる農夫、井戸端話に興じる主婦たち。そうした人々の好奇の視線が俺たちに突き刺さる。
(……スタルト村にいた人たちって、俺たちに無関心だったんだな……)
今更になって、そんなことを思い知らされる。滞在した数日間――とは言っても俺は2日くらいしか記憶にないが――で、こんな視線を受けた記憶はなかった。
彼方たちの家は村にあるどの家屋よりもくたびれた、しかし一番大きな家だった。家の丁度中心のあたりに扉があり、左右に部屋がある。恐らく右手側がリビングで、左手側が寝室に当たるのだろう。窓から見える景色は、そんな感じのものだ。
「お、お邪魔します……」
「えっ、と……しばらくの間、お世話になります……」
「気にしなくていいよ。父さんも母さんもいなくなって、部屋は余ってるからね」
彼方は笑ってそんなことを言った。両親がもういないのか? 確かに、外から確認することが出来る限り、そのような人々を影も見ることは出来なかった。
エリンたちに続き、俺とクロードさんも家に足を踏み入れた。一歩踏み出すたびに、ギシリと床板が鳴った。古めかしい建物だが意外にも手入れは行き届いているようで、僅かに埃が見える場所はあれど、全体的には小奇麗な感じにまとまっていた。
俺たちは広めのリビングルームに案内された。入ってすぐ、左の隅には小さなキッチンがあり、部屋の中央にはこの家の規模とはそぐわない、六人掛けのテーブルがあった。
造りは非常にしっかりしており、節々に差し込まれた金属にも錆びは見えなかった。俺とクロードさん、それからエリンにリンド。そして家主である彼方くんと静音さんで、ちょうど六人。計ったようにぴったり、この席に腰かけることが出来るようだ。
「お茶は私が淹れるよ、彼方。あんたは座って待ってなさい」
「え、姉さん帰って来たばかりなのに……悪いよ。僕が淹れるって、それくらい」
「そういうな。あんたの淹れる紅茶ってなんでか知らないけどマズいからねー」
それだけ言って、静音さんはカウンターキッチンに入って行った。石と石を打ち付けるような音が聞こえる。まさか、火打石で窯に火を入れているのか? いや、この部屋のレベルではそうなのかもしれない。魔法石があるような場所には見えなかったからだ。
「まったくもう、姉さん……僕のお茶がマズかったって、いつのこと言ってるの……」
彼方はブツブツ言いながら席に着いた。基本的に姉を尊敬してはいるが、越えられない一線とかそう言うものがあるんだろう。姉弟持ちにしか分からない感覚だ。
「綺麗に片付いていますね。この部屋の管理は彼方くん、キミが一人で?」
「ええ。さっきも言いましたけど、父さんも母さんも亡くなりましたから。
姉さんはその頃には『共和国』で騎士になっていましたし、ただでさえ厳しい一人暮らしをしている姉さんに無理はさせられません。だから、一人でこれくらいはやろうって思ったんです」
彼方くんは気丈に微笑んでそう言った。本当に見上げた性根の子供だ。俺がもし、同じ状況に放り出されたとして、自分のことを助けてくれる姉を気遣えるだろうか? 多分、俺は自分のことでいっぱいいっぱいになってしまい、無理だ。
「ここに掛けられている絵。これのモデルが、あなたのお父さんとお母さんですか?」
「あ、はい。父と母が若い時に、この村に訪れた画家さんに書いてもらったそうです」
窓と窓の間の壁に掛けられていたのは、一枚の大きな絵だった。額縁は手作り感漂うものだが、中に入れられた絵は本物の画家が描いたのだろうな、となんとなく思った。油彩の具合と言い、タッチといい、もちろん本職でも鑑定士でもないが、力を感じる。
だが、肝心の絵の内容自体は首をかしげざるを得ないものだった。いかにも農村の娘といった感じの、粗末な麻の服に身を包んだ女性。露出は少なく、表情はどこかあか抜けない感じだ。美人かもしれないが、十人並。どこにでもいるだろう、という感じだ。
対照的に、その隣。向かい合うようにして立っている男性は、どことなく高貴な雰囲気を感じさせる。絵画は服に施された刺繍の一つも忠実に再現しているようで、それを信じるならば服には金糸をあしらい、親指には爪ほどの大きさの宝石を着けている。
一番奇妙だったのは、男性の絵の顔が描かれていないことだ。いや、恐らく最初は描かれていたのだろう。あとから炭か何かで塗り潰したような感じのタッチだ。まるで、その人の顔をそこに映してはいけない、とでも言っているかのようだった。
「なあ、彼方くん。どうして、お父さんの顔は塗り潰されているんだい?」
「母さんに聞いてみたけど、答えてはくれませんでした。父さんは僕が小さな頃に亡くなったって、そう聞いています。だからこれが、父さんの顔を映す最後のものなんです」
彼方くんは途端にしゅんとした顔をした。いかに気丈に振る舞っていたとしても、彼のような幼い子供が親の顔も知らないというのは、計り知れない恐怖であるのだろう。何とか弁解の言葉を探していると、キッチンからお茶を持って静音さんが現れた。
「ほら、お茶淹れたわよ。あと、ついでに『共和国』土産もね」
俺たちは振る舞われた紅茶と、『共和国』土産のサブレーを啄みながらしばし談笑した。まさか異世界に来てまでサブレーを見ることになるとは思わなかった。
そしてエリンとリンドに振る舞われたのが鳥型のサブレーで、俺たちに振る舞われたのがカエル型のサブレーであることに、何か意味はあるのだろうか。いや、多分あるんだろうけど。
いい加減静音さんの殺気が凄いことになっていたので、俺たちはお暇することにした。
「それじゃあ、エリンとリンドのことをお願いします。静音さん、彼方くん」
「よろしかったら、また来てください。いつでも歓迎しますから」
彼方くんは笑顔でそう言ってくれたが、後ろにいる静音さんの表情は冷ややかなものだ。早々に退散することにした。扉を閉め、俺たちは家を後にしようとした。
そこでふと、後ろ髪を引かれるような感じを覚えた。そして、それは錯覚ではなかった。背後に、開きかかった扉があった。こんなところに扉があったと、なぜ気が付かなかったのか?
いや、最初に家に入ってきた時、リビングの扉は開いていた。外開きの扉の影になって、ちょうど見えない位置にあったのかもしれない。
不思議と、俺の足は吸い込まれるようにしてその扉に向かっていた。錆びかけたドアノブに手をかける。あっさりとそれは開いた。ギギギ、と蝶番が悲鳴を上げた。
「うっ……なんだ、この部屋。埃臭ェ……」
さっきまでいたリビングや玄関は手入れが行き届いていたが、この部屋はそうではなかった。目の前にある書き物机や本棚、ベッドには埃が積み重なっており、この部屋に長い間人の手が入っていないことを物語っているようだった。
一歩踏み出すごとに、足元に積み重なった埃に足跡が刻まれる。まるで時の中に置き去られたような空間だった。物書き机に近付き、見てみる。
『電子工学応用論』。
『生体エネルギーと空間に対する作用についての初歩』。
『核物理学』。
いずれも難しそうな内容だ。字を読むことが出来ても内容が理解できるとは思えなかった。
俺は顔を上げた。ちょうど、俺の視線と重なり合うように、一枚の画用紙がピンで止められていた。
そこに描かれていたのは、一人の少年と少女。背景には双子の山があり、窓の外を見てみると同じような形の山と、森があった。恐らくここが舞台なのだろう。
「ってことは……ここに書かれてるのは、彼方くんと……静音さん?」
鼠色の神と赤い瞳の少年。それは紛れもない彼方くんだ。もう一人の少女は、彼よりも身長が低い。こんな時期もあったのだろうか。だが、何となく違和感があった。
「ちょっと、そんなところで何してんのよ?」
背後から声をかけられ、思わずビクリとしてしまった。振り返ると、そこには怒気を孕んだ瞳で静音さんが俺の背中を見つめていた。すぐに振り返り、謝った。
「あー、ごめん。扉が開いてるのが見えたから、その……ちょっと出来心で」
「あんたは出来心で他人の家を漁るの? まったく……すぐ出て行きなさい」
「ごめんなさい。本当に覗くつもりはなかったんです」
俺は平謝りし、そそくさと部屋から出て行った。
そんな俺の背中を、静音さんはずっと見ていた。
何となく、俺を責めるその口調が優しいものに思えた。
「それにしても、静音さんの様子はおかしなものでしたねぇ」
「まったくっすよ。何なんだ、ありゃ。初対面の人間に、ありゃあないでしょ。可愛い弟に悪い虫を近づけたくないのかもしれないけど、あれじゃあまるっきりやり過ぎだ」
花村邸を追い出された俺たちはあてどなく村をぶらぶらしていた。とりあえず夜になったら船に戻ろう、と話はしていたが、どこに泊まろうかとか、そういうことは考えていない。エリンとリンドを屋根と布団のあるところに行かせられただけ僥倖だ。
「いえ、僕が言っているのは私たちへの態度ではなく、キミに対する態度ですよ」
「え? 俺への態度? 終始一貫、みんなと同じように対応されてたと思いますよ」
「いえ、最後の瞬間……キミがあの扉を開けた時だけは違った反応をしていました」
なるほど、よく見ている。直接言葉をぶつけられた俺は、何となく静音さんの変化を感じ取っていた。これまでのような刺々した態度ではなく――いや、刺々しいのは確かなのだが――その中にも、何とも言い難い、変化があったように思えたのだ。
「あんなところに扉があるとは。不覚にも、気付きませんでしたよ」
「死角にあったんだから、そりゃしょうがないでしょ。それにしても、おかしな話ですね。部屋を勝手に覗き見られたってのに、態度を軟化させるなんて」
「あの部屋になにがあったのか、シドウくん。覚えていますか?」
覚えていますか、と言われても、それほど多くのことを覚えているわけではない。あの部屋を見たのは一瞬だし、部屋の中に会ったものの半分も内容は理解できていないだろう。とりあえず、覚えている分だけ言ってみることにした。あの絵も含めて。
「聞いていた感触では、ご両親の部屋のようですねぇ」
「あんな目立たないところにあるなんて、ちょっと不思議だなって思ったんですけど」
「それに、ご両親の部屋だとして、遺品をそのままにしているのも気になります。整理しておくか何かするはずなんですけどねぇ。掃除さえしないとは」
そう言って、クロードさんは何かを考えるようにして黙り込んだ。俺も少し考えてみたが、やはりよく分からない。あの部屋は何というか、あの家にあってあの家でないような、そんな奇妙な場所だったように思えてならないのだ。
「……そう言えば、あの船に俺たちの飯って置いてあるんでしょうかねぇ?」
「一両日中に到着する予定だったようですし、ないんじゃないでしょうかねぇ」
「……ってことは、俺たち飯はどうすりゃいいんでしょうかね。狩りでもしろと?」
「それもいいですねえ、ちょっと狩人さんに聞いてみましょう。安心して下さい、僕は狩猟経験がありますし、尾上さんもトリシャさんも熟練の兵士です。何とかなりますよ」
取り敢えず、飯の心配がなくなったというのはいい。案の定、船に戻っても飯はなかったので、狩人さんと一緒に森に入って、俺たちはこの日の糧を得ることになった。
狩猟生活のワイルドすぎる実態に俺が悲鳴を上げたのは、追記しておくが。




