あなたの染まる頬の赤さ
キィと音をさせて、ガラスの扉を開けた私を待っていたのは、ひっそりとした植物たちだった。静かな空間は花たちも眠っているようで、その静寂を起こさないようにそっと足を忍ばせる。
(夜は施錠されているはずなのに、ウールドリッジ先生が開けといてくれたのね)
植物園の天井を見れば星空が広がっており、その光が少しの緊張を解してくれる。
「一人って心細いと思ったけど……」
呟くと、目の前の蝶が羽ばたきを強くして私の周りを飛んだ。まるで失礼だぞ! とでも言いたげだ。
「ふふ、ごめんね。あなたがいたものね」
そう言うと、蝶の羽ばたきは穏やかになった。どうやら機嫌を直してくれたようだ。
「待たせては申し訳ないわ。早く行かなきゃ。案内してくれる?」
私が頼むと、蝶はいつかのように先導していく。青い光が軌道を描き、私はそれを辿って植物園の奥へと足を進めた。
「熱帯植物は夜になると随分雰囲気がちがうわね」
いつも涼やかな空気と音を提供してくれている滝も、今は雫一つ落とす水音すらしない。本当に世界のすべてが眠っているようで不思議だ。
「あぁ、待って。今行くから」
蝶がひらひらと秘密基地の入口を飛ぶ。すると、いつものように草木が私たちを避けて道を拓いた。どうやら夜の植物園でも、この秘密基地への入口は開かれているようだ。
ガジュマルの根本に出来た窪みにくぐり、狭い階段を上がる。暗く狭い空間でも、蝶の鱗粉が青く道筋を照らしてくれた。
「お待たせしました」
階段を上がりきって拓けた空間は、もう見慣れてしまったものだけれど、やはり夜ということもあり、その表情は少し違う。小さなランプがつけられただけの秘密基地は、暗いのに明るい。ガラスの天井から星の光が降っているから、ランプひとつでも明るく感じる。
その星空の下に誂えれたソファに腰をかけている一人の男性が、こちらに振り向いた。
「夜道は大丈夫だったか?」
「はい、この子のおかげで寂しくありませんでしたよ」
周りを飛び回る蝶は、私の指先に留まり羽ばたく度に青い粒子を舞わせる。その様子を見ていたウールドリッジは「はあ」と小さく溜息を吐いて、フッと笑った。
「相当気に入られたみたいだな」
「こんなにキレイな子に好かれるなんて嬉しいです」
「俺の元にもたまにしか戻ってこない」
「そうなんですか? よく来てくれるとは思っていましたけど」
ウールドリッジが言うのだから、この蝶は私のそばから離れていないらしい。ふと気付いたらいるくらいだったが、どうやらそうではないようだ。
「今度、蜜のある花を置いておこうかしら?」
そばにいてくれるなら食事くらいのおもてなしはしないと、と思ったが、私の思いつきにウールドリッジは首を振った。
「こいつは食事をしない。使い魔ではあるが、魔獣と違うからな」
「そうなんですか……」
魔獣と使い魔の違いがよくわからないけど、そういうものなのかと納得しておく。
「しかし……まあ、吉乃の好きなようにすればいい」
「本当ですか?」
「あぁ、余計に懐いてしまうかもしれないがな」
そうは言うけど、私に不都合はない。むしろ花に留まる蝶を見れることは癒されるのでメリットしかないから、私は今度から花を生けておこうと決めた。
「それで、突然どうしたんですか? こんな時間に呼び出して。先生も眠るところだったのでは?」
ウールドリッジを見ると、彼は緩いシャツの上からクリーム色のニットカーディガンを羽織り、柔らかそうな黒いズボンを履いていた。日中とは違って随分ラフな服装だ。
「寝間着姿、なんだか久しぶりですね」
「そうか?」
「そうですよ、エリカちゃんと過ごしたのは、もう半年前ですからね」
シャワーを浴びた後なのか、髪型も特有の広がりを見せていた。まるで子どものようにあどけなく映る彼の姿は、半年前と変化を見せないのに、まるで初めて見たような気持ちになる。
「どうした?」
「い、いえ。なんでもありません……」
視線を外したら、突然グイッと腕を引っ張られて、彼の顔が近づいた。
「せ、先生?!」
「また何かあったのか?」
真剣な視線に心臓が飛び跳ねそうになって、私は反射的に顔を逸らせようとしたけれど、彼の手がそうはさせなかった。顎を指ですくわれて彼だけを見せられる。
「抱え込むな。言葉にされないとわからん」
(また私のこと心配してくれてる)
眉間にシワを寄せるウールドリッジは、私の表情を読み取ろうと集中していた。何があったか、なんて彼のことなのに、言葉にできるわけがないのに。
「……俺では頼りにならないか?」
眉間にシワを寄せながらも苦しそうに歪む美しい顔に、私はハッとした。
(私の行動が、彼を振り回しているのかも)
「ち、違います! 先生は頼りになりますし、私は信頼しています。……ただ、その」
「なんだ?」
「……先生のルームウェア姿が久しぶりで……なんだか、その」
段々顔が熱くなってきた。どう言えば当たり障りなく出来るのか頭をフル回転させるけれど、私はウールドリッジのように語彙も発想も足りない。だから、結局素直になるしかなかった。
「ど、ドキドキしてしまって……」
「……は?」
「だから! 先生のその姿に、私、あの……」
耳殻まで熱がこもって早く顔を離してほしいのに、彼は離してくれないし、力を緩ませもしてくれない。無言を貫くウールドリッジに怖くなった私は、彼の顔を盗み見た。怒っていたらどうしよう。そんな心配は、彼の表情を見て呆気に変わった。
「……先生」
「……………………」
「凄い顔してます」
ウールドリッジの顔は真っ赤になっていた。
「…………そんな顔してない」
「してます。照れてるんですか?」
「うるさい」
パッと手を離されて、ようやく解放されてというのに、私は彼に集中していた。
「見るな」
「見たいです。珍しいから」
「おまえ、性格悪いぞ」
「だって……」
(そんなの見せられたら)
可愛い、なんて思ってしまう。いつもカッコいいのに、私の一言でここまで崩れるなんて。
(そんなの……)
その後の言葉はうまく形にならなかった。




