スーツと本屋と飴玉と
(一体、なにを選べば良いのかしら?)
交流会を来週に控えた私はブティックに来ていた。
並ぶのはシックな物ばかり。TPOと言われても、この世界での常識を知らない私には、結構な難題だ。
「なにかお探しですか?」
ピンクの唇で穏やかな笑みを浮かべた店員が、迷っている私に声をかけてくれる。
「えっと……」
(こういう場合なんて言ったらいいんだろう? 交流会なんて言っても伝わらないわよね?)
悩んでいる私に、店員は首を傾げた。
「なにか、公的な行事ですか?」
「え? あ、そうです!」
「でしたら、少し堅苦しくてもスーツなど良いかもしれませんね。スーツの色や、ウェアをレースなどにすれば華やかになると思いますよ」
(なるほど、オフィスカジュアルならハズレはない)
「そうします」
試着室に通され、私は鏡の前で選んで持ったスーツに腕を通した。
ジャストサイズの、ブラックパンツスーツ。無難だが、どこへでも着ていける。
(もしもの時には就活で使えるもの)
考えたくはないが、万が一にも元の世界へ帰れないこともある。それを見据えて購入する物を選ぶことは仕方ないことだ。
(別に貧乏性とかじゃないわよ!)
そもそも面接にスーツ着用が義務なのか分からないが、印象が良いに越したことはない。
私は「うんうん」と頷きながら、入れてもらった紙袋を肩にかけた。
(これで準備はばっちり!)
靴も買ったので、あとは交流会当日を待つばかりだ。
(よし、頑張ろう)
私は紙袋を肩に賑わっている街を歩く。
ルミエール国の首都ルミエールは大きな街で、人の笑い声が絶えることはない。
(そうだ、古書通りがあるんだっけ)
この前、ウールドリッジに聞かされた場所。
(もしかしたら、元の世界に帰れる方法が記載された本があるかも)
私は思い立って、やって来たトラムに乗り込む。
いつでも活気あふれるこの街を支えるトラムの線が首都を囲み、放射線場にレールが設置されているトラムは市民の足になっている。
「よいしょっと」
もうすぐ夕焼けがやってくる時間帯のトラムは少し混んでいて、体をできるだけ小さくする。元の世界のラッシュより空いているのに、混んでいるという印象だけで面積を狭くしようとするのだから、これはもうクセみたいなものなのかもしれない。
(あ、)
ガタンとトラムが揺れた時、こめかみがズキリと痛む。
(やだな、最近頭痛がする)
慣れない世界での日常の疲れがここのところ体に出ているのかもしれない。人生経験を重ねた歳でも、疲労は溜まるものだ。
(疲れているのね)
今夜は早く眠ろうと決めて、私は古書通りへ向かうトラムのガラスを見つめた。
古書通りは商業エリアから歩いていける距離だったけれど、ショッピングをして疲労が滲んでいた私にはトラムは助かる。
そしてチンチンとベルを鳴らして停留所に停まった。
「古書通りです」
「あ! 降ります!」
人の合間を縫って降り立った古書通りは、商業エリアとは違う落ち着いた雰囲気だった。
(すごい、全部本屋?)
ルミエールは西洋風の建物が広がっている。古書通りも同じなのだが、随分と落ち着いて雰囲気がまるで違った。
(映画の世界みたい)
蜂蜜色のレンガは西に傾く日差しを受けて輝き、ガラスの窓が街を反射させている。
(綺麗……あ! 違う違う! 感動してどうするの!)
フリフリと頭を振り、小さく深呼吸して前を向く。
軒を連ねる本屋を一軒一軒見て回るのは不可能だ。
(よし、自分の勘を信じてみよう)
第六感任せなんて、ウールドリッジに言ったら「不確定なものは非効率だ」なんて言われるだろうが、それでも時間のない私には唯一の手だ。
頭の中で、私の決断を鼻で笑いながら一刀両断する彼の幻を振り払い、私は目に止まった一軒の古書店へ入った。
「こんにちは〜……」
店の中には誰もいなかった。
(え、これって勝手に探してもいいのかしら?)
シンと静まり返っている店内。
私は恐る恐る足を踏み入れ、年代物の書物が並んだ棚を見て回る。
(えっと、歴史書とかに載ってないかな? 聖女関連のものとか)
手がかりが何に記されているかなんて、まるで検討もつかない。絵本かもしれないし、難しい論文も考えられる。
本棚から取り出した濃紺のハードブックをパラパラと軽く流し見するが、これはハズレだった。
(じゃあ、こっち?)
背表紙を指でなぞりながら奥へと進んでいく。
どのくらい時間が経っただろうか。肩にかけていたショッピングバッグを重く感じ始めた頃、私はハッと我に返った。
(いけない! 時間!!)
店の古時計をバッと見るけれど、入店した時間から時間が経っていない。これは壊れている。
「す、すいません!」
いつの間にか奥のカウンターに座っていた店主に声をかけた。
「いま何時ですか?!」
「ん? 今かい?」
白いヒゲを蓄えた品の良い老人は「はて?」と懐から取り出した懐中時計を見る。
「いまは十八時だね」
「大変!」
夕食の支度を始める時間は過ぎている。
「あ、あの!」
しかし、折角来たのだから、私は尋ねることにした。
「他の世界へ行く魔法の書物とか、あり、ますか?」
自分で言ってて少し恥ずかしくなった。
他の世界へ行く魔法なんて傍からしたら子供の妄想だ。
からかわれること覚悟で聞いてみたら、店主は「う〜む」と考えて眉を下げた。
「すまんな。そういう魔法は知らない。あったとしても禁止書だろう。王宮の図書館になら、あるかもしれないが」
「そう、ですか」
(そりゃそうよね……王子さまだって真帆ちゃんの召喚に苦労したみたいだし)
帰れるだけでいいのに……と肩を落とした私は時間に追われていることを思い出した。
「ありがとうございます! 失礼します!」
「あぁ! 待ちなさい!!」
「え?」
呼び止められて振り返る。
「あなた顔色が悪いよ。このキャンディーでも舐めて帰りなさい」
「ありがとう、ございます……。私、そんなに顔色悪いですか?」
「あぁとってもね。この街は騒がしいから疲れたのかもしれない。疲労が溜まったら、この通りに来なさい。落ち着く通りだろう?」
シワシワの目尻を下げた店主から貰った飴をジッと見て、蜂蜜色のそれを見る。まるでこの街の色を閉じ込めたみたいで綺麗だ。
「さあ、急いでいるんだろう?」
「そうでした! ありがとうございます!」
「気をつけなさいね」
「はい!」
店を出て古書通りを駆けていく。街は夕暮れに染まり、人は帰路についている。トラムは先程より混んでいるだろう。
行き先を確認して慌ただしく乗り込んだトラムは予想通りの混み具合。それでも元の世界よりずっと余白がある。
(よかった……乗れた)
短い時間感覚で運行しているトラムだけれど、停まっていたら走ってしまうのは反射に近い。
(っいた……)
またやってきた頭痛はトラムの揺れを受けて更に痛む。
(そうだ、飴……)
握りしめたままだった飴を口に頬張り、カタカタと揺れるトラムの中で立ちながらトラムの外を見る。
ゆっくりと流れていく蜂蜜色の街を眺めながら、私は口の中で溶けていく金色の飴を転がした。




