第30話 夢
周りは高いビルに囲まれ、人々は何かに追われるかのように急ぎ足を早める。肩がぶつかっても会釈だけ、そんな都会の片隅で一人看板を持った男が叫ぶ。男にとっては何よりも大事な者を救うため、だが彼一人ではどうにもならない。ならばと行き交う人々に懇願する。
「どうか!お願いします!この子の命を救う為に!どうか!お願いします!」
物珍しそうに行き交う人々は遠目から手にした機械で男の写真を撮っている。撮りたければ撮れば良い。笑いたければ笑えば良い。そんな事でこの子の容態が良くなるのなら自分はいくらでもピエロになろう。
高給でも無い、生活も豊かじゃ無い、でも幸せだった。妻がいて、子供がいて、何気ない夕食が何よりも楽しみだった。それが何故?何故あの子なのだ!代われるものなら代わってやりたい。運命は男の子供に無慈悲な試練を与えた。後天性の病。治療するにも膨大な金がいる。自分の周辺を整理しても到底届かない。募金を募れば、誹謗中傷の嵐。このままでは……今日も疲れ切った体を引きずって家に帰る。
扉を開ければ、今にもあの子の声が聞こえて来そうで涙が堪え切れない。妻は今日も病院に付きっきりだ。
子の病、誹謗中傷、先の見えないトンネルの中にいるみたいだ、男の俺でこんなに辛いんだ、妻もよく頑張ってくれている。そんないつもの風景だった。玄関を開け靴を脱ぐと見知らぬ子供が家に居た。その子供はニッコリと微笑むと確実にハッキリとこう言った。
「君には何よりも大事なものはあるかい?何としてでも叶えたい願いはあるかい?その願いの為なら命を捨てる覚悟はあるかい?」
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随分と懐かしい夢見た気がする。すでに内容は覚えていないが、眠りを必要としなくても夢みるのか。
ふと目に涙が流れた跡がある。なんだろう悲しい出来事なんて多すぎてどれのことだか判らない。まだ夜明け前の空で辺りは暗い。気配も感じないので魔物の心配もなさそうだ。ルシアは眠れているかな?一瞬妄想をしてしまうが、頭を強く振り思考を元に戻そう。いつものようにトレーニングを行う。朝食はどうしようかチェロは残りも少ないが干した肉でいいか、ルシアは何を食べるのか?人間と同じか?獣人だから肉?
そうこう考えていると声がかかる。
「マコト様、もう起きてらっしゃったのですか?」
昨日と同じように寝台の布を巻いただけのルシア、やはり胸に目が行ってしまう。慌てて視線をそらす。
「ああ、おはよう。その様付けと言葉使いはどうにかならないか?そんな大層な者じゃないし、歳も同じ位だろ?」
「そう?そう言ってくれて助かるよ。あまり得意じゃないんだよね、ありがとう。ところでマコトは何歳なの?ボクは十八だよ」
ケモ耳巨乳のボクっ娘ですか・・・どれだけキャラ立ちしてるんだ。
「俺は二一だ、得意じゃないと言っていたわりに昨日は違和感無かったぞ。それより朝は何か食べるか?といっても持ち物は水と干した肉が少しだけだがな」
肉の単語を聞くと、頭の耳がピクピクと動く。やはり肉食か。
チェロとルシアに分けた肉で手持ちは全て無くなった。昨日発見した泉に連れて行く。女性が一緒なのだからこの位はしないとな。
「あまり深くなさそうだし、水浴びでもしたらどうだ?体を拭くときはこれを使ってくれ。終わったら声をかけてくれれば良い」
「ありがとう。マコトは優しいね。何なら一緒にどう?チェロもいいって言ってるし」
やめてくれ、色々困る。拭く為の布を投げ渡し泉に背を向けた。
「俺は済ませたからいい。それじゃあ、待ってるぞ」
ある程度離れた場所で腰を下ろす。問題はこれからだ、方向はわかるので問題は無いが彼女をどうするかだ一緒に連れて行くか、此処で別れるか、隷属の魔法があるのだから人間を相手にしなければ故郷までは帰れるだろう。
「待たせちゃった?水浴び終わったよ。久しぶりだったから気持ち良かったよ」
至る所が濡れており、大きな二つの丘に滴る水滴が弾ける。思わず見入ってしまうが、視線を懸命に逸らす。
「いや、それ程待っていない。所でこれからだが、俺は昨日も言ったようにメクレンへ向かう。君はどうするんだ?」
ルシアはニッコリと微笑むと微塵の迷いも無く言い切った。
「ボクはマコトと一緒に行く。迷惑かな?」
随分とアッサリしている、警戒心や猜疑心はないのだろうか?
「迷惑じゃないけど、良いのか?街にも立ち寄るし……その差別とか、辛い事が沢山あるぞ?」
王都やギルドでの反応を見れば亜人種への差別は非常に深い。全ての場所でとは言わないが、それでも辛い事には変わりない。
「人間は獣人を奴隷にして連れ歩いているんでしょ?ならボクがマコトの奴隷になれば良いんじゃないかな?それなら大丈夫でしょ?」
「大丈夫な訳あるか!そんな簡単に奴隷になるなんて言うな!人間がそんなに偉いのか?亜人はそんなに劣っているのか?人だろうが亜人だろうが一緒だろ?同じ命を持っているんだろ?同じ世界に生きているんだろ?なんで優劣をつけるんだよ、なんで助け合わないんだよ、なんで協力出来ないんだよ、おかしいだろ!」
思わず声を張り上げてしまった、ハァハァッと息切れもしている、なんだこれは、今までこんな事は一度もなかった。今朝の夢のせいか?内容は覚えていないが心の奥にモヤがかかったような、なんだかスッキリしない。
目を点にして驚いていたルシアは、優しく微笑み両手を広げ優しく抱き締めてくれた。
「どうしたの?なんで泣いているの?ボクはマコトの事をよく知らないけど、きっと想像も出来ない程、辛くて、悲しくて、寂しい事があったんだね。ありがとう。ボクの事を考えてくれて、同じ命と言ってくれて。マコトの言葉、胸に響いた。だから決めたよ」
ルシアに言われるまで涙が流れている事にすら気がつかなかった。大きな胸に顔を寄せられ、優しく背中を撫でられる姿はまるで子供と同じだ。ルシアはゆっくりと離れると両手を俺の頬に当て、顔を引き寄せる。若干潤んだ瞳に艶のある唇が近くなってくる。
「ボクは獣人に産まれたのが嫌だった。蔑まれるのが苦痛だった。人間に怯えて暮らす一族に耐えられなかった。全てがどうでもよかった。でも会って間もないけど貴方となら、ううん、マコトじゃなきゃダメ。ボクのご主人様になってね。逃がさないから、今は隷属の魔法に感謝だね」
唇が重なり、暫く時間が止まったように感じた。突然、ルシアの谷間にあった隷属の魔法の烙印が輝き出す。魔法陣が地面に現れ、回転しながら俺たちを中心にせり上がっていく。
「何だ!何が起きたんだ?」
慌てて周りを伺うが、ルシアに強引に引き寄せられた。
「ダメ!まだ足りない。もう一回」
今度は勢いよく唇が重なる。
惜しむように唇を離しお互いが顔を直視出来ない。ルシアが勢いよく自らの頬を叩くと立ち上がり手を差し出す。魔法陣は消えており隷属の魔法の烙印も輝きを失っている。
「さあ!行こう。ボクのご主人様、これからは2人だよ、辛い事は分け合って、嬉しい事は一緒に喜んで行こう!」
差し出された手を取り、立ち上がる。少しだけスッキリとしていた。胸中を話せる相手は久しぶりだ。
「何がご主人様だ。認めないからな、ついて来るなら仲間としてじゃないと認めない。それにさっきの魔法陣は何だったんだ?ルシア知っているのか?」
「聞いた話だけど、隷属の魔法を受けたモノが、この場合はボクだね。ご主人様に、マコトの事ね。どこでも良いんだけど口付けをすると主従関係になって奴隷はご主人様から逃げられないんだって」
「どこでも?なら口と口だったのは?」
「雰囲気だよ雰囲気」
「逃がさないって逆じゃないか?」
「だってマコトは奴隷にしてって言ってもダメそうだったから」
「もう一回ってのは?」
「短いじゃん?もっと長くしていたいでしょ?」
「仲間じゃないの?」
「奴隷だけど仲間って事でいいでしょ?」
全く納得できない。結局ルシアは奴隷って身分から抜け出せていない。元々隷属の魔法が効いているから人間に捕まれば奴隷なってしまう。ならば自分が認めた人という事で俺を選んでくれたらしい。
まさか隷属の魔法に別に効力があったと知るのは、そこから遠くない未来の話だった。




