碧の世界
「準備オッケー?ほら、行くわよ」
「お前は朝から元気だな……ふああ」
「時間は有限なのよ?無駄にしたくないわ」
ベッドの方で寝たいという美沙輝の要望からおれが敷布団で寝る羽目になり、枕が変わったためなのか、美沙輝が隣で寝ているという意識からか、イマイチ寝付けず、快適な睡眠は取れなかった。
ほら、香夜ちゃんが来るときはちゃんと恵の部屋片付けて向こうで寝るし、実際こうやって隣で女子が寝ていたって状況は初めてなわけです。
しかし、何も起こらない。それが俺たち。
本当に……俺はそれでよかったのだろうか。倫理的には正しいのだけど……。
「む?育也、どうしたの?なんか後悔でもしてるの?」
「……まあしてないといえば嘘になるが」
「そういうのはやっちゃうと後腐れしちゃうものなのよ。経験ないけど」
「その発言だけであらゆる奴らが大歓喜だな。誰とは言わないけど」
「なんか朝から不健全よこの会話。もっと爽やかにしましょう」
「俺の大半の会話がセクハラで埋められてるのにそんな爽やかな会話が生み出されると思うのか」
「そんなことを堂々と言わないでもらいたいんだけど。私にはしないくせに」
「お前とはクラス一緒なのにそんな会話繰り広げてたら、クラス内での俺の立場がさらに危うくなるだろう」
「変態紳士の称号を思うがままに出来ると思うわよ。というか、危ういことは知ってたのね」
「担任の発言によって盛り上がってる時点であれだろ。俺、色々と恨まれてるだろ」
「いや、あんた香夜ちゃんと付き合ってる話が流れてるから、それも超美少女ときて、妹は誰にも寄越さないシスコンだから、男子からめちゃくちゃ反感を買ってるのよ」
「マジかよ。味方は元と矢作だけか」
「その二人も怪しいけど」
「もう、俺の砦は美沙輝。お前だけだ」
「かといって、安易に私に逃げないんでほしいんだけど。泣きつかない。……はいはい、私はあんたの味方だからね」
やっぱり美沙輝だけは優しいです。マジで泣けてきた。
俺、友達いないのかな……。
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駅から電車に揺られてドンブラコ。
水族館のある街へとたどり着いた。確か、社会科研修とかそんなんで一度だけ来たような気もする。
恵はあまり遠出したくないのか、それとも興味がなかったのか分からないが、市外に自体そこまで出ない。最近アリサちゃんの家に行くために出てるぐらいだ。何が言いたいのかって、俺も恵も遊びに行こうという選択肢に水族館はなかったということだな。
それはともかくとして、まず行き先の確認だ。
「ここから歩いて10分ぐらいか。並んでるかな」
「夏休みだしね。混んでるかもしれない」
「しかし、水族館なー」
「あまり興味なかった?それなら謝るけど……」
「いや、全然行かないなって思って。こういうのは行って初めて楽しみが分かるってもんだ。最後に行ったの小学生の時だし」
「それ、社会科見学じゃないでしょうね」
「それです」
「はあ……それからならもう5年も経ってるし色々リニューアルされてるわよ。種類だって増えてるし、ショーのパフォーマンスレベルだって上がってるわ」
「何回も行ってるような口ぶりだな」
「……一般論述べただけで、私も社会科見学以来です」
申し訳なさそうにそう告げた美沙輝はなんか可愛らしかった。
まあ、楽しみにしてたというのは変わらないだろうし、こっちも楽しまなきゃ損ってもんだ。
ただ、着いた時にありえない寂れっぷりというギャグ漫画か水族館立て直し計画漫画にしかないような惨状になってないことだけ祈ろう。
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「こ、混んでるな……」
「入るのは……30分ぐらいかかるかしら」
「すげえ人気なんだなここ」
「ちょっと調べてたけどここまでは予想してなかった」
しかし、人が多すぎて流されそうだ。お前ら、もっと譲り合いの精神を持て。我先にと行こうとするな。ちぎっては投げるぞこの野郎。
「育也。目が怖い。殺気立ってるわよ」
「人混みは嫌いだ」
「好きな人がいるとは思えないけど……はぐれちゃいそうね」
「……ほら」
「なに?」
「はぐれないように。手、繋いどくか」
「い、いいわよ。子供じゃあるまいし。恋人でもあるまいし」
「ところがどっこい。そういうことにしておいたほうがいいこともある」
「え?」
指差す方に、料金設定が示されており、カップル割引なるものがあった。普通に二人で買うよか、安く済みそうである。
「……ま、まあそういうことならいいわよ。安く済むし」
「顔赤くなってるぞ。恥ずかしいのか?」
「分かってるなら言わないでちょうだい!」
慣れてないのか、こういうことではからかい甲斐がある。
しかし、本当に免疫ないのな。なんか、最初の頃の香夜ちゃんを思い出した。
「えっと……1000円か」
「それぐらいなら俺が出すぞ。その代わり昼飯はちゃんと自分で出してくれ」
「カッコつかないわね……」
ようやくたどり着いたチケット購入口でそんなやり取りをしながら、受付の人は慣れているのか淡々とチケットの半券を切り離して俺たちに渡した。
ようやく中に入れるな。
「流れ作業になっちゃわないかな?」
「ゆっくり行こうぜ。魚たちは逃げないし」
「あんたが水槽に寄ってくたび避けてるようにも見えるけど?」
「あれ?」
なぜだ。お魚さんたち。俺はこんなにもお前たちを見たいというのに、なぜお前たちは逃げていく。刺身にすんぞ。俺がそんなに嫌いか。
「ほ、ほら!ここなら小さい水槽があるところみたいだし、こっち見よ?」
美沙輝が別の方向に手を引いて俺を引っ張っていく。なんというか、深海の魚コーナーとか書かれていた。幾つかの小さな窓があり、そこから覗く形式のようだ。
「なんか落ち着くぜ」
「しかし、深海の魚をどうやってこんな風に生かしてるのかしら?そもそも、どうやって連れきたのか」
「そーいうのは抜きで見るもんじゃないのかこれ」
「気になるじゃない」
「クリオネでも見てようぜ」
「クリオネって深海の生き物なのかしら?」
「そもそも深海の定義もよく知らねえけど」
「でも、すごいわね。透明でくねくねしてて小さい」
「…………」
「なんで黙るのよ」
「いや、もうちょい色々とあるみたいだから見てみようかなって」
なんかちょっとエロいとか考えた俺はだいぶエロゲ脳に毒されてるらしい。しかし、こう特徴的な生き物が多いな。深海生物。
こう、どっしりと構えてるというか。……何も考えてなさそう。何食って生きてんだろ。
「育也~イルカショーあるんだって。行かない?」
「……行こうか」
「なんで溜めたの?」
「なんでもないぞ。イルカ見てえな。ショーだからこいつらと違って逃げることはない」
「ま、まあ。そうしょげないで、ほら行こ」
美沙輝は自分の腕を絡ましてきた。
「な、なんだよ。やけにベタベタしてくるな」
「まー。……なんか練習?彼氏できたときのための」
「予定があるのか?」
「私なら引く手数多よ」
「……その傲慢さじゃいつまでも出来そうにないな」
「なんだとー!」
「……ああ、分かった」
「なにが?」
「気にすんな。早く行こうぜ。早く行けばいいとこ取れるだろ」
「?」
教えの賜物か、師に似るというか、恵はなんとなく美沙輝に似てきているのか。
俺の視点からそう見えてるだけだから、他の人から見たら、俺に似てるとか、はたまた他の人からはまた他の人に似てるだとか言われるのかもしれない。
しかし、カップルの練習ね。
まあ、俺がわざわざ確認することではないだろう。組んだ腕をそのままに、ショーが行われる場所へと向かった。
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「わっ、結構いるね」
「あんまり近くでも水はねとかで濡れるだろうし、少し離れようぜ」
「あ、うん」
適当な中段あたりで空いてる席を見つけて二人並んで腰掛けた。
「あと10分ぐらいか」
「結構大きいね」
「お、イルカ見えるぞ。まあ、手を振っても分かりゃしないだろうけどな」
「うーむ」
「どうした?」
「いや、ここでいい彼女なら軽くつまめるものを用意しているんだろうなって」
「出発は同じだったんだ。そこまで考えるこたないだろう」
「育也は料理できる子と出来ない子はどっちがいいの?」
「そりゃ……あまり出来なくてもいいような気がしたな。いざとなりゃ、俺が出来るし」
「あんたにこの質問したのが間違いだったわ。じゃあ、質問変えるわ。あんた、女の子に何を求めるの?」
「癒しと安らぎ」
「はあ……そりゃ、香夜ちゃんにいくわけだ……」
「ん?」
「いいわよ、別に。あんたが悪いわけじゃないんだから。ほら、始まるわよ」
美沙輝が何を言いたかったのか分からないままイルカショーが始まった。
司会のお姉さんのかけ声に合わせて、イルカが水面から飛び上がる。
その姿に歓声と拍手が起こり、始まった。
ショーのクオリティなんて知らないし、分からない。
ただ、指示通りに動き、それを成功させていくイルカ達に賛辞を送る。
いくらか進んでいくうちに、司会から声がかかった。
「今からイルカと少し触れ合う時間がありまーす!触りたいお友達いるかなー⁉︎」
イルカとの触れ合いね。小さければ積極的に行こうと思ったのだろうが、まあそこは成長した男子高校生。子供達に譲ってやろう。
と、思っていたが、俺の隣でそわそわしてるやつがいた。
「美沙輝……行きたいなら行ってもいいんだぞ。止めないから」
「で、でも私が行ったら、こうなんか……恥ずかしいじゃない」
「もっと小さければよかったのかもな。ほら、あの子達ぐら……い?」
なんか見たことのある頭が三人。一人は妙にでかい。一人はブロンドの髪をポニーに結っている。
「どうしたの……って、あ」
美沙輝も気づいたようだ。
まあ、誰が行きたいと言ったかはともかく、お前らそれでいいのか。
それ以前になんでいる。
「も、もう少し出口に近い方に座るか?」
「え〜今から移動するの?どこもいっぱいだよ」
「それもそうだな。……なんかさ、兄としてこの光景がいたたまれない」
「気持ちは分かるわ。私たちもあの子達の姉貴分として、いいのかあの子たちは、みたいな気分だもの」
「お互い気分は一緒だなぁ。まあ、何も見なかったことにしよう」
「そうね」
「まあ……逆も想定していたほうがいいかもしれんがな」
「なんの話?」
「またこのショー終わったら適当に見ながら話してくか。あいつら見てようぜ」
「まあ……微笑ましくはあるわね」
「あ、恵だけ後ろに回された」
「背が高かったからかしらね」
「そして、何事もないかのように前の方に進んでイルカと戯れている2名」
「……ごめん、なんか泣けてきた」
「気持ちは分かるが堪えてやれ。あんなに楽しそうにイルカに触ってるんだぞ。デジカメをよこせ!」
「そういうのはあんたの役割でしょ」
「ちゃんとこんなこともあろうかと持ってきたぜ。俺、優秀だろ?」
「自分で言わなければ褒めてたかもね……」
「ま、隠し取りになってしまうが、それはお互い様だぞ。香夜ちゃん、アリサちゃん」
そして、後ろの方でポケーっと一人寂しく突っ立っていた恵も撮っておいた。
二人がさすがに申し訳なく思ったのか、話して恵を連れてきていた。仲良きことは良いことです。いい友達に恵まれてよかったな、恵。
その姿も写真に収めた。
しかし、イルカ。お前羨ましいな。美少女たちに触れてもらって。そこを交代するよろし。
俺がこんなところから念じたところで届くはずもなく、イルカは水槽へと戻っていった。
まあ、そこまでは想定してなかったのか、まだ最前列の方にいた恵たち三人はその水しぶきを盛大に被っていた。
「こら。隠し撮りしようとするな」
「あ、貴重なお色気シーンが‼︎」
もっともこんな状況でなければ、俺の上着だけでもかけてやりたいのだが。
さすがにスタッフの人たちが気づいてタオルとレインコートを渡してました。もう少し注意しようね、君たち。
「お前だって撮ってんじゃねえか」
「妹たちの可愛い笑顔を撮らずに何を撮るのよ。はい」
「ほら、お前も撮ってやるよ」
「あっ、こら!」
「大丈夫だって。お前も綺麗に写ってっから」
「そういう問題かー!」
少し抵抗しようと試みていたが、すぐに面倒くさくなったのか諦めた。
「私はいいからイルカ撮ってよ。せっかくだし、写真でもショーの感じ楽しみたい」
「カメラマンの腕には期待すんなよ」
「撮ってもらうんだもん。文句は言わないわ」
少し唇を尖らせていたが、余計なこと言ってもまた怒らせるだろう。
ここは駆け引きが重要だ。
何もちょっかいをかけないが正解だけどな。
それでも、時折イルカショーで目を輝かせたり、俺に反応を求めてるあたりは女の子らしいなと美沙輝を俺は見ていた。




