【過去】『かいじゅうたちのいるところ』(M・センダック)
1963年発行。
幼い頃はまあ誰もが怪獣ごっこやヒーローごっこをして遊ぶわけで。
女の子だったらままごとや人形遊びだろうか?
生半可な気持ちで大人が参戦してくると子供たちは時にため息をついたり本気で怒られてしまうこともあるだろうから世のお父さんお母さんたちは大変だろうね。
彼らの「ごっこ」は頭の中にある確固とした現実である。
遊んでいるうちにそれはふくらんでふくらんで、もうどっちが現実で自分が何者やらも忘れてしまうものなのかもしれない。
成熟するということはきっとそのバランスがうまくとれるようになってしまうということなんだろね。
それはそれでとても大切なことであるには違いない。
本書『かいじゅうたちのいるところ』のマックス少年はいたずらっこでお母さんに部屋に閉じ込められてしまう。
やがて部屋の中にはにょきにょきと木がはえて森になり、マックス少年は海をわたり「かいじゅうたちのいるところ」へ辿り着く。
最初読んだ時には気づかなかったが実はここまでに絵が徐々に大きくなってきているのだ。
冒頭、三分の一くらいだった絵がやがて二分の一となり、にょきにょきと木がはえてくるころにはページをはみだしてくる。
やがて一ページ半、一ページと三分の二、と少しずつ少しずつ大きくなる。
この“少しずつ”というのがわりかし馬鹿にできにゃい。
視覚というよりは意識下にだんだん手がしのびこまされていく気持になる。
やがてかいじゅうたちの王様になったマックスは島中をかけめぐる。
月に向かって楽しそうにおたけびをあげる頃にはもう見開き二ページに絵が広がり最高潮に達する(また、この時のマックス少年の表情がもう絶妙)。
やがてマックス少年はうちが恋しくなり来た道を引き返すわけだが、するとまた絵が小さくなっていく。
そして自分の部屋に帰りついた頃にはぴったり一ページに収まりバランスがとれるわけだ。
そしてそこにはお母さんが作った晩ごはんが湯気をたてている。
書店でみかけると必ずといっていいほど手にとってしまう本書は開くたびに奇妙な感覚を起こさせる絵本だ。
それはというと遠い昔わしゃの中に確かに在ったことのある感覚なのだ。
また手法としても映画などではちょっと表すことが微妙で、絵本ならではのものがある。
映画はアップやロングにすることは可能でもスクリーン自体は決して大きくなったり小さくなったりはしないもんね。
きっとこの作者は子供たちと一緒になって、いや子供たちよりももっと真剣に「ごっこ」ができる大人なのかもしれない。
センダックの描く絵は大好きで、本当に繊細でいて大胆、シンプルかつ表情が豊かだ
何回読んでも初めて読んだような気持ちにさせてくれる
365日と1日かけて辿り着く「かいじゅうたちのいるところ」は、ひょっとしたら僕らにもまだ行くことのできる場所なのかもしれない。
行ってみようと思う気持ちさえ無くならなければ。
(※【現在】の私から一言──その後2008年にはスパイク・ジョーンズによって映画化もされましたやね。あまり評判はよくなかったみたいだけど、着ぐるみのかいじゅうたちが河原で闘う『ウルトラ・ファイト!』のようなチープ感もあるくせに妙に『エル・トポ』のようなカルト臭さも感じさせるのがスパイク・ジョーンズさんのセンスなんだろうな~と。僕はけっこうアリだと思いましたが、皆様はいかがでしょう?)