25. 花の咲き乱れる場所で二人は
ケーキの後、サフィール様が「今日はみんなありがとう」と締めの挨拶をすると、一気に後片付けの時間が始まった。
みんなでゴミを片付け、装飾やテーブル、椅子を屋敷の中に運ぶ。
私も手伝おうとしたが、「奥様はサフィール様とのんびりしていてください」と止められてしまった。
周りがあくせく働く中、サフィール様が私の手を引いた。
「ノエル、いこう」
どこに、とは言わなかったが、なんとなく予想はついていた。
私も場所を尋ねず、「はい」と短く返事をする。
小さな手は、驚くほどしっかりしていて、確かな熱を持っていた。
――子供だと思ったら、急に大人になったようにも感じる。本当に、不思議。
どこかふわふわした気持ちを抱えたまま、私は彼に手を引かれ、後をついていった。
◇
「ごめん、歩きづらいよね。これでも大分、道を整えたつもりなんだけど……」
連れてこられたのは、屋敷の裏手の森。
サフィール様とはよく二人で散歩や探検をしたが、今日の道はいつもと少し違う。
まるで、けもの道を自分たちで踏み鳴らして道を作ったかのようだった。
低いヒールを履いていてよかった。さもなければ、土に刺さって前に進めなくなっていただろう。
「ここ、まるで絵本に出てきた『エル』がジル草を取りに行った道みたいですね」
気づけば、自分の口からそんな言葉が出ていた。
エルが最初にジル草を探しにいくシーンで、ページの端に描かれた小さな挿絵――
その道が、この森の小道にそっくりだったのだ。
「フフ、確かにそうだね。似てる。あ、そこ、レースが枝にひっかからないよう気をつけて」
前を行くサフィール様は、私のことを気にしながらゆっくりと進む。
私も、この素敵な衣装を汚したくないので、慎重に後をついていった。
「もう少しだから、あとちょっとがんばって」
何度も振り返り、私の様子を気にしてくれる。
以前は私が「疲れていませんか?」と声をかけ、抱き上げていたというのに。
「大丈夫ですよ。むしろ、どこに連れて行ってくださるのか、楽しみです」
自分が森のどのあたりにいるのかも、どこへ向かっているのかもわからない。
目的地を知っているのは彼だけだ。
その小さな背中が、今はひどく頼もしく見えた。
――行き先は、なんとなくわかっている。
彼が、かつて私にプレゼントしてくれたものがある場所。
きっと、そこだ。
「あ、見えた!」
弾んだ声が、森の静けさを震わせる。
その背中越しに広がった景色は――
「わぁ……!」
思わず、声がこぼれた。
森の奥、ぽっかりと開けた場所。
木々の茂みが途切れ、たっぷりと陽の光が降り注いでいる。
そこ一面に広がっていたのは、ジル草のやわらかなピンク。
風に揺れ、淡くきらめく花畑だった。
「疲れさせちゃってごめん。でも、どうしてもノエルと一緒にここに来たかったんだ」
サフィール様が、静かに私の隣に立つ。
並んで少し坂を見下ろすと、視界が大きく開け、花畑はより一層の広がりを見せていた。
「どう? キレイ?」
「はい……とても」
「――ノエルが昔見たっていう、実家の畑のジル草より?」
「それよりも、もっとです」
幻想的ともいえるその光景から、目を離すことができなかった。
幼い頃、庭の畑で大繁殖したジル草。
あのときも、淡いピンクに心を奪われたものだ。
けれど――
ここは、まったく別の意味で、私の視線を縫い止めて離さない。
(サフィール様は……旦那様は……ここで、私に贈る花を選んでいたのね……)
胸の奥が、静かに熱を帯びる。
言葉もなく景色を見つめる私に、隣からそっと声が落ちた。
「……つらくはない?」
その声は、どこか不安を含んでいた。
はっとして顔を向ける。
彼は、強がりでも、子供らしい無邪気さでもない、ただ真っ直ぐな目で私を見つめている。
「いいえ。むしろ……感極まっている感じです」
言葉を探しながら、ゆっくりと続ける。
「幼いあなたは……ここまで来て、私に花を贈ってくださったのでしょう。
そう思うと、それだけで胸がいっぱいになるんです」
サフィール様は、私の言葉を静かに受け止めるように、もう一度花畑へと視線を戻した。
「ねえ、ノエル。これからも、ここには一緒に来られる。それに、ぼくは君に、また花をプレゼントするよ」
風に揺れるジル草を見つめながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「二人の思い出は、これからも、もっと増えていくんだ」
そして、再び私をまっすぐに見つめた。
「ぼくは、すぐに大きくなる。すぐに、君に追いつける」
その声音には、不思議と迷いがなかった。
サフィール様は足元のジル草を一輪、そっと手折る。
それを私の前に差し出し、静かに告げた。
「どうかこれからも――、ぼくと一緒に、思い出を作ってください」
その言葉を聞いた瞬間、目の前の景色が揺れた。
――ちがう。揺れているのは、私の視界だ。
涙でぼやけて、サフィール様の顔が滲む。
「よ……四度目の、プロポーズで、あってます?」
震える声で言いながら花を受け取ると、彼はくすりと笑った。
「もう数えなくていいよ。これから、何度だってするから」
その一言で、堰が切れた。
私は身を屈め、小さな彼を抱きしめる。
彼の胸に顔を埋めたまま、声を出さずに静かに泣いた。
「私……あなたが大きくなるころには、結構なおばちゃんですよ?」
少し冗談めかして言ったつもりなのに、声は情けないほど弱い。
「いくつになっても、ノエルはかわいいよ」
迷いのない声が、すぐ頭の上から振ってくる。
「それに、君がぼくに夢中になれるように、ぼくのほうが、これからもっともっと頑張らないといけないんだ」
その言葉に、涙の残るまま思わず笑ってしまう。
「また、母親みたいな顔、しちゃうかもしれません」
「じゃあ、甘えてあげる」
即答だった。
「それから、ぼくに惚れ直してもらう。問題ないよ」
一拍置いて、彼は少しだけ背伸びするように言う。
「――君の将来を、ぼくにちょうだい」
胸が、きゅっと締めつけられる。
「かわりに、ぼくの将来をノエルにあげる。交換っこだね」
「し、仕方ないから、交換っこして差し上げます」
わざと強がった声でそう言うと、サフィール様は嬉しそうに目を細めた。
二人でそっと額を突き合わせる。
くすくすと、どちらからともなく笑いがこぼれた。
風が吹き抜け、ジル草の花びらがさやさやと優しく揺れる。
今ならもう、あの絵本を、何のためらいもなく開けるだろう。
机の奥にしまい込んでいた、私の小さな宝物も――
きっと、ちゃんと栞として使ってあげられる。
過去を閉じ込める時間は、やっと終わりを告げたのだと、そう感じた。
次でラスト




