11. 遊色:矢崎詩音の夏休みが始まった
終業式の二日後、私、矢崎詩音は寮の前で旅行カバンを抱えて立っていた。
春休みの時とは違って、落ち込んでないし、途方に暮れてもいない。
山の上とはいえ、暑いものは暑い。
最近伸ばしている髪が、首の後ろに張り付いて汗を滴らせていたけど、私は気分良く立っていた。
少し待つとエンジン音がして、目の前に車が止まった。
「詩音ちゃん、お待たせ」
「ううん、今来たところ」
車から匠海さんが降りてきて、カバンを後部座席に乗せる。
「どうぞ、お乗りください」
「ふふ、ありがと、匠海さん」
匠海さんがおどけて助手席のドアを開けてくれた。
乗り込んでシートベルトを締めると、匠海さんも運転席に乗り込む。
「春休みぶりに運転するから、ちゃんと掴まっててね」
「うん。頑張って」
「おうよ、任せとけ……とは言い切れないけど、事故らなかったら褒めてね」
車はゆっくり走り出した。
匠海さんは高校を卒業するのに合わせて、お友達と免許合宿に行っていたらしい。
でも免許を取ってからは一人暮らしだし車も持ってないから、まったく運転してなかったそうだ。
だから今回は運転を忘れないために、実家から車を借りてきて迎えに来てくれた。
私は景色も見るけど、どっちかというとハンドルを握る匠海さんの手ばかりを見ていた。
最初は横顔も見てたけど、落ち着かないって言われちゃって、今は手と腕、それからときどき横顔だけを見るようにしている。
当たり前だけど、匠海さんの指は長くて太い。たぶん私の指の倍くらいある。腕もそうだし、太腿も。
でも一緒に寝るときは、私が痛くならないように重くならないように、優しく抱き寄せてくれるから、すごく好き。
美海はいいなあ。こんな優しくてかっこよくて料理上手なお兄ちゃんがいて。
私にも兄はいるけど、ほとんど会わないし話すこともないから、もう顔も声もあやふやだった。
そんなことを考えていたら、窓の外にキラキラと光るものが見えた。
「わあ、海だ」
「もうちょっとしたらパーキングがあるから、昼飯食おうか」
「うん!」
私は匠海さんから目を離して、窓の外を見た。
夏の海が太陽の光を反射して、キラキラと輝いていた。
なんだっけな、プレイオブカラー。
前に実家に来ていた外商さんがそんな話をしていた。あれは石の話だけど、海にもそれくらいたくさんの色が輝いて見えた。
匠海さんは何回か向きを切り替えてから、駐車場に車を駐めた。
「んー、まだ斜めになってる気がする」
「ちょっとくらい斜めでもいいよ。ねえ、匠海さん、詩音、お団子食べたい」
「先にトイレ行かせて」
「あ、じゃあ詩音もそうする!」
それぞれお手洗いを済ませてから、手をつないでパーキング内にある広いショッピングエリアを散策する。
夏休みだから人が多くて、私はもみくちゃになった。
「し、詩音ちゃん、大丈夫?」
「なんとか。匠海さんは?」
「ダメかも」
「あはは、ごはん食べよう。でもフードコート混んでるね」
「じゃあ外の売店で買って、海岸の方で食おうよ」
海辺のパーキングエリアだから、海岸沿いにもパラソル付きのベンチが並んでいた。
陽射しがきつくて暑いから空いている。
二人でお団子やおにぎりを買ってベンチに腰を下ろすと、思ったよりずっと静かで、波の音くらいしか聞こえなかった。
「おいしいねえ」
「なー。帰りもここで飯食って帰ろうか」
「そうしよう。次は夜がいいな」
「まだ夜の運転は怖いかな……」
「そっかあ。じゃあ朝」
「いいねえ」
のんびりごはんを食べてから、私たちはまたパーキングのショッピングエリアに戻った。
人混みに入る前に、匠海さんの手が私の手を握った。
「はぐれないように掴んでて」
「うん!」
大きな手は少し汗ばんでいたけど、たぶん私の手の方がもっとベタベタだと思う。
美海と夜、川瀬さんのパパとママにお土産を買って、ちょっとヨレヨレしながら車に戻った。
「いや、マジ混んでた。なんなんだ……」
「夏休み始まったばっかだからね。たぶん新幹線だともっとすごいよ」
「これ以上とかあんの? 都会やべーな」
「今度案内してあげるよ」
「……手、離さないでね。そんなとこではぐれたら、俺行き倒れちゃう」
匠海さんは苦笑しながらシートベルトを締めた。私もシートベルトをしたことを確認して、エンジンをかける。
「よし、帰ろうか。あんまり遅くなると美海が心配する」
「そだね。さっきから、何時くらいになるのかずっと連絡来てるよ」
「マジか。安全運転で行くから、もうちょいかかるって言っておいて」
「はあい」
私が美海に返信している間に、車が走り出した。
高速道路はそこまで混んでいないから、夕方までには小崎町に着けそうだ。
私は車が止まるまで、匠海さんばかり見ていた。
「お兄ちゃんも詩音もおかえり!」
「美海も夜も、久しぶり!」
川瀬さんの家の前で、美海と夜が出迎えてくれた。
二人とぎゅうぎゅうくっついている間に、匠海さんが荷物を運んでおいてくれた。
「晩飯にパーキングで弁当買ってきたから食おうぜ」
「僕のもあります?」
「あるよ。感謝しろ」
「ありがとうございます、お義兄さん」
「お前に兄と呼ばれる筋合いはねえよ!」
匠海さんと夜は相変わらずのやり取りをしていて、美海が呆れた顔をした。
ごはんの後、寝ようとしたら美海が部屋に来た。
「一緒に寝ていい?」
「もちろんだよ」
二人で布団を並べて敷く。
それぞれの学校の話をしているうちに、瞼が重たくなってきた。
「ねえ、詩音はさ……お兄ちゃんのこと、どう思う?」
「ん……美海がうらやましいって思うよ」
「うらやましい?」
「うん。匠海さんはかっこよくて、優しくて、料理上手で、それに美海のことをすごく大事にしてる。いいなあ、詩音も、匠海さんみたいなお兄ちゃんほしいな」
美海は何も言わない。
私は眠くて、美海がどんな顔をしているのか確かめられなかった。
「……お兄ちゃんは、詩音のこともすごく大事にしてると思うよ」
「そう、かな」
「うん。だから……いや、止めとく。詩音とお兄ちゃんが考えることだから」
「うん……?」
「おやすみ、詩音」
「ん……おやすみ、美海」
それきりどちらも何も言わなかった。
私はまどろみながら、美海の言っていたことを考えた。
匠海さんが、私に優しくしてくれてるのはわかってる。
妹の友達としてはもったいないくらいに、大事にしてくれているのも。
だからこそ私は、これ以上大好きな匠海さんの迷惑になりたくなかった。
瞼の裏に、昼間見た海の色が映る。
迷惑になりたくないけど、でもまた匠海さんと海であのキラキラを一緒に見たい。
私はどうしようもなく、ワガママだった。
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