幽霊ホテル
洋館をホテルとしてオープンさせてから五日、客の入りはまずまずだった。俺とフレインの恥辱に耐えながら行った広報活動のおかげか、それとも幽霊屋敷の噂があったホテルだからか、嬉しいことにアイリスさん一人では手が回らなくなるという日もあったくらいだ。そんなときは師匠命令でソフィにアイリスさんの手伝いをさせている。ソフィはアイリスさんと同じくらいの身長しかないが、力がものすごく強かった。男が二人がかりで持つような荷物も片手でひょいと運んでしまう。最初はソフィの手伝いを遠慮していたアイリスさんも今では大喜びしている。
しかし幽霊騒ぎの一件を知っている者たちの間ではここはこう呼ばれている。
幽霊ホテル、と。
「まったく、誰が言い出したんスかね幽霊ホテルなんて」
ソフィはタオルやらシーツやらがいっぱい入った洗濯かごを手に庭に出てくる。
「でもそんな悪いことでもないよ。その噂を聞いてわざわざ遠くから来たってお客様もいたし……」
アイリスさんがシーツを干しながら返事をする。
「そうだぞ。ホテルの売り上げが伸びればお前だって給料貰えるかもしれないぞ」
今日は依頼が何もなかったので俺はホテルの庭で二人の仕事する姿をぼんやり眺めていた。ちなみに俺とフレインとソフィはホテルの最上階である四階に住んでいる。アイリスさんは仕事の都合上一階に住むことになった。
「師匠、あたし給料なんていらないから早く依頼に参加させてほしいっス!」
ソフィは弟子になることを認めた直後から俺のことを師匠と呼ぶようになっている。
「給料は働いてくれた分はきちんと払うから安心してね、ソフィちゃん」
といつも通り朝からマイペースなアイリスさん。
「それよりフレインちゃんはどうしたの?」
「ああ、あいつなら何か買いたい物があるとかでどこかに出かけていきましたよ」
アイリスさんが気になったのも無理はない。フレインは常に俺のそばについてまわっているからな。だがあいつにも普通の女の子らしい一面があるということだろう。ホテルの中に入っていくアイリスさんとソフィを見送ると俺もその場を離れた。
たまには商店街の方に行ってみるかとギルドとは逆方向に足を運ぶ。通りには店が沢山並んでいて、どこもかしこも活気のある声が飛び交っている。さながら前の世界の築地を思わせる光景だった。
しばらく歩くと雰囲気が変わって、大きな建物が居並ぶ大通りに入った。さっきまでの喧騒が嘘のように落ち着いた雰囲気が漂っている。左側に古書店があったので寄ってみることにした。
中はあふれんばかりの本で埋め尽くされていた。こんな風に本が沢山ある空間は久しぶりだな。テオール家も蔵書が多く置いてあったが俺が元いた世界の俺の部屋には遠く及ばなかったからな。まぁ俺の専門は主に漫画と写真集なんだけど。
本棚を流し見しながら歩いていると難しい本ばかりが目に入ってくる。いつのまにか普段俺が立ち入らないような一画に入り込んでいたらしい。幾何学なんたら、宇宙理論かんたら訳のわからない本が無造作に積まれている。
「誰が読むんだ、こんな本」
何気なく一冊の本を手に取ろうとして――。
トンッ
手と手がぶつかってしまった。というより半分手を掴む形になってしまった。
俺はとっさに「すいません」と言うと相手の顔を見た。背は俺よりちょっと低いくらいの可憐な美少女だった。アイリスさんもフレインもソフィも顔立ちは整っているが、三人とはまた違った印象の女の子だった。服装からするともしかしたら貴族の令嬢かもしれない。
「あの」
美少女の声で我に返り、なぜかもう一度「すいません」と口をついて出る。
美少女が眼鏡をくいっとなおす。眼鏡の奥の目が俺をみつめている。
「ナンパ?」
「いやいや違うよ。たまたま手が当たっちゃっただけだから」
「そう」
と言うとその場を去っていった。
不思議な雰囲気の娘だったな。あっ! あの娘、何か落としていったぞ。生徒手帳のようだった。俺はそれを拾うと中を確認する。名前はエレナ、聖バエリア学園の二年生だ。聖バエリア学園ていったら俺でも知ってる有名なお嬢様学校だ。
後を追って俺が古書店を出ると彼女はもういなかった。そして、
「あら、カイルさま」
と声が聞こえた。声の主はフレインだった。両腕に袋をぶら下げている。
「ああフレインか。……それ何買ったんだ?」
「秘密です」
それだけ言うとフレインはそこで別れ、俺はまた大通りを散策し始めた。もしかしたらさっきの娘に会えるかもしれない。行く当てもなく探しながら歩いていると三組のカップルが通り過ぎていった。大通りにはお菓子屋や靴屋、質店、宝石店など多種多様な店が軒を構えている。しかし興味を惹くものは特になく途中にあったレストランで昼食をとってから俺は仕方なく帰路についた。
完全にホテルと化した洋館のロビー部分を横目に、玄関近くの階段を上り四階まで上がる。階段の途中でホテルのお客さんらしき人と出くわしたので互いに会釈をする。それにしても毎日の階段の上り下りがそこそこいい運動になるな。
四階に着くと通路を挟んで左側が俺の部屋、右側がフレインとソフィの部屋になっている。ソフィの部屋のドアは開いているから今もアイリスさんの手伝いをしているのだろう。もう立派な幽霊ホテルの従業員だな。フレインは部屋の中からゴソゴソと音がするからもう帰ってきているのだろう。俺に秘密にしてまで一体何を買ったんだか。
その答えは意外にも早くわかった。
その日の夜、「カイル君」「カイルさん」「カイルさま」と三人に同時に呼び止められた俺はそれぞれからチョコの入った包みを手渡された。そう。今日はバレンタインデーだったのだ。この世界にも前にいた世界とほぼ同じ風習があったのは驚きだが、そういえば毎年フレインからはチョコを貰っていたっけ。
「時間がなかったから手作りじゃないけど」
アイリスさんが「ごめんね」と小さな顔の前で手を合わせる。よく考えると前の人生も含めて手作りチョコなんて貰ったことがない。
「あたしが時間がなかったのは師匠のせいっスからね」
とソフィが不機嫌そうに言う。もしかして照れてるのかな。
「わたくしは例年通りです」
とフレインが大きな箱をつっけんどんに手渡してくる。いつも通り有名ブランドのチョコだった。
俺は三人に感謝を伝えると、アイリスさんが「食べてみて」と言うので俺はその場で開封し食べてみた。
「すごくおいしいです」
義理とはいえ三人の女性からチョコを貰えるなんて前の人生からは考えられなかった。
俺は明日の依頼探しに一段とやる気が出て来た。




