黒装束
「ねぇさま!」
「姉様!」
膝を着いたレラジェに対して、リーサを捕らえていた2人の少女が、ほぼ同時に声を上げて、駆け寄って来た。
それぞれの手には武器が握られ、一端、レラジェに向いていた心配そうな視線が、殺気の籠ったものに変わってヴァルに向けられる。
「やめなさい、ライラ、メリア」
今にもヴァルに飛び掛かりそうな2人を、レラジェが制止する。その声は静かながら、迫力のあるものだった。
その一声に、ライラもメリアもぴたりと殺気を抑え、武器を納める。ただ、突き刺さりそうなほど鋭い視線は変わらなかった。
「私の負けです……さすがですね、バルバトス。やはりあなたは強い」
「れっちゃん……」
顔を上げ、敵意のない微笑を向けるレラジェに、ヴァルも銃を降ろして表情を緩ませた。
「約束通り、あのマネージャーは返します。それに、シアの殺害依頼は破棄しましょう。あなたがいる限り、彼女を消すことはできな――!」
レラジェが言い終わる間際、ひゅっと風を切る音がした。
「ふん!」
ヘルマンが、突如として撃ち込まれたものを、間一髪で掴んで止めた。
――放たれた1本の矢。
その矢はシアの顏まで数十センチのところまで迫っていた。動きを止めた矢の先では、シアが驚きに目を見開いている。
いったいどこから。
皆の視線が一斉に矢の飛んで来た方に移った。
「やれやれ、暗殺者のくせに決闘など挑んで、その上、無様に負けて勝手に契約破棄とは……2流、いや3流もいいとこだ」
矢の出処から男の声がする。
皆の視線の先にいたのは、黒ずくめの恰好をした男だった。手にはボウガンを持ち、天井近くの上方、壁からせり出した装飾の上に立っている。
しかも、黒衣の人間は、その男1人ではなかった。同じように装飾の上に点々と、8はが佇んでいた。
「どういうつもりですか? 手出しは無用と言ったはずですが?」
「黙れ、無能が。貴様は先ほど契約を破棄すると言った。故にここからは我らが介入する」
立ち上がりながらレラジェが黒衣の男を睨んで言うが、男の冷たい声がそれを一蹴する。
「やはり、雇いの暗殺者なんて使うもんじゃない。支部最強というからどんなものかと思ったが、期待外れもいいところだ」
喋るのはボウガンの男だが、まわりの人間も同じ意見とばかりに冷ややかな目で、レラジェたちを見下ろしている。
男の侮蔑に、レラジェも、隣のライラ、メリアも厳しい表情で男を睨み返した。
「おい! さっきから聞いてれば、れっちゃんの悪口言って! れっちゃんはお前らの百倍は強いぞ!」
ヴァルが怒りの声を上げた。彼女が本気で怒っている。真剣という表情ではなく、怒りを露わにしていることに、レラジェには意外で、唖然としてヴァルを見た。
「ふん、吠えてろ。貴様らはここで消す」
突然、ヘルマンたちの背後からズンという音がした。はっとして振り返ると通路への出入口に、壁が降りて、閉ざされてしまっていた。それと同時に四方の出口も閉ざされ、退路が完全に断たれる。
その後、黒衣の男たちが一斉に、前方に両手をかざした。すると、床に巨大な魔法陣が現れ、妖しい赤い光を放ち、それに呼応する様に、壁や天井に描かれていた模様も光り出した。
「魔力増幅結界!? 不味いわ!」
「どう不味いんだ、マリア――ぐっ!」
魔法陣が眩い光を放ち、全員が目をくらませた。真っ赤に染まる視界。
眩い発光は一瞬だった。
すぐに光は消え、目元にかざした手を退けると、ちらつく目にもはっきりと“それ”は映った。
恐るべき怪物の姿が。
「そ、そんな……」
マリアの声が震えた。
それは、2足で立っていた。2本の脚に、2本の手、形は人間と同じだった。ただ大きさが全く異なっている。見上げる程に巨躯なのだ。
全身を覆うのは、屈強な筋肉と獣の様な剛毛。
前に突き出た長い口には鋭い牙が並び、目は赤く血走っている。
そしてなにより特徴的なもの――この怪物は2本の大きな角を持っていた。カーブを描き、前に突き出ている角だ。
その角から、牛の様に見えるこの化け物は、“ミノタウロス”と呼ばれていた。
「な、なにあの化け物!?」
シアが引きつった声を上げた。
「ミノタウロスだ。まさかあんなもんまで召還出来るなんてな……」
「この広間のせいよ。魔力増幅の結界が貼ってある。じゃなきゃ、あの人数でミノタウロスなんて呼べないわ」
「先に気付けよな、マリア。結界とかお前、専門だろ」
「無理言わないでよ! あんな仕掛け見たことないわよ!」
愛用の大剣を構えるヘルマンと、同じく錫杖を構えるマリアが、シアの前で口論を始めた。
しかし、その口論はすぐに止まった。広間に大きな衝撃と地響きが駆け抜けたのだ。
「っ!?」
2人は口を噤み、注意をミノタウロスに戻した。手に持つ巨大な斧を足元に叩きつけた衝撃だった。
見た目通りの怪力で、石の床がひび割れ、斧が深々と突き刺さっている。
斧が振り降ろされた先には、ヴァルとレラジェたちが、全員さっと飛び退いて、巨大な一撃から逃れていた。そしてそのまま、合わせたわけでもなく、一斉に反撃に転じていた。
「グモオオォォォ!」
彼女たち各々の武器で攻撃され、ミノタウロスが、涎を振り撒き、怒り狂った様に雄叫びを上げた。
しかし、それは痛みによりものではなく、周りを飛び回るヴァルたちが煩わしいだけ、といった感じだ。
その証拠に、分厚い皮膚と筋肉によって、彼女たちの攻撃は一切効果が出ておらず、ミノタウロスは無傷だった。
絶対的な力を持つテストゥムであるヴァルやレラジェであっても、この巨大な化け物には火力が足りなかった。それはつまり、既存の武器を扱うことが能力である彼女たちにとっては、最悪の相性の敵だといえた。
「ミノタウロス、まず、あの小娘を優先して殺せ!」
「グルルル」
黒衣の声に、斧を振り回していたミノタウロスが動きを止めて、血走った眼をシアに向けた。
「ひっ!」
恐ろしい怪物に睨まれたシアは、すくみ上り、腰を抜かさんばかりに慄いた。
ミノタウロスは、恐怖で動けないでいる獲物に、咆哮を上げながら斧を掲げ、真っ直ぐに走り出した。ズン、ズンと地面が揺れる。
「ちっ、やっぱりこっちに来やがったか!」
ミノタウロスがヘルマン達の目の前まで迫る。
今の戦力では、正直、この化け物を倒すどころか、逃げるのも難しい。ましてシアを庇いながらなど、直後に来るであろう化け物の一撃をどうするかさえ難儀する状態だ。
「マリア、俺に強化魔法をかけろ! あと障壁もだ!」
「わかった――えっ!? 伏せて!」
返事をしかけたマリアが、急に切羽詰まった声で叫んだ。
叫ぶと同時に、シアを床に引き倒すようにして、自らも伏せる。ヘルマンもその声に反応し、瞬時に伏せた。
その直後、背後の石壁が吹っ飛び、同時に何かが雪崩れ込んできた。
黒い塊だ。それが、まるで爆破でもされたかと思うような派手な音と伴に、石壁を弾け飛ばして飛び込んできたのだ。
その塊は、影の様に漆黒で、水の様に形が無かったが、広間に飛び込んでくるなり、ぐっと伸びて形を変えた。
そして、みるみる大きな“手”の形となると、あっという間にミノタウロスをがっしりと握り締めてしまった。
「グモオオォォォ!」
雄叫びを上げて、自分を握り締める手から逃れようともがくが、締め上げはさらにきつくなり、 徐々にミノタウロスの実像が薄くなっていく。
雄叫びを上げる声も弱くなり、終いには空中に溶ける様に消えてしまった。
「な、何だと!?」
その光景に黒衣の男たちに動揺が走る。
「くくく、まさかミノタウロスなどが食えるとは」
「みんな、大丈夫か!?」
破壊された壁の後ろから現れたのは、クロードとメリッサだった。
その後ろには、ナフィーサ、サイード、そしてアルレッキーノとロゼッタの姿もあった。
「お、お嬢様!?」
マリアは驚いて顔を上げる。
そんな彼女の元にメリッサは、クロードから離れて駆け寄ると、彼女の手を取って立たせてやる。
「どうしてお嬢様が!? あれ? 私、打ちどころが悪かったのかしら? 幻覚?」
「だ、大丈夫だよ。マリアさん、わたしにも見えてるから」
メリッサに起こしてもらいながらシアが言った。
遠くでは、ヴァルが「お嬢様!」と嬉しそうに叫んで、ぶんぶんと大きく手を振っている。それを見て、マリアは目の前のメリッサが現実だと理解した。
「話は後だ。あの黒服たちを迎撃するぞ」
「はい!」
メリッサは剣を構え、鋭い視線を黒衣の男たちに向けた。
「おのれ!」
黒衣の男たちも、それぞれの武器を抜き、戦闘態勢を取る。しかし、メリッサ達の敵は装飾の上に立つ男たちだけではなかった。
一触即発のその状況の中、広間の向こうの石壁が開いて、別の黒衣の男たちが駆け込んできた。10人はいるだろうか。ぞろぞろと広間に足を踏み入れる。
「お、お頭!」
入って来た先頭の男を見て、装飾の上にいた男の1人が叫んだ。
「ここで奴らを仕留めるぞ! 掛かれ!」
「はっ!」
お頭と呼ばれた、先頭の男が号令をかけると、男たちは、初めから作戦を立てていたかの様に、瞬時に散り、メリッサたち個々に対して、数人がかりで襲い掛かって来たのである。
そこからは乱戦になった。刃の交わる音、銃声、怒号や叫びが入り混じる。
その戦いが激化する中、1人、未だ動かない男がいた。あの頭目らしき男―ジャファドであった。
己が狩るべき標的を捕らえると、彼も双剣を抜き、詠唱を唱え始めた。光を帯びる男の体。
詠唱を終え、彼の目がかっと見開く。
地面を蹴ると、飛ぶが如く、高速で一直線にナフィーサに向かって突き進んだ。それはまるで光の矢であった。
しかし、光の矢となった男に、もう一矢の光の矢が正面からぶつかり、彼の進撃を止めた。
咆哮にも似た叫びが上がる。
「サイィィドォォォ!」
「ジャファド、お前は俺が止める!」
「邪魔だ! 裏切者め!」
親衛隊長サイードとゴート頭領ジャファドの、熾烈な一騎打ちが始まった。お互いの双剣が、目にも留まらぬ速さで何度も激突する。
技と技の応酬。剣のぶつかる音が、楽器でも奏でるかの如く、速いピッチで響き渡る。
何十合と打ち合うなかで、互いに少しずつ傷が増えてゆく。腕、脚、肩、腹と体の至る所が致命傷には至らないが、肉が割かれ、動くたびに血が飛び散る。それでも鬼の形相で高速で剣を交え続ける。
しかし、拮抗していたと思われた戦いも、紙一重の差、刹那の隙が、雌雄を決した。
大きく弾かれるジャファドの双剣。そこにサイードの剣が振り降ろされ、ジャファドの胸がざっくりと縦に切り裂いた。
「なぜだ……サイード……なぜ……」
血しぶきを吹き上げながら、ジャファドは後ろにばたりと倒れた。
「お頭!」
各々戦っていた男たちが、頭領の異変に気付き狼狽える。一斉にその場から飛び退き、一目散に倒れたジャファドの傍に集まった。
「撤退だ!」
1人がそう叫ぶと、他の者たちがジャファドを担ぎ、残った者が何か丸い物を投げた。次の瞬間、投げられた丸い物が弾け、目も眩むような閃光が辺りを包む。
「くっ」
メリッサ達は咄嗟に目を瞑ってしまった。
光がおさまり、辺りを見回すと黒衣の男たちはその場から消えていた。
「……どうやら、奴らは言葉通り撤退をしたらしい」
目がチカチカすするのを堪えながら、辺りに敵の気配がないことを確認すると、メリッサ達は武器を納めた。
「みんな、無事か?」
メリッサが辺りにいる仲間たちに声を掛けると、彼女の元にグレンザール警備会社の一同が集まって来た。シアとナフィーサ、サイードも合流する。
ただ、ヴァルだけはその輪に加わらず、レラジェの方に歩いて行った。
メリッサの方もそれを見ていたが、ヴァルと彼女たちが訳ありなことを察して、好きにさせることにした。
メリッサは、ヘルマン達と簡単な情報交換を済ませると、ここに来た当初の目的どおり、ナフィーサをはじめとする数名で、寺院の地下にある地脈装置の対処に掛かった。
それを横目に、ヴァルはレラジェに話し掛けた。
「約束だよ。れっちゃん、どうしてヴァルのこと恨んでるのか教えて」
「…………」
ヴァルが真剣な眼差しをレラジェに向けた。向けられた彼女は、横に顔を背け、言い辛そうに物憂げな表情を浮かべている。
「ねぇ、どうして? ヴァルは今でもれっちゃんのこと、大切に思ってるんだよ? なのに、そんな人に恨まれているなんて悲しいよ。何か悪いことしたなら、謝らせてよ」
ヴァルの声が届いたのか、レラジェはぽつりぽつりと、言葉を紡ぎ出したのだった。




