女王の戴冠
「今夜……ボルドア卿の邸宅でパーティーがありますね? そして、あなたも参加される」
サルマンの眉が一瞬ぴくりと動いた。
「……はて、何のことですかな?」
非合法な取引が行われるパーティーである。当然、サルマンはしらを切った。さっきまでの緊張した様子が隠れ、じっとナフィーサを見据えている。
「別に貴方を咎めようというわけではないんですよ。私にそのパーティーの招待状をお譲り頂きたいのです」
その言葉にサルマンは肩透かしを食らった気分になった。所詮は小娘の気まぐれなわがままかと。
ちょっと背伸びして、アウトローな社交界にデビューしたいのだろう。街でちょうど顔見知りの自分を見つけて、招待状欲しさに声を掛けたといったところか。
儲け話にはならないな。サーディール王家にも、色々と取り入って何とかしようとしているビジネス(儲け話)もあるが、この王女に恩を売ってもリターンはないだろう。
サルマンは自分の気持ちが冷めてゆくのを感じた。
「いやはや、招待状とやらがあるなら渡したいのですが、その様なもの存じませんので」
適当にはぐらかして早々に切り上げよう。この会合に益はない。そうサルマンが考え始めた時だった。
「……むしろあなたの得になる話なんですよ」
ナフィーサの目つきが変わった。
「……といいますと?」
「はい。招待状を頂けるのであれば、貴方の経営される会社と我が国の国営企業との貿易ルートについて、私から父に口利きして差し上げます」
「……え?」
たった今、心の中で侮った小娘の口から思わぬ条件が飛び出て、サルマンは動揺が顔にはっきりと表れた。
「サルマン様、貴方は事あるごとに父に謁見してましたよね? 父だけでなく、私や他の姉妹にも貢物を献上もして。あれも全て、国営企業との取引を取り付けるため、でしょ?」
「いや、それは……」
サルマンは利益で動く人間だ。たかがパーティーの招待状など、彼が望む利益を提示すれば簡単に渡してくれるだろうとナフィーサは考えていた。
(あと一押し……あと一押しで決まる)
しかし、彼女の提案は、思惑とは別の結果を招いてしまった。
この提案にサルマンの勘が反応したのだ。情報は少ないが、立ち回り次第で大きく益になる話。しかし、美味い話には、裏があるもの。
警戒せねばと、ネズミの様に慎重な彼の脳は、したたかに計算を始めた。
「なるほど……確かにそういったパーティーの招待状は所持しております。嘘を申したことはお詫びします。しかし、私もパーティーを楽しみにしておりまして。ボルドア卿からの信頼もあります故、簡単にはお渡し難い。招待状を求める理由をお教えいただけますか? ……ただの火遊びではありますまい?」
この小娘には何かある。危険な話ならそれまでだ。しかし、場合によっては今よりもっと好条件を出せる。上手くいけば、王家との繋がりも持てる。そう、サルマンは踏んだ。
一方、ナフィーサは彼の質問に、内心、冷汗を滝の様にかいていた。
(えぇ!? 理由なんてないわよ!)
ここで招待状を求める理由をはぐらかせば当然、招待状は貰えないだろう。しかし、単にパーティーに行きたいなどでは彼は納得しない。もちろん、潜入の為なんて言えるわけもない。
ここから先は台本にない白紙である。頭が真っ白になった。
しかし、それを悟られまいと妖艶な笑みを浮かべ、立ち上がり、おもむろに壁に掛かった絵画の前まで歩いて行った。
(ど、ど、どうしよう……それらしいこと言わないと!)
歩きながら必死に考えるナフィーサ。
そんな中、偶然近寄った絵画が目に入った。そして、その絵画が彼女に閃きを与えた。
「ふふふ……やはりサルマン様、貴方は私が思った通り賢明な方だ。簡単に招待状を渡していたら、あなたとはこれまででしたよ……」
サルマンには急にナフィーサの雰囲気が変わった様に映った。まるで何か化け物の正体を暴いてしまった様な、そんな不安に駆られた。
「今の王家の子供たちは全員女です。将来は、女王が誕生するでしょう。過去の歴史を見ても女王もいたことがあるので、現実的な話です。
そして、姉妹全員そのことは承知しています。ですので、既に宮中では誰が女王になるかの熾烈な競争が発生しているのですよ……」
「私は……」と呟きながら、ナフィーサが、くるりとサルマンの方へ振り返った。
ギラリとした強い視線が、サルマンの眼を射抜く。
彼の眼が釘づけになったところで、ナフィーサは声を強めて言い放った。
「私は女王になりたい。いや、女王になるのです! 他の姉妹を蹴落とし、いかなる手段をも使い、女王になる!」
凄まじい迫力があった。あの可愛らしかった瞳は、今は野望の黒い炎に燃え、サルマンを圧倒して、完全に呑みこんだ。
「……その為には、まず点数稼ぎと人脈が必要なのです」
先ほどの強い口調からトーンを落とし、サルマンを見つめたまま語り掛け始めた。
金縛りにあっている彼の方へと近づいていき、囁くように「ここだけの話ですが……」と前置きをして、話続ける。
「本日のパーティーに警察が踏み込むのです。もちろん、普通ならボルドア卿の邸宅には、その権力の前に入れないでしょう。しかし、中に潜入させた警官が騒ぎを起こし、外から治安維持とボルドア卿保護の名目で突入し、偶然、違法な取引の現場を押さえるという作戦があるのですよ」
「では、招待状は……」
「そう、潜入に必要なのです。準備段階で、どうしてもそれだけは手に入らなかったもので」
なぜ王女の彼女がそんなことを……サルマンは疑問に感じたが、その答えはすぐに話された。
「この作戦を裏で指揮するのが私です。ボルドア卿の権力に及び腰な警察を、王族の権力で焚きつけました。この作戦により、私は警察機構に太いパイプを、王からは信頼を手に入れる」
彼女の本当の目的は分かった。しかし、サルマンは悩んだ。
ここで王女に恩を売れば、王族とのパイプ、ひいては未来の王女に繋がりが出来るが、一方であのパーティー参加者たちとのコネクションを捨てることになる。
ここで招待状を渡すことは、彼らを売り渡すことになるのだから。
その悩みを見抜いてか、ナフィーサがサルマンの目の前まで来て、その顔を覗き込みながら囁いた。
「私は貴方を、私の支援者にしようと決めました。先ほどの貴方の賢明な判断を見てね」
怪しい笑みに悪魔の様な囁き。
「ボルドア卿は政府にマークされていますから、どのみち先は長くないでしょう……これからは私につきなさい。時期女王のナフィーサを、貴方が支援するのです。莫大なリターンのある出資ですよ」
「え、ええっと、その……」
覇気と野心に満ちた瞳に、サルマンは完全に掌握されていた。
「私に賭けなさい! マルガビー・ルシド・サルマン!」
「は、はいっ!」
サルマンのいい声が、ロイヤルスイートの一室に響いた。
こうして招待状はサルマンから譲ってもらえることになったのだった。
「失礼します!」
威勢のいい声を残してサルマンが、部屋を出て行った。
サルマンの心が変わらないように、彼の部屋までサイードがついて行って直接受け取ることになり、サイードも一緒に部屋を後にする。
「ごきげんよう」
笑顔でサルマンを見送るナフィーサ。
そして、完全にドアが閉まる……数秒後、彼女はその場にへたり込んでしまった。
「大丈夫ですか!?」
慌てて別室からメリッサが飛び出してきて、ナフィーサを抱きかかえた。
「あはは……終わった途端腰が抜けてしまって……」
「名演技でしたよ」
「うまくいって良かった……あの方のおかげですね」
そう言ってナフィーサは、壁に掛かった絵画を視線で指し示した。
それは戴冠式を描いたものだった。
飾り立てられた宮殿の真ん中で多くの者に見守られながら、新たな王になる者が跪き、王冠を今まさに与えられようとしている。
王の誕生の瞬間を描いたこの絵画のタイトル、それは、『女王の戴冠』であった。
高度な頭脳と話術の戦い……とはいきませんでした(-_-;)
ハムスター VS ドブネズミ といったところ(笑)
でも、招待状GETだぜ!




