王女の覚悟
「……はぁ……はぁ。……お母様!」
息が荒いクレアの声に窓の外を見つめていたアルカナはゆっくりと振り向く。クレアがここまで疲れているのは言わずもがな、王宮までの道のりを全力疾走したからである。そのクレアの様子に少し怪訝な表情を浮かべながら、アルカナは質問に答える。
「……どうした? そんなに慌てて。……そうか、知らせを聞いたのだな」
「……そうです。わたくしは何も知らされてはおりません。一体何が迫っているのですか?」
クレアも頭の中では予想を立てている。ここまでの非常事態になっているということは信じられないほどの脅威が迫っていると。
「……私も盟友に話を聞いているのだが、どうしてか詳しく見えないらしい。それが人によるものなのか魔獣によるものなのか、或いは自然災害なのか。それが明確にわかることはないらしい。……ただ、その脅威のレベルは公爵及び大公に迫るらしい」
「大公! ……なんてこと……」
大公の称号を賜る魔獣が国に現れた時、それはその国の消滅を意味する。公爵を相手すれば、戦略や力量で勝つ術はあるが、精霊の片腕という異名で呼ばれる大公を相手にすることは叶わない。
なぜなら、大公クラスの操る魔法は人間に確実な死を与える、あるいは自我の喪失をもたらすものであり、それに対して抗うことはできないからだ。
それは地震や台風などの自然災害と同じようなものであって、現れたら最後、時間が過ぎるまで待つしかないのだ。
「……だが、大公クラスの魔獣が現れることは稀有だ。私、個人の見解としては魔除けを抜けた上位の公爵の魔獣か、大国の武人が戦争を仕掛けてくる、そのどちらかだと思う。……だが、協定を結んでいる大国が攻めて来るとは考え難い。おそらくは前者の方が濃厚なのだが……」
「どちらにせよ、この国が被害を、被ることは変わりない、ということですね」
クレアの言葉にアルカナは頷いた。大国とよばれる四国の一つが襲われるということがまず異常事態だが、それ以上にこの国が壊滅すると占いに出ていることの方が異常なのだ。
大国には魔法によって、魔獣除けがされている。その上に、フロンティアきっての実力者が一堂に会する。そもそも、戦いを仕掛けたところで、数分で決着することが関の山のはずなのに、それが占いに出ていない。それが何を意味するのか、考えただけで背筋が凍る。
「……お母様、わたくし外へ出向きます」
知り得る全てを知ったクレアは母であるアルカナにそう伝えた。
「……何を言っている! クレア、お前は魔法が使えないのだぞ。その上、大国の一つの大切な宝だ。行かせるわけにはいかない」
母はバッサリとクレアを否定する。それは、王女という彼女の存在以上に、自分の大切な家族の一人を危険にさらされたくないという親心によるものだった。
「……申し訳ありません、お母様。わたくしはどうあっても外に行きます」
「……どうして? 母に従えないというのか?」
恫喝するようにクレアに答える自分に心の痛みを感じながら、だが、娘を守るために強く言った。それでも、クレアの碧眼はアルカナの瞳から背けることなく。
「……わたくしは王女です。民が危険に晒される、そして、わたくしの大切なご友人が危険に晒される。それをただここで見過ごせというのですか? ……わたくしにはできません。魔法が使えないから何なのですか? これが、何かのきっかけになるかもしれない。わたくしを止めないでください!」
今まで、聞いたことのない娘の強い声。王女として、自覚を持った紛れもない人としてできた強さ。そんな彼女を己が止めてよいのだろうか? ——いいわけないだろう。
自分の娘が成長したいと言っているのを、望んでいることを、親である自分が否定していいはずがないだろう、と、アルカナは葛藤しながらも思考した。
「……だが、クレアが危険になるのを見過ごすわけには……」
行かせてあげたい気持ちはある。だが、愛する我が子を戦場に赴かせたくないのは親の心理だった。
「……わたくしは、あの方を見なければならないのです。あの方の行動を、考えを見届けなければならないのです」
「……あの方とは誰だ?」
しんみりと、だけど心は熱く、クレアは言う。
「……わたくしの友であり、師です。今までの誰よりも頼りになる、そんな人です。彼はおそらくは、戦いに参戦するかもしれません。とても優しく、強いですから。人としても、実力的にも。……彼は、我々には思いもつかない突飛な方法で、踏襲されてきた魔法を、新しいものに転じさせる。そんな力を持っています」
「魔法の新たな可能性……か」
「その通りです。無いところから、新しいものを生み出し、あるものを無いものにする。彼にそれができる。わたくしは、彼に可能性を感じました。わたくしの魔法をどうにかしてくれるのではないかと。だから、わたくしは彼の姿を見届けねばならない。危機的状況であるからこそ、わたくしは彼から学ばねばならないのです」
アルカナは逡巡した。けれど、目の前に立つ彼女のこの瞳を見ると、答えは一択に絞られてしまう。それが、正しいとアルカナは信じて、言葉を紡いだ。
「……そうか。私はこれ以上何も言わない。……クレア、くれぐれも気を付けて、行って来なさい」
アルカナは娘の成長に少し恐れがあるが、今はその決断が一番正しいと、心中でそう願った。
「……ありがとうございます。お母様。では、行ってまいります」
クレアは彼に希望を巡らせ、母のもとから去る。踏み出す一歩が重大な意味を持つとそう感じながら、クレアは王女として、王宮を飛び出した。




