真実の始まり
「……母さん、急に呼び出して、どうしたんだ?」
俺は突然夜に母親に呼び出され、母の自室に入っていた。誰にも知られないよう厳重に、慎重に扉を閉め、窓を閉め切り、密室空間に母と子一人の状況だ。
「……メルク、まず……ごめんなさい。これから、あなたには苦労を掛けるだろうから、謝り切れないけれど謝るわね」
第一声、美しい動作と立ち居振る舞いで、まだ身長が母より低い俺に、俺よりも低く頭を下げた。唐突な出来事に驚きはしたものの、その内容は十歳の俺にでもわかるような気がしていた。
「……私、お父さんと喧嘩しちゃったの。もう取り戻せないほどにね……」
仮定は確信に一瞬で転じる。扉の向こうのあの声を聴いていれば、地割れで大地が引き裂かれるように取り返しのつかない事態になったことは明らかだった。
「……母さんと父さんの関係は俺が関知するところじゃない。父さんが嫌になったのなら、離婚でもなんでもすればいいさ。俺は何も文句なんて言わない」
精一杯、母を励ます。子供として大切な家族にできることを必死に考えて。
「ありがとう。こんな子供がいて、母さんは本当に幸せよ。一緒に連れていきたいくらいに。……けれど、それはできない。あなたにはまだ未来があるもの」
望んでいるけど叶わない。それは当人である俺が一番わかっていることだとメルクは感じていた。けど、実際にそう本人に言われてしまったら、精神的に辛い。
「……そうなんだ……。今日部屋に呼んだのはそれだけ……か?」
「いえ、一番大切なことが残っている」
瞼の裏に溜まる何かを必死に堪えながら問うと、母さんはそう返答した。
「……これを受け取ってほしい。……私の今できる最高を、未来の明るいあなたに」
静かに俺の手に託したのは黒い帯で丸めて留められた羊皮紙。形状を見る限り、設計図だと思われた。俺は渡されたその羊皮紙をおずおずと開く。すると、事細かに記された言葉の数々と見たことのない形状の魔法具が描かれていた。
手の平から余るその長さは一尺ほど。指を掛けられそうな引き金と純白で塗装されたカラーリングに先端に取り付けられた謎の穴。精霊銃と名付けられたその羊皮紙の設計図をまじまじと見つめた。
今まで、借り受けられた何よりも複雑で、精巧で、図の周りに書かれた文字の数々はそれを体現している。ただ、それ以上にメルクには不思議なところがあった。数々の発明、製作を行ってきたはずの彼女の手には何もない。俺の視線に気づいた母さんは微笑んで。
「……気づいたようね」
少し、辛そうに、けれど、期待の籠ったような瞳で続ける。
「……そう、設計図はあるけれど、まだ完成していない。おそらく、この設計に難があるのかもしれないけど、もっと根本的に何かピースが足りていないように思う」
「これを……どうして俺に? 母さんが完成させていないものを俺に渡したって、意味がない気もするけど……。何か思惑があるのか?」
俺は訝しみ問いかける。すると、母は少し考えて、答えた。
「……まぁ、私の願いにあなたを付き合わせるだけなんだけどね。けど、もしこれを完成できれば、あなたの切り札になることは間違いないと思うわ」
無邪気に、期待を込めて、母は答える。フロンティアで切り札と呼べるものは魔法以外に考えられない。母が創り出してきた魔法具は魔法に似たものをより簡単に再現できるものだが、魔法そのものとは到底呼べないものだ。
けれど、それと同等の力を発揮できるのならば、これは魔法具の、母の最高傑作とでも言うべきである。
「けど、切り札になるということは危険を伴うということ……。完成したとしても、あなたの体に負担をかけてしまうかもしれない。母としてはそんなものを手渡すことなんてよくないけど、あなたにはどうしても受け取ってほしいの」
流石にそうであったかと、一度しっかりと理解する。ただの魔法でさえ、人体に害する場合があるというのに、それが紛い物ならば負担は増えるに決まっている。それを理解した上で、母は俺に手渡した——託したのだ。その真意は……。
「これは、あなたを守る最高の盾になり、あなたと仲間を救う最強の矛になる。あなたが覚悟をし、その引き金を引けば、苦しみと引き換えに望んだことを実現できる。あなたには、その覚悟を胸に持ってほしい。理想を抱いてほしい。……だから、設計図だけ、だけど受け取ってほしい」
たった一枚のこの羊皮紙に描かれた設計図には母の思いの全てが詰まっていた。それを俺は受け取るに値するのだろうか? ——違う。今、ここで、覚悟を決めるんだ。俺の理想は母さんだろう。俺が追い求めようと思ったのは、目の前にいるこの人だろう。この人に一歩でも近づける可能性があるのならば、遠く離れてしまう彼女との唯一の繋がりになるのであれば、今決めなければいけない。
心臓は脈打ち、体が震える。未来への恐怖と期待が込められたそれらを感じ、俺は頷いた。
母が見た夢を、母が追い求めたものを、母が願ったものを、この一枚の羊皮紙を通して、俺は全て引き継ぐ。そして、再び家族として、同胞として、繋がりあう寄る辺として、この設計図にある精霊銃を完成させる。
母には結局言わなかった、俺の誓いだった。




