36 スキルの兆し
その日の夜も、宿には早めにつくことが出来た。
まだ日も高いこともあり、宿の馬小屋の前で剣技の練習をすることになった。
今朔はタットンとツゥエルと一緒に、トーレス監視の下で木剣を振っている。 タットンは槍、ツゥエルは戦斧と、それぞれ得物が違うにも拘らず、トーレスはアドバイスを送りながら、一人一人しっかりと監督できており、指導者としても一流なことが窺い知れた。
タットンとツゥエルもこれを期に新しい《身体術》を身に着けようと、トーレスに頼んで教えてもらっているらしい。
少し離れた所では、ミラベルがタルラとマンツーマンで指導を受けている。 今朝の模擬戦の結果、朔は剣の基本の扱い方から、ミラベルは戦う時の身体の捌きに問題ありと見られ、それぞれ別のメニューが組まれていた。
「きゅうじゅうきゅう! ひゃぁく! トーレス おわった」
朔に与えられたのは、上段切り、左右からの袈裟切り、同じく左右からの横薙ぎを、流れで百回行う素振りだ。 イベール子爵の所で聞いた話では、盾あり盾なしで、前に出す足が違うといっていたが、今回は右足が前だから、盾なしの素振りと言う事になる。
「そうか、腕に痺れや、関節に痛みは無いか?」
「だいじょうぶ いたくない」
「なら、少し休憩だ。 水でも飲んでくるといい」
「はい」
盾は重く、子供の内から持たせるには肘の負担が大きく、怪我の元となると考えられているようだ。 それと同じで、軽いとは言え木剣での素振りも、回数制限が有るようだった。 ただ、回数が限られている分、一回一回に集中して振るうようにとトーレスから言われている。
水を飲みに井戸のほうへ歩いて行く朔。 宿の裏手にある井戸の傍には、三方を壁に囲まれ衝立で視界が遮られたたたきがあり、そこで汗を洗い流せる場所がある。 今は衝立の奥に人の気配もなく、井戸の周りには誰もいないようだ。
「悪魔。 少し魔力を借りるけどいいか?」
『問題ないよ? 何するつもり?』
「少し試したいことが有って、ね」
言いながら、朔は衝立の向こうに入り込み、もう一度回りに人が居ないのを確認すると、悪魔の魔力が流れ込んでくるのを感じ取りながら、木剣を振る。
今朝タルラに言われた事、剣の《身体術》を発動するには、振りの鋭さが必要だと言う事。 そして、子供の力では、発動に必要な剣速も、剣圧も、望めないが、今の内から、鋭く早く力の乗った剣の振り方を身体に覚えこませるのは大事な事だと、言われたのだ。
(なら、悪魔の力とは言え、強化された状態でならどうなるのか?)
今日一日頭の隅に浮んで離れなかった疑問を、試してみたくなったのだ。
イベール子爵の所とトーレスに教えてもらった剣の振り方で、念のために剣から白い刃が飛んでいくイメージものせてみる。
最初は剣の軌道を確認しながら軽く、そして少しずつ早く。
木剣の風切る音が次第に高くなり、五度目に朔が振った時、身体の中から魔素の動く感触を覚えた。 それは、中心部から右腕へと吸い出されるように進み、やがて指先まで来て霧散する。
(できた……、のか?)
常と違う感覚に、朔は悪魔の方に向き直り聞いてみる。
「悪魔。 今のはどうだった?」
『ん~。 おしいのかな? トーレスの時はそこから、剣に乗って一気に振り出されて行ったよ』
だが、朔の魔素は外へと放出される事も、指から剣へと進むことも無かった。
手にしているのが、木剣だからなのか、それとも他に何か要因があるのか、今のところは何とも言えないが、悪魔の力を借りれば、《身体術》の発動は可能かもしれないとの手応えは掴んだ気がしたのは確かだ。
その証拠に《呪文》で魔素を消費した時に生じる倦怠感もある。 《明り》よりも魔力を使うのだろう、体内の魔素を半分ほど持っていかれた感覚がある。
(行けるかも知れない)
少なくとも、今の鍛錬の延長上に《身体術》が有る。 そう思えば、俄然やる気も出てくると言う物だ。
朔は、衝立の裏から出ると、井戸で水を汲み、傍にあるカップで掬い取ると一息で飲み干した。
「よし、行くとするか」
『おぉ~、やる気だね~』
「当然だ! いつまでもお前におんぶに抱っこじゃ、かっこ悪いからな」
『ご飯さえ食べさせてくれるのなら、気にしなくていいのに』
「いや、お前はそれで良いかも知れないけど、俺の食い扶持が稼げないのは困るだろ? 毎日人目の無い森の中で、魚や虫のフルコースは流石の俺も遠慮したいし」
『魚所か、虫までも…。 サク! あたしは応援するよ! 森に逃げ帰るような男は三行半だからね! わかった?!』
「はいはい。 何とか一人で食べていける様にはするつもりだから、任せておけ」
悪魔も応援してくれることだしと、朔はもう一杯水を飲み干すと、トーレスの元へと歩いて向う。
「トーレス きゅうけい おわった」
「それなら、今日はもういいから、汗を拭いて、部屋に戻ってチェミー達を手伝ってやりなさい」
「もっと れんしゅう したい」
「これ以上は駄目だ。 もう少し大人になってからだ」
朔の体のことを心配して言ってくれるのは有り難いが、朔としても折角やる気が出てきた所だ、何か良い練習は無いかと頭を捻る。
「トーレス ひだりてで ふるのは だめ?」
「ふむ、反対の手か。 それなら良いだろう。 ただし、回数は五十回までだ、おかしな癖がつかないように、最初はゆっくり確認しながら振るんだぞ?」
「はい」
上手く行けばトーレスの様に、左手でも《身体術》が使えるようになるかもしれない。 二刀流。 そんな心躍る妄想を膨らませながら、朔は練習を続けた。
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二日目の宿は空いていた様で、部屋はそれぞれ二人部屋をとることが出来ている。 朔も今日はトーレスと相部屋の予定だ。
しかしそれは寝る時の話で、食事が終わり、夕闇が訪れた頃、朔は魔術の練習の為に、タルラとチェミーの部屋に居た。
他にはミラベルとムルビィも居り、昨日に比べて大分狭い部屋の中に五人が首をそろえている。
流石に椅子が足りず、朔とミラベルがベッドに並んで腰を下ろし、その向かいでチェミーが木の椅子に座っている。
「サクちゃんは、昨日の続きからね。 ミラベルはタルラ様との模擬戦で、少し魔術を使った訓練もしてたみたいだけど、《呪文》はもう少し距離をおい…て?」
言われたとおりに、《明り》の《呪文》を唱え、問題なく発動させた朔の明りに気が付き、チェミーが言葉を詰まらせ、目を見開く。
チェミーだけではなく、他の三人もそれぞれに驚き、朔の方を見ていた。
「サクちゃん、何をやったの?」
「きのうの よる れんしゅうした」
朔は、ドヤ顔で自慢げに無い胸(当たり前だが)を張ってみる。
「サクちゃん、本当にこれまで魔術を習ったことは無いのよね?」
「う、うん(しまった…のか?)」
「こんなに早く覚えるの凄いとは思いますが、何か問題でも有るのですか?」
チェミーの後ろで控えるように立っていた、ムルビィがタルラに聞いている。 部屋の狭さとベッドの関係で、ミラベルの後ろには立つスペースがないから、仕方無しにそこに立っている。
魔術を習ったこともない彼女は、驚きはしたもののタルラやチェミー、ミラベルとは驚き方にかなりの温度差が有るようだった。
「ムルビィ、魔術は普通一日や二日で習得できるよな物ではないのだ。 素養のある者でも、最低一月はかかるのだぞ。 それを一日で等、到底考えられんのだ」
「それって、サク様が天才だからでは?」
「そこまでの才能がこの世に存在するとは考えられぬのだが。 そもそも魔素の量からしても、始めは何度も唱えられる物では無いので、《呪文》を唱えながら少しずつ魔素を増やし、練習していくしかないのだぞ。 だから、皆最初の魔術には時間が掛かってしまうのだ」
(あぁ~~、やっぱり、やらかしちゃったみたいだ。 どうしようかな…?)
タルラがムルビィに説明するのを聞いて、朔は自分がいかに異常な事をしてしまったのか、思い知る。
「だとしたら、あのムズムズが関係有るのでしょうか?」
「ムズムズ?」
「そう、ムズムズです。 サク様は《呪文》を唱えると、身体がムズムズすると仰ってましたから、それが関係有るのかも知れないと」
「チェミー、そうなのか?」
「あ、はい、昨日そんな事を言ってましたが、魔術が暴走をしている様子もありませんでしたし、人によっては、体内に術式が構成される時に違和感を覚える人も居ると、聞いたことが有りましたので、問題無いと思っていました」
「そうか…。 王都に行ったら一度診て貰った方が良いのかもな。 しかし、今のところ問題が無いのなら、このまま教えて行って、様子を観るしかないだろう。 もしかしたら、魔術が覚えやすい体質名だけかもしれないしな」
「そうですね、私もそれが良いと思います。 何よりサクちゃんのモジモジが観れなくなるのは、大きな損失ですから!」
この中で唯一人の純粋な魔術師であるチェミーの一言によって、魔術の練習は一応続けられる事になった。 台詞の後半で駄々漏れている動機は不純そのものであったが、練習は続けられるので、朔は安堵の息を漏らしながらも、次からは気をつけようと心に誓う。
「《明り》を覚えたのなら、次は…身体強化系が良いかしら? サクちゃんは剣でも戦える様になりたいみたいだし、部屋の中じゃ、放出系の属性魔法は危ないからね」
「あ、それなら私はこの魔術を覚えたい」
サクとチェミーの会話を聞いて、ミラベルが本を片手に口を挟んできた。
チェミーの持っている本の三分の二程の厚さで、表紙の皮に「初級魔術習得教本」と焼鏝が押されている。
「ミラベル ほん みせて?」
「い、いやよ! サクはチェミーさんに見せてもらえばいいじゃない!」
この世界、《呪文》さえ手に入れば、後は個人の練習で習得可能になる。 悪魔から魔力を分けてもらえる朔なら尚更だ。
朔としても、自分の魔術書を手に入れられれば、今回のように怪しまれる事無く色々な魔術を早く習得できるだろう。 モンスターも居れば、法治とその治安機構が未熟なこの世界では、いつ何に襲われてもおかしく無い。 それに備えて、できるだけ色々な対処法を身につけておきたいのだ。 特にシールド魔術は、先の遭遇で朔だけでは対応し切れなかった。 だから早く習得して、強度はどれくらいなのか、特性はどうなのかなど、対応策を検証しておきたい魔術の一つでもる。
つまり、覚えるのが目的ではなく、覚えた上で、相手が使ってきた時どう対処すればいいのか、その手法を確立する所まで持って行きたいのだ。 その為にも、魔術書は朔の興味を引いてやまないものがある。
「ミラベル おねがい」
「う、だ、駄目これは大事な本なんだから!」
「ミラベル ちょっとだけ みせて?」
「…だ、だめ…」
そして、ミラベルは長女でもあり、口では文句を言いながらも、頼りにされたりお願いされると断りきれない性格をしていたりもする。
(これならもう一押しで、行けるかも)
朔が最後の一押しをしようとしたその時。
「へ~、ミラベルちゃん、そんなこと言っちゃうんだ。 良いわサクちゃん、私と一緒に見ましょうね」
絶妙のタイミングで、チェミーが横槍を入れてくる。 その後ろからムルビィの「ちっ!」と、明らかな舌打が聞こえてきた。