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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第2章 第三の位相

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空白防壁

中央塔の内部にある「0.4秒」は、数字よりも先に恐怖だった。


欠損が立つたび、塔の波形は一瞬だけ“昔の形”を覗かせる。

昔――二十一日前。起点の前夜。微小メンテナンス直後の、あの空白。


そして第三の位相は、そこを指で撫でる。


読むために。


臨時対策室。


制御主任の声は硬かった。


「欠損の保護回路を上げる。欠損が立った瞬間、内部ログは即時遮断。観測系は“黒塗り”に切り替える」


観測員が顔をしかめる。


「黒塗りにすると、反射も取れません」


「取らせないためだ」


主任は言い切る。


「相手に読ませない。志乃にも見せない。——見せるほど、残留像が増える」


志乃は黙って聞いていた。

“見せない”は保護の言葉であると同時に、封じる言葉でもある。


三条が割って入る。


「黒塗りだけじゃ勝てない」


制御主任が睨む。


「勝つ必要はない。守ればいい」


「守るだけじゃ、次の入口を作られる」


三条の声は低い。


「相手は学ぶ。欠損が索引なら、索引を変えるか、偽の索引を置くかだ」


制御主任が眉を寄せる。


「偽の欠損を置くのか」


「置く」


三条は淡々と答えた。


「ただし塔本体には触らせない。観測系の外周に“疑似欠損”を設ける。そこに触れた瞬間、志乃の探針で指先を捕まえる」


志乃が息を吸う。


「……捕まえるって」


三条は言い直す。


「引っかける。離れられない“足場”を作る。ほんの一拍でいい。

その一拍で、外縁アレイが座標を詰める」


制御主任が渋い顔で言う。


「志乃に負荷が集中する」


「だから手順を最小化する」


三条は志乃を見る。


「志乃、やれるな」


志乃は頷いた。

拒否ではなく、確認だった。


守るべきものが、いまははっきりしている。


塔の光でも都市の平穏でもない。

0.4秒の空白に触れさせないこと。


位相整流室。


新しいプロトコル名が表示されていた。


空白防壁:有効

疑似欠損:展開

逆読捕縛:待機

志乃入力:最小/単発/欠損禁止


“欠損禁止”という文字が、現実の軽さと釣り合っていない。


志乃は測定リングを付けられ、背に導子が当てられる。

胸の波は画面に立つ。塔の波形が重なり、一致率が九十台に張り付く。


制御主任が言った。


「来たら、三つだけだ。守る、引っかける、離す」


「離す?」


三条が補足する。


「捕まえ続けるな。捕まえ続ければ鍵になる。

引っかけたらすぐ離す。——指紋だけ取れ」


指紋。

若い息遣い。興味の呼吸。


志乃は目を閉じた。


(来る)


来たのは、揺れではなかった。


時刻も周期も関係ない。

胸の奥が“削られる前”に、空間が薄く歪む。


第三の位相。


今回は浅い触りじゃない。

触りながら、深く潜ろうとする圧がある。


志乃は反射で押し返しそうになり、止めた。

押せば鍵を回す。


(守る)


深層――塔整えを最小で維持する。角を落とすだけ。揺れの立ち上がりを丸めるだけ。


同時に、疑似欠損が開く。


モニターの端に“0.4秒”の窓が点る。

本物ではない。偽物の入口。


第三の位相が、そこへ噛みついた。


——噛みついた瞬間、胸が痛む。


削られる痛みではない。

“引かれる”痛みだ。


志乃は外層を出さない。探針も出さない。

代わりに、引っかける。


(引っかける)


段差ではない。標識でもない。

ただ一度だけ、縁を硬くして、相手の指先が滑れない摩擦を作る。


一拍。


その一拍で、第三の位相が止まった。


止まったのは迷いではない。

引っかかった、という停止。


モニターが跳ねる。


外部位相ノイズ:侵入(疑似欠損)

引っかけ:成功(0.18秒)

欠損:未発生(本体)

反射位相:強


観測員の声が上ずる。


「反射、強い! 座標詰まります!」


三条が叫ぶ。


「離せ! 志乃、離せ!」


(離す)


志乃は縁の摩擦を解く。

捕まえ続けない。鍵を回さない。


第三の位相は、引き抜くように離脱した。


離脱の瞬間。


志乃の視界が、別色を帯びた。


前より鮮明だ。

白い照明。高い天井。金属の匂い。紙の擦れる音。


机の上に図面。

その図面の端に、塔の断面が描かれている。


指先がそこをなぞる。若い指。ためらいのない動き。

そして――女の声が近い。


言葉の内容は聞こえない。

でも声の距離が近すぎる。肩越しに囁く距離。


志乃は息を止めた。


(これが……相手の“読む”)


読むというより、覗き込む。

歴史を、手触りで辿る。


次の瞬間、視界が弾けて消えた。


志乃は椅子に体重を預ける。

胸が痛い。削られた痛みではなく、触れたものが残った痛み。


外縁アレイから通信が入る。


ノイズ混じりの声。


『捕捉。境界線沿い、移動目標。速度変動あり。単独と推定——』


三条の目が細くなる。


「単独……」


制御主任が言う。


「捕縛できたのか?」


「座標は絞れた」


三条は画面を見たまま答える。


「でも相手は、引っかけられた瞬間に学んだ。次は疑似欠損を踏まないか、踏んでも別の抜け方をする」


観測員が小さく言った。


「……会話ですね」


三条は否定しなかった。


会話になった以上、相手は言葉を持つ。

言葉は、要求に変わる。


志乃はリングを外されながら、三条に言った。


「今、見えました」


三条が即座に返す。


「何だ」


志乃は言葉を探し、息を整える。


「図面。塔の断面。……それと、女の声。近い」


制御主任が顔をしかめる。


「残留像だ。遮断を——」


「違う」


志乃は、静かに言った。


自分でも驚くほど静かだった。


「見せられたんじゃない。……触れた。私が」


三条が黙る。

否定も肯定もしない。


志乃の言葉が、今の戦いの核心に触れているからだ。


相手は読む。

志乃は触れる。

そして触れた瞬間に、相手の“指先”が見える。


学院。


古本は公開ログの端に出た小さな乱れを見つけていた。

平滑化されても残る、一瞬の“止まり方”。


西野が父の短文を握りしめている。


「旧外縁、座標推定。単独移動。捕縛0.2秒成功」


西野が言う。


「志乃、戦ってるな」


古本は頷いた。


「戦ってる。——でも相手も学んだ。止まった0.2秒は、次から無くなる」


「じゃあどうする」


古本は紙のノートを開き、短く書いた。


疑似欠損=餌

引っかけ=針

次手=餌を捨てる


「餌がある限り、相手は来る。来る限り、志乃は削られる」


古本は言い切る。


「なら、相手の目的——欠損へのアクセスを、別の形で潰すしかない」


西野が眉を寄せる。


「別の形?」


古本は顔を上げない。


「欠損を“守る”んじゃない。欠損を“無意味にする”。

……塔の中の0.4秒が索引なら、索引の参照先を変えるしかない」


西野は背筋が冷える。


それは、都市の中心の“中身”に触る話だった。


中央塔。


夜。


志乃は個室の天井を見上げていた。

胸の波は落ち着かない。塔の応答はある。けれど、その応答が“鎖”に感じる瞬間が増えた。


今日、疑似欠損に噛みついた指先は、引っかけられて止まった。

止まった瞬間に、志乃は触れた。


図面。

女の声。

若い息遣い。


人だ。

装置の向こうに人がいる。


志乃は掌を握り、ほどいた。


(次は、私が“返す”)


返礼ではなく、質問でもなく。

“位置”を返す。


読む目の座標を、都市に渡す。


そのとき、遠い警告灯が一度だけ点った。


外部位相ノイズ:接触準備(推定)

侵入深度:予測 上昇

備考:疑似欠損回避の可能性


志乃の胸が、小さく跳ねた。


相手はもう、餌を見ている。

そして餌を避けて、本物へ来る。


空白防壁が、初めて“防壁”として試される夜だった。

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