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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第2章 第三の位相

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逆読

中央塔の夜は、眠りに落ちないまま朝へ滑る。


志乃の個室は静かだった。

静かなのに、胸の奥はずっと動いている。


塔の応答。

自分の波。

そして、触り。


第三の位相は、近づいては離れる。

確かめるように。味見するように。


志乃は目を閉じた。


(次は、触られる前に触る)


それは反撃というより、観測だった。

押し返して弾くだけでは、相手の輪郭が掴めない。

読む目の位置を掴まなければ、都市はずっと追われ続ける。



臨時対策室。


三条が先に言った。


「志乃の“受け身”を終わらせる」


制御主任が眉を寄せる。


「危険です。欠損を誘発すれば——」


「欠損を誘発しない」


三条は即答した。


「欠損を立てずに、相手の触りに“返す”。反射じゃない。逆に撫で返す」


室内が静まる。


観測員が小さく呟く。


「……逆読ですか」


三条が頷く。


「相手が読むなら、こちらも読む。

ただし、相手と同じ方法は使わない。欠損は渡さない」


制御主任が言う。


「どうやって」


三条は志乃を見た。


「志乃の“二層”をもう一段増やす。表層は偽装、深層は塔安定。

その外側に、最小の“探針”を置く」


探針。

触りが入ってきた瞬間だけ、外へ伸びる微弱な位相。


志乃は喉の奥が乾いた。


「……触った瞬間に、私から触り返す?」


「そうだ」


三条の声は低い。


「強くは触るな。押すな。鍵を回すな。

“指紋”だけ取れ」



位相整流室。


手順表が更新されていた。三層になっている。


触り検知

表層:偽標識(短・非周期)

深層:塔整え(最小)

外層:探針(極短)

欠損を立てない

志乃は最後の行を見て、小さく息を吐いた。


無理、という言葉は飲み込む。

無理でもやるしかない。


測定リング。導子。

モニターに二本の波形。


塔。

志乃。


一致率、九十台。


それは今日も危険値だった。



開始。


来ない。


来ない時間が長いほど、相手がこちらの準備を嗅いでいる気がする。

嗅いでいる、という言葉が脳内に浮かぶのが嫌だった。野生みたいに感じるのに、相手は機械じゃない。


志乃の胸が小さく跳ねた。


(来る)


触り。


極短。


削られる感覚が来る前に、志乃は表層を立てる。二回で止める偽標識。追従の“期待”だけ作って、続きは渡さない。


同時に深層。塔の角を落とす。最小。


そして外層――探針。


触りが志乃の縁に触れた、その瞬間だけ。


志乃は息を止め、ほんの針先ほど外へ伸ばした。


強くない。

押すのではない。

「ここにいる」と触れるだけ。


モニターが跳ねる。


外部位相ノイズ:接触

追従挙動:開始(表層)

志乃入力:三層(確認)

欠損:未発生

探針:接触(極短)


観測室側で誰かが息を呑む音がした。


次の瞬間。


志乃の視界が、別の色を帯びた。


前と同じ。

温度。匂い。紙の擦れる音。金属の気配。


だが今回は、さらに“近い”。


目線の角度がわかる。

覗き込む位置。指先の高さ。ためらいの間。


若い息遣い。


怒りではない。恐怖でもない。

興味に近い、短い呼吸。


志乃は、その呼吸の“癖”を掴もうとした。


その瞬間――相手が、引いた。


外部の触りが一拍だけ乱れ、途切れる。


志乃の胸の痛みが、すっと引く。

欠損は立たない。


観測員が声を上げる。


「外部ノイズ、撤退! 反射じゃない、接触点の位相差が——取れてます!」


制御主任が低く問う。


「方向は」


「外縁……ただし固定じゃない。動いてる。境界線沿い、走査してるみたいです」


三条が目を細めた。


「……見られてるのは塔だけじゃない。こちらの“対応”そのものだ」


志乃は椅子に背を預けた。


成功、とは言えない。

でも初めて、相手が“こちらの触り返し”に反応して引いた。


——引いたという事実だけが、熱い。



同じ頃。


学院の資料室。


古本は紙のノートに、短い波形を描いていた。段差、偽標識、探針。

西野は父からの短文を握りしめる。


「中央塔、外部ノイズが撤退傾向。志乃が“先に触った”可能性」


西野が呟く。


「先に触った……」


古本は頷いた。


「追われる側から、追う側へ変わった」


「それって……大丈夫なのかよ」


古本は答えない。

答えられない。


追うということは、接触するということだ。

接触は、相手にも情報を渡す。


「相手が“読む”なら、触り返しは“こちらの記録”も見せることになる」


西野の顔が硬くなる。


「じゃあ志乃が——」


「だから“針先”でやった」


古本は淡々と続ける。


「強く触れば鍵になる。弱く触れば指紋が取れる。

指紋が取れれば、次は——罠の形を相手の癖に合わせられる」


西野は拳を握った。


「頼むから、壊れんなよ」


古本はノートから目を上げず、短く言った。


「壊れさせない。都市も、相手も、志乃も」


誰に言っているのか分からない言い方だった。



中央塔。


三条は志乃を休ませる前に、端末を見せた。

捕捉された位相差のログ。ほんの一瞬の“触り返し”の痕跡。


「これが相手の癖だ」


志乃は画面を見つめる。


数字は冷たいのに、そこに若い息遣いが混ざっている気がした。

自分が見たものが、ただの錯覚ではない証明みたいだった。


「……次はどうしますか」


志乃が問う。


三条は短く答えた。


「次は、相手が引けない形にする」


「捕まえる?」


「捕まえる、じゃない」


三条は言葉を選んだ。


「“足場”を奪う。追従の足場を」


追従の足場。

偽標識。欠損。触り。


相手が読むために必要なものを、読めない形にする。


志乃は頷いた。


その瞬間、胸の奥が小さく痛んだ。


触りではない。

自分の波の縁に残った、薄い欠け。


今日、ほんの針先で触ったせいだ。


(……渡した)


自分も相手に、何かを渡した。


志乃は喉を鳴らした。


「三条さん。相手が私から取れるものって、力だけですか」


三条は一拍、答えを出さない。


「分からない」


正直だった。


「だが、分かる前に“分からせない”形を作る。

お前の手順を、もっと速くする」



夜。


志乃が個室に戻ると、監視ランプだけが小さく点っていた。

眠れるはずがない。けれど目を閉じる。


胸の波。塔の応答。

そして、遠い外縁。


志乃は今日見た“息遣い”を思い出す。


興味の呼吸。

読む目線。


そして、引く反応。


(……怖がった?)


違う。

怖がったのではなく、驚いた。


自分が“触れる側”になることに。


志乃は小さく息を吐いた。


(次は、もっと浅く。もっと速く)


そのとき、塔の観測室側で短いアラートが鳴った。


外部位相ノイズ:再接触(極短)

追従:未開始

欠損:未発生

備考:探針反応に対する試行と推定


志乃は目を開けた。


相手はもう、適応を始めている。

針先の触り返しに、触り返しを返そうとしている。


追従は追跡では終わらない。

“会話”に変わり始めている。


志乃は布団の上で、指を握り、ほどいた。


都市の中心で。

見えない相手と。


位相の会話が始まってしまった。

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