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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第2章 第三の位相

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欠損の手触り

中央塔の夜は、静かではない。

静けさの代わりに、一定の音がある。


空調。循環。制御輪。遠い警告灯のリレー。

都市の中心は眠らない。眠れない。


志乃は個室のベッドで、目を閉じたまま呼吸を数えていた。

押し返しの手順は、身体の中に残っている。縁を揃える。段差を入れる。最小で収束へ誘導する。


——それでも胸の奥の波は、眠りに落ちない。


そして、その波の外側に。


“触り”がある。


短い。

軽い。

だが、確実にこちらを測っている触り。


志乃は押さない。押し返さない。

手順通り、縁だけを整える。


すると胸の痛みが、一拍だけ増して消えた。


……帰った。


まるで反応の確認だけをして、去ったみたいに。


(私が先に読む)


第三の位相に対して浮かんだ言葉が、今は具体的な欲求になっている。

押し返すのは防御だ。けれど、防御だけでは相手の形がわからない。


相手が何を見ているのか。

何をなぞっているのか。


塔の空白の向こうにあるものを——。


志乃は瞼の裏で、あの表示を思い出す。


内部ログ欠損:0.4秒(再現)


欠損が“再現”される。

そこに意図がある。


午前四時。


観測回廊のモニター群は、夜間モードのまま更新を続けていた。

三条は椅子に座って、表示を追っている。眠気の代わりに焦りがある顔だった。


「また出た」


観測員が言う。


外部位相ノイズ:極短。

そして同時に、塔内部ログの欠損が——薄く点る。


0.4秒。


「接触のたびに欠損が“立つ”……」


三条は画面を見たまま言った。


「欠損は傷じゃない。——入口だ」


観測員が息を飲む。


「入口、ですか」


「外から触ってくるやつは、志乃を通して塔を見てる。塔の“どこか”を覗こうとしている」


三条は言葉を選ばない。選んでいる時間がない。


「志乃の入力は“擬装”で正しい。だが擬装の先に、読み取りがいる」


読み取り。

その単語は、志乃の役割をまた一段変える。


守るだけでは足りない。

相手を読む。


三条は席を立った。


「志乃を起こす。短い試験をする」


午前4時22分。


志乃は整流室に連れてこられた。

眠っていたわけではない。だから身体はすぐ動く。怖いのは頭が冴えていることだった。


「短くやる」


三条が言う。


「外部ノイズが来た瞬間、押し返さない。——代わりに“縁を固定する”。固定して、相手の癖を掴む」


「固定……」


志乃が呟くと、制御主任が補足した。


「標識とは違う。周期性は殺す。固定は一回だけ、形を“残す”のではなく、形を“止める”」


止める。

止めれば、相手の触り方が見える。


志乃は息を吸い、頷いた。


やるしかない。


モニターに二本の波形が並ぶ。

塔。志乃。


一致率は高い。

それが今は“ベースライン”として必要だった。


数秒。数十秒。


来ない。


志乃の胸が、先に小さく跳ねた。


(来る)


その瞬間、外部位相ノイズが接触した。


極短。

だが今回は、痛みが違う。


裂けるのではない。

“削られる”。


胸の奥の波の一部が、すっと薄くなる感覚。

押し返される力ではなく、引き抜かれるような欠落。


志乃は反射で押し返したくなり、歯を噛んで止めた。


(固定)


縁を固定する。

段差を作らない。

押し出さない。

ただ、波形の輪郭を“硬くする”。


モニターが跳ねる。


外部位相ノイズ:接触(極短)

志乃波形:微小欠損

塔内部欠損:0.4秒(再現)


観測員が声を失った。


「……欠損が、志乃側にも」


制御主任が低く言う。


「吸われた……?」


三条は言葉を継がない。


志乃の胸の感覚が、それを否定しなかったからだ。

奪われた。

ほんの微量。ほんの一部。


だが“奪われた”ことよりも恐ろしいのは——奪われ方だ。


波が強くなるでも、乱れるでもない。

綺麗に、欠ける。


志乃は息を吐いた。


「今の……見てました」


「何を」


三条が問う。


志乃は言葉を探し、ようやく言った。


「力じゃない。……形でもない。触り方が、“探ってる”」


探っている。

測っている。

欲しいものがある。


外部ノイズは、いま欲しいものを“取って帰った”。


そしてその直後、塔の欠損が立った。


0.4秒。


志乃の背中に冷たい汗が浮く。


(欠損に、鍵がある)


三条が観測員に命じる。


「欠損の前後0.8秒、全ログ固定。平滑化を切れ。補間も切れ」


観測員が頷く。


「はい」


制御主任が低く言った。


「都市ログには出せません」


三条は即答する。


「出す必要はない。——読むのは俺たちだ」


朝。


学院では、授業が始まっても人の声が薄かった。

誰もが霊気灯を見る。誰もが窓の外を見る。時計を見るのを、もう隠さない。


西野は廊下の端で端末を握り、古本を待っていた。

古本が来ると、西野は声を落とす。


「親父から。中央塔で“欠損が再現する”って。0.4秒」


古本の目がわずかに動く。


「欠損が“出る”んじゃない。触られて“立つ”。……そんな気がする」


西野が眉をひそめる。


「意味わかんねえ」


古本は紙のノートを開いた。手書きの波形の横に、短いメモ。


欠損=痕。

痕=入口。

入口=誰かの指。


「志乃の標識に追従するなら、相手は志乃の癖を使っている。

癖を使うなら、癖の“履歴”を読んでる可能性がある」


西野が息を止める。


「履歴……?」


古本は顔を上げずに言った。


「ログの外側の話だ。けどこの現象は、最初から“時間”の癖がある。空白時間。起点日。再現。

——ただの出力変動じゃない」


西野は拳を握る。


「志乃、大丈夫なのかよ」


古本は短く言う。


「大丈夫じゃない。でも、志乃は“やれる”。

問題は、相手がそれを上回る速度で学ぶことだ」


中央塔。


午後。


志乃は再び個室に戻される。抑制環は外されない。

だが胸の波は、朝の欠損の感覚を覚えていた。


奪われるような薄さ。

削られるような欠け。


志乃は自分の胸に手を当てる。


(取られたのは、何)


力?

形?

それとも——。


その時、モニター室側で小さな騒ぎが起きた。


警告音ではない。

人の声の上ずり。


三条が志乃の部屋へ入ってきて、短く言った。


「来た」


「また触ったんですか」


「触っただけじゃない。——欠損の前後に、波形が“古い形”を出した」


古い形。


志乃の喉が鳴る。

その言い方は、時間の向きを逆にする。


三条が端末を見せる。


欠損の直前、塔内部の波形が一瞬だけ「二十一日前」に近い形になる。

完全な一致ではない。だが癖が似ている。


「……なぞってる」


志乃が呟いた。


三条が答えない。否定できないからだ。


外部ノイズは、欠損に触れることで、過去の波形を引き出している。

まるで塔の中に埋まっている“履歴”を、指で擦って読むみたいに。


志乃は唇を噛む。


(見られてるのは私じゃない。塔の中身だ)


そして、その閲覧に志乃が使われている。


夜。


外縁部。


都市の光が薄くなる境界で、風だけが規則を持っていた。

霊気灯の等間隔は途切れ、巡回ドローンの高度も散る。


瓦礫の影。古い構造物の壁。

その奥で、一人の青年が立ち止まる。


顔は見えない。

ただ、佇まいが軽い。戦闘員の重さではない。逃亡者の焦りでもない。


青年は指先を立て、空間に触れるように動かした。


そこには何もない。

けれど、指先の動きに合わせて、空気の“密度”だけが変わる。


青年の瞳が、ほんの一瞬だけ細くなる。


見ている。

“いま”ではなく、“そこに残ったもの”を。


——焼けた路面。

——裂けた遮断膜。

——志乃の標識。

——塔の欠損。


重なっている。


青年は小さく息を吐く。

笑いではない。確信でもない。


ただ、面白がっているようにも見える、わずかな呼吸。


そして、指先が止まる。


「……まだ、足りない」


声は風に混じって消える。

次に何を足すつもりなのか、都市はまだ知らない。


中央塔。


志乃は眠れないまま天井を見ていた。


胸の波は続く。塔の応答も続く。

だがその間に、欠損の手触りが残っている。


奪われる。

削られる。


そして欠損の向こうで、誰かが塔の“歴史”を読もうとしている。


志乃はゆっくり息を吸って、吐いた。


(次は、押し返すんじゃない)


次は、捉える。


触ってくる指先の癖を。

欠損の立ち上がりの瞬間を。


そして——その“読む目”の位置を。


都市が落ちる前に。

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