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もう1つのロストテクノロジー  作者: 維岡 真
第2章 第三の位相

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手順

中央塔の内部には、空がない。


窓の向こうに塔を探す癖が、行き場を失って壁にぶつかる。白い廊下、厚い扉、低い機械音。都市の中心は静かではなく、途切れない作業の音で満ちていた。


志乃は保護区画の一室にいた。

ベッドというより、検査台に近い寝台。手首の抑制環は外されていない。外された瞬間に何が起きるかを、誰も賭けたくないのだ。


胸の奥には波がある。

塔の応答も、戻っている。


戻ってしまった、という感覚も同時にあった。



「今日から手順化する」


三条は、入室するなり言った。言い方は淡々としているのに、内容だけが重い。


「押し返しを“勘”でやらせない。都市の安全系に組み込む」


志乃は喉の奥で息を飲んだ。


「私を、装置みたいにするんですか」


三条は否定しない。否定できない。


「装置じゃない。だが装置の一部になっている。——現実だ」


現実。

その言葉が、志乃の胸の波と同じ重さで落ちた。


「拒否は?」


「できない」


三条の視線は、責めるでも守るでもなく、ただ判断の視線だった。


「代わりに約束する。ここでお前を壊させない。都市にも、お前にも」


志乃は頷けなかった。

でも目を逸らすこともできなかった。



臨時対策室の隣、位相整流室。


部屋の中央に小型の制御輪が置かれている。塔の一部を切り出したような構造。周囲にはモニター、波形、閾値、遮断の手順。

志乃の腕には測定リング、背には導子。胸の波は全部、画面に上がる。


モニターには二本の波形が重ねられていた。


塔。

志乃。


一致率は高い。九十台。

それが安心材料ではなく、危険値として扱われているのが、今の状況だった。


制御主任が説明する。


「押し返しは三段階。入力の強さじゃない。“縁の形”を変える」


志乃は微かに眉を動かす。


古本が言っていた言葉が、脳裏をよぎる。


——癖の見え方を変える。


制御主任が続けた。


「外部ノイズは追従する。追従するなら、固定パターンは餌になる。

だから志乃、君の入力は“手順通りの擬装”で行う」


擬装。

救難信号を、追跡標識にしないための偽装。


三条が横から言う。


「できるな」


命令ではない。確認だ。

志乃の喉が鳴る。


「……やります」


やるしかない。

塔が持つか、自分が持つか、その境界を他人に決められる前に。



午前の訓練が始まる。


「第一段階。縁を揃える」


志乃は目を閉じ、胸の奥の波を感じる。塔の応答が、いつもの位置にある。遠くて近い拍。


(押し返すんじゃない。形を変える)


内側から外へ出す力を、外へではなく“輪郭”へ回す。

波の立ち上がりを丸め、角を落とす。


モニターの波形が、わずかに滑らかになる。


制御主任が低く言った。


「よし。第二段階。段差を入れる——追従を引っかける」


段差。

旧開発区画で第三の位相を引っかけたあの感覚。


志乃は息を吸って、短く吐く。波の縁にだけ、わざと微小な折れを作る。反復はしない。標識にならないよう、周期性を殺す。


一致率が九十五から九十二に落ちる。

それが、成功の兆しとして扱われる。


「第三段階。最小入力で収束へ誘導」


志乃は掌を握り、押す。


狙って短く。鍵を回さない。


塔の波形が一拍、整った。



その瞬間だった。


胸が痛む。


痛みの質が違う。塔の揺れでもない。訓練の負荷でもない。

横から裂けるような、短い圧。


第三の位相。


部屋の空気が、ほんの刹那だけ薄く歪む。


志乃は反射で押し返しかけて、止めた。強く押せば、外に何かを“開く”かもしれない。第二核を起こしかけた恐怖が、身体に残っている。


(三段階。最小)


志乃は最小の段差だけを残し、押さない。


モニターが一度だけ跳ねた。


外部位相ノイズ:接触(極短)

侵入深度:浅 → 中

志乃入力:最小(擬装)

追従:継続


そして、別の欄が点灯する。


内部ログ欠損:0.4秒(再現)


室内の誰かが息を呑んだ。


「……まただ」


制御主任の声が、初めて揺れた。


「空白時間が、ここで——?」


志乃の背筋が冷える。

塔内部の“空白”。二十一日前のメンテナンス直後から残った欠損。


それが、第三の接触と同時に“再現”された。


まるで第三が、その欠損を指でなぞったみたいに。


三条が画面を見つめ、低く言う。


「試してる、じゃない……」


言葉が続かない。

試すだけなら欠損は要らない。欠損を再現する必要はない。


第三の位相は、志乃だけを見ていない。


塔の“過去の傷”を見ている。


志乃は、言葉にしないまま理解してしまう。

怖いのは強さじゃない。意図だ。



訓練は中断された。


志乃は測定リングを外される前に、画面の隅を見た。

外部ノイズの波形は短い。だが立ち上がり方に、妙な癖がある。


冷たいのに、落ち着きがない。

機械の直線ではなく、人間の手つきのような微小な揺らぎ。


(……誰)


誰かがいる。

装置の向こうに、人がいる。


三条が志乃の前に立つ。


「今日はここまでだ。お前は休め」


「外部は……」


「追従は続く。封鎖は強める。——だが、封鎖だけじゃ止まらない」


三条は一拍置いて続けた。


「お前の手順を完成させる。追従に“勝つ形”を作る」


勝つ。

都市が個人に言う言葉じゃない。けれど今は、それしかない。



午後。


中央局内の会議は荒れた。


「共鳴源は本人だ。隔離しろ」

「隔離したら塔が落ちかけたのを忘れたのか」

「外縁封鎖を完全に。旧開発区画を潰せ」

「潰した結果、第二核が起きたらどうする」


結論は出ない。

出せない。出した瞬間に責任が確定する。


三条は一度も声を荒げず、ただ言い切った。


「志乃を閉じて解決する問題じゃない。外部干渉は“塔の空白”をなぞっている。

——塔そのものが狙われている」


会議室が静まる。


塔が狙われている。

それは都市が狙われているのと同義だった。



夜。


志乃は保護区画の個室に戻された。


ベッドの白が清潔すぎて、眠気を拒む。

胸の奥では波がまだ揺れている。塔の応答はある。戻った拍が、今は鎖にも見える。


志乃は目を閉じた。


その瞬間、胸が、ほんの少しだけ跳ねた。


訓練室より弱い。

でも確かに、外からの触り。


第三の位相が、扉の外から指で叩いたみたいな短さ。


志乃は押し返さない。

手順通り、縁だけを整える。


すると胸の痛みが、一拍だけ増して消えた。


——まるで、反応を見て帰ったように。


志乃は息を止めたまま、塔の応答を探す。

塔は応じない。応じるべき瞬間ではないのに、応じないことが怖い。


壁の向こうで、遠いアラートが一度だけ鳴った。


誰かが走る足音。


志乃は薄暗い天井を見上げて思う。


都市の中心に戻っても、守られているわけじゃない。

むしろ中心は、いちばん狙われる場所だ。


そして第三の位相は、こちらが整えるたびに、学んでいく。


追従は、追跡では終わらない。

いつか“同じ形”になるまで、触ってくる。


志乃は掌を握り、ほどいた。


(……次は、私が先に読む)


相手が何を見ているのか。

何をなぞっているのか。


塔の空白の向こうにあるものを、先に掴まなければならない。

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