コートに切手を貼られた少女:米国郵政省が子どもの郵送を禁じるまで
切手一枚の小さな大冒険――1920年6月13日、児童の「郵送」が禁じられるまで。
万国郵便連合によって国際小包の枠組みが整備されると、建国前から郵便網を張り巡らせていたアメリカも、1913年に独自の小包郵便サービスを産み落とした。食品、医薬品、タバコから農産物に至るまでがあっという間に国中を駆け巡り、輸送コストという見えない壁は音を立てて崩れ去ったのである。
ただし、一つだけ条件があった。「重量50ポンド(約22.6キロ)を上限とする」。巨大な荷物を弾くためのごくありふれた制限である。ところが、日々の糧を得るのに必死な、それでいて機知に富んだアメリカの庶民たちは、この条文を全く別の角度から読み解いた。「50ポンドを下回りさえすれば、命ある人間であっても荷物として送れるのではないか」と。彼らは高価な列車の切符代を浮かすべく、なんと我が子を「小包」に見立てて送り始めたのだ。
当時のニューヨーク・タイムズ紙には、こんな滑稽な記事すら残されている。ペンシルベニア州の男が郵政長官に宛てて、「規定に触れることなく赤ん坊を郵送するには、どう梱包すべきか」と大真面目に問い合わせたというのだ。前代未聞の珍事に、長官が頭を抱え、返答に詰まったのは言うまでもない。
しかし、役人の当惑などどこ吹く風。庶民のたくましさはそれすらも軽々と飛び越えていった。1914年2月19日、アイダホ州の住人が、5歳の愛娘 May を別の町に住む祖父母の家へと「郵送」したのである。小さなコートの胸元には、53セントの切手が誇らしげに貼られていた。のちに児童文学作家がこの痛快な実話に惚れ込み、祖母の家を目指す少女の奇妙な旅路を『Mailing May』という名作絵本に仕立て上げたほどだ。
度重なるこうした珍事の末、郵政省もついに「人間を郵送する」という行為のクレイジーさに気づかざるを得なくなった。そして1920年6月13日、児童の郵送を禁じる公式令がようやく下されたのである。かくして、この世界から奇想天外な冒険の物語は一つ姿を消した。だがその代償として、子どもたちの確かな安全が守られるようになったのだから、これはこれで良い結末と言えるだろう。




