宿の者達
リン王国の諜報部は大国の暗部に相応しい存在だ。
大戦前は国家の戦争など当たり前であり、日の当たらない影の世界での戦いも日常茶飯事だった。
そして暗闘で出し抜かれれば忽ち国家の危機が訪れることをよく理解していたリン王国は、精鋭の人材を教育することに成功した。
対人だけではなく怪物に対する戦闘術、ありとあらゆる薬品と毒に対する知識、人によっては高度な魔法まで行使可能で、リン王国に仇なす存在を殺し続けた彼らは、裏の世界において恐怖の代名詞だった。
勿論彼らは尋問や拷問に対する高い耐性を有しており、いついかなる場合でも平静を保つよう訓練されている。
ただ、そんな諜報員をして今の状況は予想外の想定外。
胃の許容量を大幅に超えていた。
「全く……酒の席になるといつもこれですもの。父がごめんなさいね皆さん」
「まだ酔ってないぞー」
「はいはい」
いつの間にか酒の席にいた四十代ほどの貴婦人が、青い瞳に呆れの色を浮かべて呂律が怪しいラウを見ていた。
妙に金の髪が艶めいて、服装が少し上品なこと以外に大きな特徴はない。だが従業員達がひょっとして神なのではないかと思っている酔っ払いに対し、父と言ったなら全く話が変わる。
(多分だけどまた神が増えちゃったぁ!)
(助けて神様!)
かつて世界を救った勇者パーティーがほぼ全員に加え、推定での神が二柱もいるとなれば、それこそ思わず神に助けを求めても仕方ないだろう。
(そりゃ俺だって勇者パーティーには憧れてるけど、実際に目の前にいたら全く違う話になるだろ!)
そんな者達を束ねる五十代ほどの細身の男性、アーロもまた心の中で絶叫していた。
リン王国ではありふれた短く薄い金髪と青い瞳のアーロは、この歳になっても裏の世界にいる百戦錬磨の人間なのだが、そんな彼でも棒切れを振り回して勇者ごっこをしていた幼少期くらいある。
ましてや大戦から二十年ほどの生まれともなれば、まだまだ当時を知っていた人間が溢れていた時期に、勇者パーティーは凄いんだと聞かされながら育つ世代だ。
(なんで滅んでないか分からねえんだよな……)
しかも、裏の人材になればあまり表に出ていない勇者パーティーの活躍や、彼らに打ち倒された尋常ならざる者達の詳細に触れる機会が多くなり、畏敬の念を抱いてしまう。
この辺りが純粋に勇者パーティーを称えている者達と違う点だろう。
過酷な訓練を経て実力があり、闇の世界で生きながら一般に出回っていない勇者パーティーの情報に触れるからこそ、彼らに会えば緊張してしまうのだ。
(人間が勝てるはずが無いのに勝ってる)
アーロは人間の限界についてよく理解している。
人はどうあがいても最高位の中の最高位のドラゴンには勝てないし、上位の神に等しい大魔神王の最側近を凌駕できるはずが無い。
ましてや単騎で天界を陥落させた大魔神王を、人間如きがどうやって倒せばいいのだ。
しかし誰も彼もが化け物だった大魔神王の最側近達は全て敗れ、なにより大魔神王そのものが光に打ち倒された。
(それにしても食事は本当にいつも通り、シチューやパンとかでいいんだよな!? 尤も言われたところで手の込んだのは作れねえけど!)
アーロの思考は勇者パーティーが世界を救ったことから、献立という小さなものになったが、当事者からしてみれば大きな問題だった。
上の方から食事を含めいつも通りに営業しろと言われて混乱しているアーロ達だが、そもそもこの宿屋自体には特別な伝手がないため高額な食品を扱っておらず、従業員だって王城にいるような専門職が作った食事は用意できない。
その上、上司であるルークが勇者パーティーに食事に関して尋ねて、特別ではないいつも通りのものを頼まれている。
だが実際に出す方のアーロにしてみれば、本当にそれでいいんですねと念押ししたい立場だった。
「それでは皆さん、またお会いしましょう」
「それじゃあのー……」
「ええ。それではまた」
従業員が慌ただしい中、途中からやって来た貴婦人がラウの腕を掴んで席を立つ。
「だからー……酔ってないー……」
「はいはい」
明らかに酔っているラウを、貴婦人は取り合わない。どうやらいつもの光景らしく、酒の神のくせに酒にあまり強くないらしい。
「それじゃあなー」
(酒の神って酒好きってだけでも勤まるんだな……サザキが死んだらすぐ酒の神だ)
全く酔った様子もなくラウ達へ手を振るサザキを見たマックスは、今まで見てきた人間で一番酒を飲んでいると断言できる剣聖なら、死後すぐに酒の神になれるなと呆れた。
「それでは儂らは一旦部屋に戻るか」
「そうですね」
ラウと貴婦人を見送ったフェアドとエルリカは、部屋に戻るようだ。
推定ながら神が帰り勇者パーティーが移動することで、とんでもない席が終わった宿の従業員達だったが……。
「ご苦労様です」
「ごゆっくりどうぞ」
(うわぁ。多分この人が勇者様だよな?俺、勇者様に声かけられちゃった……)
(墓まで持ってく秘密だけど、一生の思い出になった)
(平常心平常心……平常心……!)
胃痛はあってもそれはそれ。偉大な勇者に声を掛けられて喜んでいた。
なんだかんだで彼らも得難い経験をしているようだった。
(ずるいぞお前ら! 俺だってお話する機会を探ってるのにいいい!)
アーロもである。




