光と闇の戦い
そもそも無理があったのだ。
秘宝はウードの願望を利用して無理矢理フェアドが生まれなかった世界線を演算したはいいが、肝心要のもう一つの再現が非常に困難だったせいで、常にエラーを吐き出し続けている有様だった。
だからこんなあり得ないことが起こる。
『我こそが闇なり! 命の終わりなり!』
再現が困難で継ぎ接ぎだらけ。表層の怒りしか読み取れず、大戦の最後の最後で討たれたはずの大魔神王が急に現れるなんてことが。
そんな大魔神王が動き出す直前、ぎちりぎちりと恐るべき密度で凝縮された殺意の刃が、赤い煌めきとなって大魔神王の首に飛来した。
神速の剣聖サザキにとって、そして妖刀にとっても本気も本気。
極め切った速さは、全てを拒絶する暗黒の空間ごと切断しながら確かに届いた。
だが。
『速すぎなんだよ酔っ払いが!』
避けきれない程に速いのであれば気にしなければいい。大魔神王にとって空間ごと斬られようが少々痛い程度なのだ。
「塔は落ちる。天は堕ちる。滅びをここに。破壊をここに。今こそ消却の時」
間髪入れずにララの魔法が行使される。
死霊の軍勢に対して行ったものとは違い、魔法陣から射出された滅びの光りは頼りない程に細いものだ。つまりそれだけ凝縮を重ねたものであり、単なる個人へ向けるには明らかに過剰な破壊の力が宿っている。
そしてララの弟子がここにいれば、彼女が詠唱までして魔法を放ったことに絶句しただろうか。いや、流石に大魔神王ともなれば師が本気になるのは当たり前だと納得するだろう。
確かに魔法の発動こそ遅くなるが、言葉を重ねることで威力は増す。だがそんなことを彼女が態々する敵など滅多にいるはずがない。
『豆を投げてくるんじゃねえぞ変人女!』
そうせざるを得ないのが大魔神王という存在なのである。
か細いながら人知を超えた破壊の力なのに、大魔神王は丸めた紙を投げつけられたように素手で払いのけ、後ろに逸らされた魔法は着弾点で周囲の全てを虚無の空間に引きずり込んだ。
ここで普段ならマックス、シュタイン、サザキが飛び出すのだが、足が遅いフェアドに合わせる。
この三人をして大魔神王の正面には立てないのだ。
「負けたことくらい覚えとけ大馬鹿野郎! また頭カチ割るぞコラ!」
『なに言ってやがんだボケ!』
対となる太極はそこらのチンピラのように会話するが、極限の光と暗黒の衝突は世界の終わりそのものだった。
『くたばれ!』
「おお!」
大魔神王がぎゅっと握りこんだだけの拳に対し、輝く人型と化したフェアドは盾に己の力を結集させる。
暗黒の靄と輝く盾が衝突。
世界がひび割れた瞬間に時間が巻き戻ったかのように拳と盾の間で収束し、その直後にまた再び世界に亀裂が生まれる。
そこには光と闇が合わさった、原初の混沌に近しいナニカが生まれかけているほどだ。
「我が道こそ無。我が拳こそ無」
『俺と殴り合うのがどういう意味か分かってんだよな露出魔ぁ!』
(そんなことは分かっている)
その隙を突こうとするシュタインにとって絶対に、絶対に受けてはいけない拳だった。
重いということはそれだけでも重要な要素なのだ。ましてや一つの世界と言ってもいい暗黒の拳の密度と質量など、どんな学者でも算出できないだろう。大魔神王の拳はフェアド以外が受ければ、小指が僅かに掠めただけで間違いなく即死する凶器なのだ。
だがそれはシュタインも同じだ。本来存在しない無は万物尽くを削り取り、完全にこの世から消滅させてしまう極限の力の筈だった。
『死んどけ!』
そんな拳を脇腹に受けてなお大魔神王は健在どころか、一部たりとも消失せずお返しとばかりにシュタインをぶん殴ろうとした。
(てめえがな!)
だがその前に武具の偽装すら霧散するほど、ドラゴンの力を全開にして青く輝いているマックスが、大魔神王の頭部めがけて槍を突き刺す。
『小娘に直接来いと言っとけ使いっぱしり!』
あらゆる龍を堕としてきた槍を受けても、大魔神王は僅かに顔がのけ反っただけ。それどころかマックスに力を授けた青きドラゴンを小娘と言ってのけ、苛立ったように輝く槍をへし折ろうとした。
大魔神王が動作に移る前に赤い煌めきが首に走る。
サザキが振るった妖刀による直接の斬撃を首に受けて生きている生物などいない。だが大魔神王は生物という分類に収めていい存在ではなかった。
『ちまちまと!』
僅かに痛痒を感じたのか苛立ったような声が大魔神王から漏れる。
次の瞬間、大魔神王の背後から突然エルリカが現れた。
杖に仕込んでいた刃が抜き放たれ、神を殺すための毒である力、文字、紋様が暗い輝きを発する。
そして普段のよちよちしている動きが嘘のように、だが大魔神王に対する暗殺者に相応しい機敏な動作で、その背に刃を突き立てようとした。
『アホ共の操り人形が!』
神々の十八番。殺すためだけに作った作品の一つであるエルリカに大魔神王が悪態を吐く。
この感情が籠った神々に対するアホという発言、大魔神王と比べてなお碌でもない神々が一部にいたからで、神々と大魔神王の戦いに限ってはどちらが善悪か評価が難しい程に混沌とした戦いだった。しかしそれは一旦置いておこう。
とにかく大魔神王を殺すためだけに特化した刃がその背に吸い込まれた。
七十年前ならこれで必殺を確信したエルリカだったが今は違う。
『痛いだろうが!』
神々の怨念すら籠っている刃を受けても大魔神王にとってみれば、単に突き刺されただけだ。
教会勢力と神々の見立ては甘かった。必殺だと信じていた特別製の刃と専用に調整したエルリカは、大魔神王に刃が通りやすい武器でしかなかったのだ。
ただ意識が後ろに逸れたのは間違いない。
「おお!」
フェアドが剣を振り下ろす。
暗黒を覆すほどに眩い輝きが剣となって大魔神王の脳天に叩きつけられた。
全人類の祈りと命の輝きを宿した剣を頭に受け、これまた生存できる存在などいるはずがない。
『いってえっ……!』
例外を除いて。
大魔神王に今度という今度こそは……心底に痛いと感じさせただけに留まる。
(もう本当に嫌……硬すぎんだよコイツ。しかもこっちは殴られたら一発でアウトだし。まだ人型だからいいけど最終形態までもつれ込んだら今度こそマジで死ぬぞ。俺が)
マックスは体力馬鹿で耐久力お化けの大魔神王に内心で泣き言を呟く。
現実改変能力? 否。
星々の力? 否。
神々の力を封殺? 否。
裁きの力? 否。
演算を現実に押し付ける力? 否。
あらゆる力を持つ者達を傘下に収めながら本人は至ってシンプル極まる。
ただ馬鹿げた耐久力とフェアド以外は受けることができない膂力で、全てを破壊するのが大魔神王の人型形態なのだ。
(向こうは出来損ないだけどこっちはエアハードがいねえ分だけ面倒くせえな……)
サザキは刀を振り続けながら冷静に考える。
継ぎ接ぎだらけで不完全な大魔神王だが、勇者パーティーにはフェアドと並んで対大魔神王に対して特攻的な存在である仲間が欠けており、バランスがある程度保たれてしまっていた。
だがどちらかというと勇者パーティーが有利だ。
(やはり上辺だけしか再現できていない。もっと鋭く、もっと速く、もっと恐ろしい存在だった)
ララの魔法が脇をすり抜けていく最中にシュタインは、劣化品にはオリジナルが人間に向けていた悲喜交々な感情が存在せず、上辺の力と怒りの意思だけしか再現できていないと見切っていた。
事実としてシュタインに七十年の経験があるとは関係なしに、明らかに目の前の大魔神王は本来のものより劣っていた。
『ぐっ!?』
(そしてもっと硬かった)
シュタインに殴られて顔を顰める大魔神王だが、本物はこの僅かな戦いでダメージを感じる存在ではなかった。
一時間もずっと攻撃を叩き込み続け、ようやくダメージらしいダメージを感じ始めたのが本来の大魔神王なのだ。
この勇者パーティーから一時間も滅びの攻撃を受け続けて、肉片が残るどころか普通に殺し合いを演じたのは後にも先にも大魔神王ただ一人だった。
(だがそれでも受けてはならない)
シュタインは僅かに余裕をもって体を逸らし大魔神王の拳を避ける。シュタインが僅かでも余裕をもって避けるという動作自体が異常だ。そしてもし腕を触っていなそうなどとすれば、それだけで体を持っていかれて弾き飛ばされ、頑強なシュタインですら再起不能に陥ってしまうだろう。
『死ね!』
(最終形態までにはなんとかケリを付けなければ……)
大魔神王の下町にいるチンピラのような裏拳をエルリカはしゃがんで躱し、掌で生み出した光の球を押し付けながら僅かに焦りを覚える。
今のフェアドは自分から七十年前に至った、全人類の光りを更に収束した極致に足を踏み込めない。もし至れたとしても今度こそ耐えきれずに死んでしまうだろう。
しかしフェアドが表裏の裏である大魔神王に引っ張られて、極限の光を宿せるようになる可能性はかなり高く、そうなれば結果的に相打ちになってしまうだろう。
『おおおおおおおおお!』
「おおおおおおおおお!」
雄叫びを上げる光と闇。
既に大魔神王の攻撃を五回も受けているフェアドだが、それだけでもあらゆる神々から称賛される偉業だ。
本物は全ての神々の権能による攻撃を受けて無効化するのではなく、体の頑強さだけで気にせずにバラバラに解体した化け物なのだ。
大魔神王の正面に立つということは神々にとってしてみても選択肢から真っ先に外れる行動なのに、それしかできないフェアドは大魔神王と同種のごり押しを重ね合う。
(これだからこいつは面倒なんだ)
若干の余裕はあるが油断ならない宿敵にララも内心で悪態を吐く。
フェアドが全人類の希望を宿しているように、大魔神王は千年以上渡って同族を殺し同族から殺された命ある者達の怨念による訴えと憎しみに引っ張られている。
そのため大魔神王にダメージを与えすぎると、中にある人の訴えという不純物が消え去ってより純粋な黒に戻り始め、幾つかの形態を経て最後の姿となるのだ。
しかし攻撃しなければ大魔神王を倒せるはずもなく、七十年前の勇者パーティーは強化され続ける怪物の最終形態まで付き合う羽目になった。
(まず形態は変わらないし至れても第二形態までだと思うけど、さてどうなるか。三から上は……無理なことを祈っておこうかね)
ララの見立ては正しかった。
『おおおおおおおおおおおお!』
大魔神王が叫ぶと黒い靄から蒸気のようなものが噴出し始める。
ドロドロに濁った黒が少しだけ純粋さを取り戻すと、膨れ上がるように巨大な人型を形作り始めた。
だがそれまでだ。
『なんだあ!?』
再現体という自覚すらない模造品の体はひび割れが発生し、それはどんどんと酷くなる。
ただでさえエラーを吐き出し続けていた秘宝が、ついに大魔神王の再現ができなくなったのだ。
今しかなかった。
本当に久しぶりに刀の柄を両手でしっかり握ったサザキが、渾身の力を込めて赤き妖刀を振り下ろす。
両の掌と指をしっかり合わせたララの腕から、あり得ざる魔法が放射された。
異なる輝きを宿すシュタインが基礎も基礎である正拳突きを行う。
鎧と一体化して青き龍人の姿を外部に晒したマックスが槍を突き立てる。
神々ではなく自らの光をエルリカは解き放つ。
そして。
「おおおおおおおおおおお!」
フェアドは飛び上がると、今日一番に輝いている剣を再び大魔神王の頭に叩きつけた。
『ぎっ!?』
短い大魔神王の声と共に世界が完全に崩れ落ちる。
全ての鏡が砕け散る。
暗黒の靄は消え去る。
演算は終わった。
「絶対に寿命縮んだ……十年くらい……」
「ならば葬儀は今日か明日か。急いで準備をしておこう」
現実世界に戻ったマックスは疲れ切ったように座り込み、シュタインは彼の冗談に付き合う。
「俺はすぐ酒飲まないと。ララ持ってないか?」
「ちょっとだけなら小瓶にあるね」
「マジ!? ひゃっほう!」
相変わらず独特なやり取りをするサザキとララ。
「疲れたのう婆さんや……」
「本当ですねえお爺さん……」
そしてフェアドとエルリカは元のよぼよぼ爺婆に戻るのであった。