いつもどおりの日常
学生達がいつも通りの日常を過ごしているように、魔法評議会もいつも通りだ。
(ウードめ。どこへ行った?)
「アル、いるか?」
評議会のある建物の執務室で危険人物の行方について考えていたアルドリックは、扉の外から聞こえてきた声で顔を上げる。
「ケイシー? リン王国から帰ってきてたのか」
「おう。入るぞ」
「ああ」
執務室に足を踏み入れたのはアルドリックと同門同年代の男で、短い白髪を刈り上げてぶっきらぼうな表情を浮かべているケイシーという名の人物である。
このアルドリックとほぼ同じ時期にララの弟子になったケイシーもまた深層位の魔法使いであり、魔法評議員の一人である達人の中の達人だ。
「いつ帰った?」
「昨日の晩の遅くだ。もう色々と報告を終わらせたから、お前さんを含め何人かに顔を見せてる」
「態々夜の街道を進んだということはなにかあったのか?」
「いや、いつも通りせっかちなだけだ」
「呆れた奴だ」
気安いやり取りをするアルドリックとケイシー。
ケイシーは所用でリン王国に出向いていたため、今は帰ってきたことを報告しようと親しいか重要な人物に顔を見せている最中だった。
「師匠はお元気だったか?」
「ああ。ってお前さん、ついこの前に会ったばかりだからお元気なのは知ってるだろ? あの師匠が急に体調を崩す訳ねえよ」
「まあそれはそうだがな」
「心配するならデリーの爺さんの方だ。師匠の銅像ってやっぱりマズいと思う? とか聞いてきたから、その内に胃が溶けるな」
「ちなみに何と答えた?」
「多分お前も心の中で思ってることをそのまま言ったよ。マズいに決まってますってな」
「まさにそう思っている」
「はっきり言って未だに残ってるのが不思議なくらいだ。師匠がここに来ねえのもあの銅像のせいだろうさ」
「確かに」
ケイシーもアルドリックと同じように師であるララに挨拶をしたようだ。
そしてケイシーから見てもグリア学術都市の外にあるララの銅像は最悪も最悪で、よくぞまあ残っているものだとある意味感心していた。
「後はアニエスとファルケにも会っておかねえと」
「アニエスは多分だが、デリー老師の執務室にいるはずだ」
「ああ、だから部屋にいなかったのか」
「ファルケの方は、久しぶりに早く帰ってくるとアニエスが言っていたぞ」
「そりゃタイミングがいい。評議員が軽い要件で学園に行ったら向こうも困るだろうからな」
勿論ケイシーもまたアニエスとファルケの友人であり、彼らに顔を見せるための予定を考える。
「ここだけの話だが、アニエスの奴は嫁の貰い手がいないだろうなと昔は思ったもんだ」
「まさにここだけの話だ。こんなことを言ったのがバレたらアニエスに殺されるぞ」
「そんときは庇ってくれ」
「断る」
ケイシーのここだけの話がかなり危険であると判断したアルドリックは、わざとらしく目を瞑って友人を見ないことにした。
ケイシー自身はぶっきらぼうな口調のくせにそこそこ育ちはよく、一方のアニエスは下町育ちだったため口がそれはもう悪かった。そのためケイシーはアニエスと初めて会った時、世の中にはこんなに汚い言葉があるのかと感心したほどだ。
「だがまあこっちもここだけの話だが、あいつはなんだかんだ優しいからな。上手くいけば何とかなるだろとは思った」
最後にケイシーは師匠譲りのニヤリとした笑みを浮かべるのであった。
一方、この話が聞こえたらケイシーを締め上げていたであろうアニエスは、師であるデリーの執務室で学園の監査について話し合っていた。
「生徒と教師の関係、態度、授業内容。その他諸々で密かに向かわせた者とお前さんの報告で齟齬はないようだの」
「面倒なことにはならないな」
デリーがアニエスの報告書ともう一つのものを見比べて頷く。
アニエスが表から魔法学園を見る担当なら、日を別にしてこっそりと秘密裏に学園を監査していた者もいた。その調査の結果、評議員がいるからお行儀良くしていたわけではなく、普段から特に問題ないということが分かった。
「うむ。これなら姐さんが見ても怒らん……筈」
デリーの目が少し泳ぐ。
戦後に魔法学院が再建する際にララも関わっているのだ。もし彼女が現在の魔法学園の教員やカリキュラムに不備があると判断した場合、デリーは怒られるかもしれないと思っていた。
「油断は禁物だけどよ、毎年確認してるんだから急に不備が出る訳ないだろ。舎弟根性が抜けきれねえ爺だ」
そんな怯えている師にアニエスは肩を竦める。
「お前さんはいいのう。一番おっかなかった時期の姐さんを知らんのだから。サザキの兄貴と結婚するちょっと前くらいから今みたいになったけど、若い頃の姐さんはそりゃもう……今の無し。頼むから姐さんに言わないでね。死ぬから、マジで」
デリーは昔を思い出して遠い目になったかと思えば、急にきょろきょろと周囲に視線を向ける。その様は、口を滑らせたら怖い怪物が隣にいると思っているかのようだ。
「問題ないなら私は仕事に戻るからな」
「なんじゃ。随分仕事熱心じゃの」
「今日は旦那が早く帰ってくるから、私もとっとと仕事を終わらそうと思ってな」
「相変わらず仲がいいようで結構結構」
怯えているデリーを気にすることなく、アニエスは自分の仕事を終わらせるために執務室を後にしようとした。
そして理由を知ったデリーは皺だらけの顔で微笑む。
師であるデリーもまた、若い頃はこの弟子が結婚できるとは思えないぞと失礼なことを考えていた一人だ。それが今ではひ孫までいるのだから人生とは分からないものだと、年寄りくさいことを考えていた。
「まあ、あれだ。偶にはうちに来ていいぞ。飯くらいなら食わせてやるよ」
「ほっほっ。そういえばここ最近はファルケとも会っておらんな。時間があるときにお邪魔しようかの」
「老い先短いんだからとっとと時間を作れよ」
「言っておれ。まだあと二十年は現役じゃ」
「ああそうかい」
そして、なんだかんだと言いながらアニエスが優しいと思っている一人でもある。
面倒臭そうな顔をしながらも、飯くらいは食わせてやると言う弟子とじゃれ合いデリーは再び微笑む。
これもまたいつも通りの日常であった。




