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「まさか、あのジャック・ブラックバードが女性だとは」
「今いるのはジャクリーン・ウォーデン。ミドルウッド首相の養女だ」
「……大物という意味では同じです」
この数ヶ月、休日返上で長官につき合わされていた副官の機嫌は悪い。嫌ならばついてこなければいいのだが、シスターが《月の民》なら危険だと、無理に予定をあわせてくるのだ。
おかげで今日は、初めての彼女からの呼び出しだというのに、部下を従えての参上である。馬上の揺れに、ジルは何度目かの嘆息を紛らわせた。
鉄門に馬を繋ぎ、すっかり修繕の終わった教会の扉をくぐる。修理の名目のない今、外部者が立ち入れるのは教会までだ。
すると待ちかねたように、目当ての人物が駆け出して出迎えた。ふわりと黒い裳裾が動きを追う。
「ジル! 来てくれてありがとう。どうしても一番に報せたくて」
「どうしたんだ。呼び出しなんて」
「うん、あのね……」
男の背後に控える副官をちらりと窺い、色白の顔を赤らめて彼女が口ごもる。
さすがに副官が気をきかせて後ろへ下がろうとしたとき。爆弾は投下された。
「あのね、ジル。わたし、とうとう二週間後に誓願を立てることになったんだ!」
「…………………は?」
「すごいでしょう? 本物のシスターになれるんだよ。年もいってるから難しいって言われてたんだけど、ようやくお許しが出たんだ。これで、やっときちんとジルの役に立てるよ」
喜んでくれるよね?と小首を傾げる親友に、ジルは、あらん限りの平常心をふり絞って笑顔を作った。せめてもの救いは、軽い抱擁と頬へのキスを大目に見てもらえたことだけだ。
お勤めがあるからと早々にシスターが立ち去るや、ジルは、がっくりとその場に両手をついた。
神の前だが、祈りの体勢ではない。ある意味いろいろと祈りが必要な状況ではあるが。
「……おやまあ。《金獅子》でも、獲物を逃すことがあるんですね?」
背後から追い討ちをかける愉快そうな声に、ますます悲哀が募る。
どこをどうして間違えたのか。腹立ちまぎれに、教会の祭壇に掲げられた星十字を背負う男を、渾身の想いをこめて睨めつける。
「星霊の御子を恋敵のように見ないでくださいよ。まあ、ほとんど事実ですが」
シスターは、神の妻として嫁せられるという。一体あんな痩せこけた髭面のどこがいいのか。疑問に思いつつも、長官の手は自然とおのれの頬と顎を往復する。
10キロいや20キロほど痩せて髭を生やせば、自分もそこそこいけるのではないだろうか。
「長官。容姿で張り合おうとか、意味のないことは考えないでくださいね?」
「……いや、ただちょっとお互いの共通点の拡充をと」
「共通点? 信仰心の欠片もない人がなにおっしゃってるんです。いくら《救国の守護神》でも、神の化現である〝救世主〟に勝てるわけないでしょう」
格の差どころか、相手は文字通り天上の存在なのである。大きな体がますます萎れた。
これでは獅子ではなく、ただの目つきの悪いドラ猫だと呆れつつ、副官がとどめを刺す。
「第一、信仰の根本から駄目でしょう。あの方を手に入れるとして、貴方、禁欲できるんですか?」
星霊修道会の禁ずる七つの罪――暴食・色欲・強欲・憂鬱・憤怒・怠惰・虚飾・傲慢・窃盗。
この誘惑に勝てないものが、どうしてシスターを巡って神と張り合えようか。
ドラ猫が、ひっそりと目をすがめて背後を窺う。
「…………ひとつくらい破っても」
「ダメです!」
「神はすべての罪をお赦しになると」
「ダメですっ!!」
未練がましい長官の言葉に、副官のダメ出しが怒涛のように連呼される。
騒がしくも平穏なそのやりとりを見下ろす救世主は、どこか困ったような微笑をたたえ、色とりどりのガラスから差し込む日の光に、ゆるやかにその身を満たしていた。
<金獅子様に神の祈りを・完>
※この物語はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
*Starring*
ジリオール・アルベルト:24才、男。金髪、琥珀の瞳。長身マッチョ。
城砦都市アルカサルの新任長官。軍人としての職位は中佐。戦乱でなり手がなくて勝手に階級が上がったと本人は思っているが、年齢の若さと戦功との兼ね合いでこうなった。
旧家の伯爵家の長男だが、結婚前に生まれた庶子のため正妻の反感を買い、弟の誕生と同時に乳母の故郷に移り住んだ。そこでジャックと出会ったので、家族に悪い印象はない。病弱だったのは、標高が高く、単に気候に慣れるのに時間がかかったためで、生来の虚弱ではない。
王都に帰ったのは、戦争の兆しが濃厚となって父親が呼び戻した。本人がブレずに軍人まっしぐらなのが分かり、わりと早く家族仲も落ち着いた。
ジャックが女性なのはなんとなく察していた。指輪が入らなくなって、やっぱりそうかという感じ。むしろ同性愛でなくてほっとした。ジャックへの感情はほとんど摺り込みに近い。
ジャックの訃報を聞いて、一瞬ミドルウッドに攻め入りかけた。遺体を見るまで死を信じるつもりはなく、ミドルウッド首相とは定期的に情報交換している。
アルカサルに赴任したのは、いい加減どこかの職に就けと言われ、国境に近い空きポストがここだけだった。ほとんど運。
《金獅子》の異名を持つが、どちらかというと犬属性。頭のいい脳筋なので立ち回りは上手いが、女心を読めないので詰めが甘い。
このあとマザーとバトるが、連戦連敗が続く。
ジャック・ブラックバード(シスター・サラ):26才、女。黒髪、うすい青の瞳。
ミドルウッドでは背の高いほうだが、ウェストフレアでは普通~やや華奢な部類。代々王家に仕えてきた影の一族のため、幼少から文武とも鍛えられてきた。
貴族院の反乱は気づいていたが抑えきれず、関係者を亡命させるだけで精いっぱいだった。亡命先は西国と見せかけて南国。両親はこのとき国王夫妻の身代わりとなった。
ジルと出会ったのは、一族の隠れ里。最初は情報収集のつもりで近づいたが、予想外になつかれて面倒を見るようになった。あげた指輪は一族の長の証で、後で叔父(養父)にこっぴどく叱られた。《月の民》の存在は革命完遂後に再び消す予定だったので、有名になってしまった紋章の指輪がなくても継承に問題はない。
隠れ里に移ってからずっと男装している。最初は里を守るだけだったが、女子どもや老人が狙われてブチ切れた。〝ジャック・ブラックバード〟は兄との二人体制だったが、根回しのために兄が各国を飛び回るようになり、一人で戦線に立つようになった。人を殺すのは嫌いだが、躊躇いはしない。
国王を復位させて立憲君主制を目指していたため、〝ジャック・ブラックバード〟は英雄になりすぎないよう情報統制されていた。村の惨殺もそのひとつで、ジャックの死後、あまり時間を空けずに彼らを国に戻して真実を明かす予定だったが、ジャックが凶弾に倒れて生死不明となり、情報開示できなくなってしまった。後で事情を知らされた折衝役の兄は、村人から帰国をせっつかれて胃を痛くしている(シスターは知らない)。
ミドルウッドへ無事を報告しないのは、政治に関わるのに疲れたため。当初の予定では、首相の養女として軽く社交界デビューして結婚して田舎に逃げる(兼、隠れ里の復興を担う)つもりだった。生存を黙っていて叔父と兄の怒りが怖いので、正式な修道女になれば、ミドルウッドに戻らずにジルの傍にいられるのではと期待している。
ジャクリーンが本名。シスター生活は戒律が多いので不便を感じるが、集団生活には慣れているので、わりと早く馴染んだ。最近では気が緩んで、つい指揮を執ってしまう。修道院の農園はほぼ仕切った。黒い服に縁があるなーとのんきに思っている。あまり自分の影響力を分かっていない。
ジルへの恋心は自覚しているが、お互いの立場上叶わないと思い込んでいる。思い込みすぎて、ちょっとこじれた。城砦都市の長官を務めるジルを助けられるよう、シスターで暗躍しようとわりと本気で考えている。
副官:27才、男。灰味の強いブロンド、茶色の瞳。細マッチョ。
結構出番があるのに最後まで名前の出なかった不憫な人。職位は少佐。子爵の次男のため、権力とは無縁。
幼い頃は神童と言われ、わりと出来る方だと自負していたが、ジルの存在を知って負けたと思った。が、今では、ちょっと違うなと思いはじめている。
王都で粘着質な貴族とやりあい、地方へ飛ばされた。鬱屈としていたところへジルがやってきたので張り切ってみたが、別の意味で疲れた。だめだ、こいつ。ライオンの雄が狩りが下手って本当なんだなと、しみじみ思った。
シスターの誓願には二段階あり、終生誓願の前であれば還俗できるというのは知っているが、ジルが気づくまで黙っていようと考えている。結構腹黒。高スペックだが詰めの甘い脳筋と、腹黒なくせに気が利いてしまう苦労性とで、よい主従コンビ。
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「――ようやく、か」
ワタリガラスが運んで来た密偵からの文を広げ、彼の頬に、数年ぶりの本物の微笑が刻まれた。傍らの青年が続いてそれを読み、ほうと大きな息をつく。
「さすがに《金獅子》の嗅覚は確かですね。あれに関しては……怖いほどです」
「引きが強いのだろうよ。運を引き寄せるのもまた、才覚さ」
よほど気分が高揚しているのか、彼はくっと喉の奥で嗤った。
「まあ、引き寄せる力の強さに注目されていることを、本人が自覚していないのが玉に瑕だがね。彼は良い仕事をしてくれた。が……こちらも急ぐぞ。既成事実を作られる前に取り戻さねば」
「当然です。しかし、あれが素直に頷きますか?」
「なに。釣る餌はいくらでもあるさ」
不穏な台詞を口にする男の目が、好戦的に輝く。主君から『肚の底が見当たらぬ』と評される男が、再び革命時と同じ輝きを宿したことに、青年は苦笑しつつも心が躍るのを感じた。
これから隣国の神の館に乗り込んで――――神の妻を奪うのだ。
どこからか入り込んだ黒い羽根がひとつ、風に舞って二人の間をすり抜け、空へと消えた。
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