12『運命』は、退路をふさがれる
ヘンルートゥ伯爵家に妻としてやってきた日から、一週間が経った。
静養先から帰ってくると聞いていた旦那様の両親もまだ帰ってきていない。
まずは屋敷に慣れるのが先決だと言ってもらったこともあり、少しのんびりと過ごさせてもらっている。
とは言っても、常に何かをしていたい性分ということもあり、屋敷の人たちからするといつも私は動いているように見えるらしいけれど。
「アーネ、私がやるから! そこで休んでてちょうだい。あ、ミナーもそんな重いものを持っちゃ駄目よ。置いておいて。あっ! ジリル、脚立に上らないで!!」
日課となりつつある侍女三人のお手伝いをしながら、私は叫んだ。
「ですが、これくらい」
「そうそう。また腰を悪くしても、そのうち治りますし」
「そう言って、ミナーはすぐぎっくり腰になっているじゃない。重いものは私に任せてちょうだいな」
「ジリルも駄目だよ!」
最年長のアーネ、腰痛持ちのミナー、世話焼きのジリルが顔を見合わせ、やれやれという視線を私に向ける。
「奥様、そうは言っても私たちは侍女なのですよ。屋敷を少しでも快適に過ごせるようにするのは、私たちの役目です」
「それでも心配で、私の方が落ち着かないんだもの! とにかくここは全部私がやるから、高いところや重たいものは禁止よ。三人は低いところの掃除をお願い」
そう言うと、三人とも不満げな顔をする。
けれど、ここで私も引くわけにはいかない。
手伝いをした初日、ジリルが脚立から落ちそうになり、慌てたミナーが腰を痛め、かけつけようとしたアーネが転んだのだ。
その時に悟ったのよ。高いところ、滑りやすいところ、重たいものはNGだって。
見つめ合い、無言の攻防戦をしていると、旦那様がやって来た。
「どうしたんだい?」
「旦那様! 聞いてくださいよ。アーネとミナーとジリルにですね──」
と、さっきのことを話せば、旦那様は眉を下げた。
「アーネ、ミナー、ジリル。頼むから、ヴォレッカの言うことを聞いてくれ」
やはり旦那様も三人のことを心配していたらしい。
「それとヴォレッカ、すまない。あなたに迷惑をかけて」
「何を言ってるんですか、旦那様。元々家事はやっていましたし、まったく苦ではありませんよ。それに、何もしない時間が苦手なので、やることがあって助かります」
「そう言ってもらえると、助かるよ。あ、別に家事ができるからって、ヴォレッカに結婚を申し込んだわけじゃないから」
「分かってますって。まぁ、結婚を申し込んだと言っても、精神的に逃げ道を塞がれてましたけどね」
「え? 無理矢理は良くないと思って、私の有用性をアピールしたつもりだったのだが……」
「……あれ、有用性のアピールだったんですか? 脅されてるのかと思いましたよ」
私の言葉に、目を見開いて旦那様は固まった。
「旦那様って、時々驚くほどコミュニケーションが苦手になりますよね」
「うっ……ヴォレッカが今日も手厳しい。だが、それもヴォレッカの魅力か。なぁ、やはり私のことはライラクスと呼んでくれないだろうか」
「お断りします」
さらりと旦那様の言葉を流し、ジリルが使おうとしていた脚立に登って窓ふきをする。
「私も手伝おう」
「お忙しいのでしょう? 書類のお手伝いもできたら良かったんですけどね。そちらは、からきしでして」
「だが、少しずつジーシから学んでいるのだろう?」
「…………いちおう女主人になったので、屋敷内のことはできるようになりたいなと。役目は果たさないとですから」
「そんなに気負うことはない。ヴォレッカは屋敷にいてくれれば、いいんだ。無理だけはしないように」
まぁ、私の役目のメインが女避けなのだから、そうだろう。
窓をふく手を一度止め、旦那様の方を振り返りお礼を言えば、護衛のキシスが少し急いだようにこっちへと来た。
「ライラクス様、先代とご夫人がお帰りになりました」
「分かった。出迎えに向かう。ヴォレッカ、一緒に来てもらえるだろうか?」
「もちろんです」
急いで脚立から降りようとしたところをふわりと降ろされる。
「……自分で降りられます」
「知ってるけど、私が降ろしたかっただけだ。ほら、行こう」
差し出された手を、迷った末に握る。
ご両親の前では、仲の良い夫婦として振る舞うと決めていた。安心してもらうために、できる限りの協力はしたい。
「父上、母上、おかえりなさい」
「ただいま、ライラクス」
「元気そうね」
玄関ホールでは、美男美女が微笑んでいる。
なるほど。このお二人のいいとこ取りをした結果、旦那様という美丈夫が誕生したのか……。
「ねぇ、そちらのお嬢さんがヴォレッカさんよね? 早く紹介してちょうだい」
待ちきれないと言わんばかりに夫人が旦那様を急かす。
「落ち着きなさい。そんなに、はしゃぐと、あとで疲れが出るよ」
「だって、嬉しいじゃない」
「母上、そんなに急がなくても逃げないよ。ね、ヴォレッカ?」
その言い方は何だろう。退路をふさがれているような?
だけど、今はそこを気にしている場合ではない。
「はい。お義父様、お義母様、お初にお目にかかります。ヴォレッカと申します。まだまだ未熟な身ではありますが、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げれば、私の頭を大きな手がなでる。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だよ」
「旦那様……」
その手を離してくれませんか? という言葉がのどまで出かかったが、どうにかのみ込む。
「そうだよ、ヴォレッカさん。家族になったのだから、気楽に話してもらえると嬉しい」
「そうね。ライラクスと結婚してくれたというので、もう十分過ぎるもの。ありがとう、ヴォレッカさん」
旦那様のご両親は、にこにこと微笑んだ。
お義母様の目には、うっすらと涙の膜が張っている。
どれだけ旦那様を心配していたのか、その表情からも伝わってくる。
「どうか、ヴォレッカと呼んでください」
「まぁ! 嬉しいわ。ねぇ、ヴォレッカ。私、娘とお茶したり、お買い物をするのが夢だったのよ。今度、一緒にお買い物に行ってくれないかしら?」
「お誘いは嬉しいのですが、その……お義母様は体調は大丈夫なのですか?」
「えぇ。ライラクスから結婚が決まったと手紙が届いた日から、以前より調子がいいの。お買い物、駄目かしら?」
うかがうように私を見るお義母様は、自分の親と同じ年代のはずなのに、その姿を可憐だな……と、思うほどに魅力的だ。
「喜んで、行かせてもらいます」
そう言えば、お義母様は花がほころぶように笑った。
私自身、びっくりなんですけど、まだ短編版の半分あたりまで辿り着いてないのですよ。
やはり、曖昧にぼかして書いてた箇所を書くと、長くなりますね。
引き続き、お付き合いいただけますと嬉しいです。