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28.嘘を付く時の癖

 


 ティナとアリスティドが調査を終えた日の翌日の夜のことだった。

 アリスティドは、溜まった公務をこなすため、一日中外出をしていて、彼と顔を合わせることが無かった。


 ぼんやりと、満ちる一歩前の月を見上げる。


(調査の時に深く突っ込まれなかったのが不幸中の幸いだけど、アリスが私の元婚約者なのであれば、私の正体はとっくの昔にバレている)


 ティナは自分の仕事用のバッグを胸に抱えていた。妙に軽いそのバッグの中身は――――空っぽなのである。

『仕事道具』なんて、このバッグの中には入っていない。


(アリスティドがミラージュの可能性がある限り)


 ティナは自分の手のひらを見つめる。


(一度距離を置いた方が良いに決まっているのに)


 窓を開けて、バルコニーに出る。もうすぐ初夏だというのに夜風は少し肌寒かった。

 ティナがしばらく風に吹かれていた時だった。

 外に、人影が見えた。


(アリスだ)


 庭園をゆっくり歩いているのは、アリスティドだった。いつものように真っ黒な外套を羽織っているため、そのまま夜に溶けてしまいそうだ。

 月の光を浴びた彼の表情は、綺麗だけれども、ティナは左胸がちくりと痛んだ。


(この人、ときどき凄く寂しそうな顔をするのよね)


 迷子になっていたエリーナに似ている表情だ。頼るものを失ってしまった子どものような幼さすら感じる。


(まるで、亡くしたものをずっと探しているような)


 ぼんやりと、アリスティドを眺める。一級の芸術品のような立ち姿の彼はいくら見つめていたとしても飽きない。


(他人が何を考えているかなんて、簡単にわかるのに、アリスティドのことは全然わからない。結局、アリスティドの噂も分からないままだし……)


 ぼんやりと思い返すのは、数日前のジャックとの会話である。

 ティナは、少し前にジャックにアリスティドの調査をお願いしていた。調査と言っても、街での聞き込みだけではあるが。


『やっぱり、王太子は兄殺しの悪逆非道だという話しかなかったですね』

『そうよね……』


 数日前、ティナがいつものように庭園で銃を扱っていた時だった。ジャックがカイルの目を忍んで、わざわざ一人で報告に来てくれたのだ。


『今まで、私が聞いていた噂と大体同じね』

『でも、お嬢様がアウレリア王国に来る前の評判は違ったみたいですよ』

『違う、というと?』


 ティナは、ジャックの話の続きを待った。


『兄に懐く甘えん坊の弟。可愛らしい王子様だと国民から人気だったみたいです。それが今じゃあ、アレですよ!?』


 ジャックは、信じられない顔をして目を見開きながら声を上げた。確かに、今は可愛らしさの欠片もないなとは思う。

 はあ、と溜息をつくジャックを見ながら、ティナは問いかける。


『ジャックはさ、アリスが本当にお兄さんを殺したと思う?』

『……それは』


 ジャックは困ったように、顔を顰め、『わかりません』と顔を背けてそう言った。


『私も、わからないわ。でもね、アリスティドは悪人ではないと、そう思うんだけど』

『あんまり肩入れしすぎるのも良くないですよ』

『そうね。わかってる』


(アリスティドを疑っている自分と、信じたい自分が二人に分裂したみたいだわ。私らしくもない)


 ティナは、一度口を開きかけて、閉じた。本当に最悪なことだが、アリスティドと話したいと、そう思ってしまったのだ。


(今、彼と接触するには危険なのに……)


 ティナは、バルコニーから寂しそうな背中に向かって叫んだ。


「アリス、何してるの!」

「……?」


 無防備な表情で、アリスティドは振り返った。


「……君か」


 ティナに気が付くと、目を見開き、パッと顔を明るくした。先ほどの寂しそうな表情が嘘のようだった。

 彼は、笑顔のままひらひらと手を振る。


(アリスティドって憎たらしくて仕方ないけど、なんだかこうやって見ると大型犬みたいというか、ちょっと可愛いのよね)


 そんなことを思っていると、ぶわりと下から風が巻き上がった。ティナが思わずバルコニーから数歩下がる。


「……来ちゃった」


 たんっ、と軽い足取りでバルコニーに降り立った。黒いロングコートが、まるで悪魔の羽のように広がる。


「……夜中に淑女の寝室に来るなんて」

「俺は、最低最悪極悪王太子らしいからな」


 そう言った彼は、バルコニーの手すりにもたれ掛かるように背中を預けた。ティナは手すりに頬杖をついているため、視線は交わらない。

 アリスティドの声が、ティナの耳に優しく届く。


「こんな深夜なのに話したくなってしまったな。君は人を引き付ける不思議な力があるらしい」

「そんなの、いつも計算してやってるだけよ」

「そんな悲しいこと言うなよ」


 溜息を吐く音が聞こえる。ティナは、ぼんやりと空を見上げたまま言った。


「アリスティドって優しいのね、意外と」

「意外とは余計だ」

「そうね、間違えたわ」


 ティナはくるりと振り向いて、その男の顔を覗き込んだ。


「あなたは優しすぎる。酒場で私たちを襲ってきた男たちも殺さなかったでしょう?」

「……拷問にかけるためだ」


 先日、アリスティドがボコボコにした男たちも、殺すことなく離宮の地下牢に入れているらしい。

 苦々しい顔でそっぽを向いたアリスティドは、それ以上踏み込むなというように静かに息を吐いた。

 そして、自身の耳元のピアスを触った。


「俺は、兄貴を殺した男だぞ。兄貴だけじゃない。沢山の人間を殺してる。俺に変な幻想を抱くのはやめてくれ」


(……まただ)


 ティナは、ぐっと唇を噛む。

 そうして、確信した。


(この人の耳を触るくせは、きっと――――嘘を付く時のものだ)


 アリスティドは、度々自身のピアスを落ち着かない様子でいじるのだ。それは、決まって彼が悪事をひけらかす時である。


(そうだ。それが、私が混乱する原因だったんだわ。アリスティドは、自分をあえて悪人に見せている。……本当はそんなことは無いのに)


 アリスティドに対する混乱が、するすると解けていくようだった。


「……私だって、沢山の人間を詐欺に引っかけてるわよ」

「犯罪で稼いだような汚い金を、ただ巻き上げただけだろ。そいつらも自業自得だ。しかも、その金は孤児院に寄付してる」

「関係ないわ、そんなこと」


 ティナは、まっすぐとアリスティドを見上げる。アリスティドの瞳もまた、真摯にティナのことを見つめ返していた。


(きっと、アリスティドはミラージュなんかじゃない。お兄さんを殺したっていうのも嘘だわ。それなら、なんで)


「アリスは、アウレリア王国の未来のことを考えてる――――だから」


 だから、なんでわざわざ自らが『悪人』だなんて吹聴して回っているの? そう聞こうとした時、ティナの両肩が、唐突にがしっと掴まれる。

 目の前の男の表情は、有無を言わさないものだ。


「俺のことをそんなに褒めて、口説いてるつもり?」

「……そうやって、すぐ茶化す」

「あんまり俺にベタベタしてると、忠犬ワンワンがキレるんじゃないのか」


 アリスティドは、話題を変えるようにそう言って笑った。


 触れられたくないところに触れるのは、良くないことだと分かっていたけれど。

 それでも、ティナは言葉を紡ぐことをやめられない。


「ねえ、アリス。貴方は、どうして自分のことを『悪人』だなんて――――」


 その瞬間、アリスティドの胸にグッと引き寄せられる。そのまま背中に手を回されて、肺が押しつぶされるほど抱きしめられた。

 余りの強さに、ティナは咳き込みそうになってしまう。


「そんなに俺に興味を持ってくれるのは嬉しいけど……これ以上は、本当に離してあげられなくなっちゃうな――――……いいの?」

「…………っ」


 ティナは、ぞっと背中に寒気が走った。とても優しい、甘く蕩けるような声なのに、その中には確実に暗い感情が混じっている。メープルシロップのようなどろどろに甘い毒を飲み干している気分だった。


「……なんてな」


 パッと手を離され、ティナの体は解放される。へらりと笑みを浮かべながら、アリスティドは続けた。


「君は頭がいい。結婚詐欺なんて、回りくどいことで金を稼いでいるのも理由があるんだろ? てことは、俺に協力しているのも何かわけがあるってことか?」

「…………それは」

「ははっ、別に答えなくていい」


(私の言いたかったことを先回りされてしまったみたい……)


 本当はティナがアリスティドを問い詰めるはずだったのに、逆にティナの秘密が暴かれようとしている。

 ティナが次の言葉を探していると、アリスティドはバルコニーの手すりに器用に飛び乗った。


「ま、いつかは自由にしてあげるから。そこまでは付き合ってよね、可愛い可愛い婚約者」


 アリスティドは、「また、明日」と口パクで伝えると、いつものように掴みどころのない笑顔を浮かべて、闇に溶けるようにバルコニーから飛び降りていった。




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