29.話し合いという名のお茶会
カイルが離宮の客間にやってきたのは、アリスティドから指示された2日後の夜だった。アリスティドの示した期限はきっちり守られている。
「カイルさん、資料これです」
「ありがとう」
後ろに控えているジャックは、テキパキとバッグから資料を取り出している。およそ1か月で、彼は完全にカイルの付き人になってしまった。
(ちょっと寂しい気もするけど、ジャックも私以外との繋がりを持った方が良いのよね)
ティナと一緒にいるだけでは、結婚詐欺の手伝いをすることでしか金を稼ぐ方法が分からない。万が一、ティナに何かがあった時、彼はどうすることもできないと、ずっと気がかりではあったのだ。
(そう思えば、アリスティドに攫われたのも良かったことなのかしら……)
そう考えて、ティナはブンブンと頭を振った。ティナはアリスティドのせいで、すでに数回死にかけている。
「……はいはい、無茶なお二人さん。まず、これが報告資料ね。結論から言うと、分かったことは店の位置だけ」
「ごめんね」と言って、舌を出すカイルだったが、アリスティドは資料を見ながら感嘆の息を漏らした。
「位置まで分かるとは思っていなかった。もう、お前がダイエ伯爵家を継げばいいのに」
「もう、アリスったらそんなこと言っちゃって」
カイルは、少し機嫌が良くなって声を弾ませた。しかし、その直後少しだけ顔を曇らせる。
「俺はあくまで次男。それに研究所だって楽しいから問題ないの」
(……でも、アウレリアって長男が必ずしも家督を継ぐわけじゃないわよね?)
優秀であれば、平民であっても養子にして家督を継がせるような文化の国である。年功序列で家を継ぐ、なんて考えがあるわけがない。
(まあ、カイルの性格的に、伸び伸びした研究生活の方が良いのかしらね)
カイルはしっかり者ではあるが、アリスティド以上に他者に縛られたくない自由人な気質を感じる。婚約者なんてできた日には、息苦しくて一日で婚約破棄しても驚かないかもしれない。
まあ、彼であれば婚約破棄をしたとしても引く手あまただろうが。
(流石に失礼なことを考えすぎたかしら)
そんなことを頭の片隅で思いながら、ティナは、カイルから地図を受け取るとじっとそれを眺める。
(店の場所は富裕街12区の路地裏ね。私の行きつけの高級料理店とは反対の画地に当たる……。富裕層向けの娼館やバーが多くて、富裕街にしては、治安は良いと言えない地域ね)
結婚詐欺をしているティナですら、全く近寄ったことがない。それくらい、王都の人間はあまり近づきたがらない所である。
「店の中身までは分からなかった。まあ、誘拐事件が絡んでいるから、奴隷市場になっている可能性もあるけど、さすがに国内の人間を奴隷として売ることはないだろうし……」
「中には入れなかったのか?」
ミルクティーにキャニスターの砂糖をひっくり返すように入れたあと、棒つきキャンディーで混ぜながら、アリスティドはカイルを見遣った。
「中に入れないどころか、店の前までたどり着いてないんだよ。私有地だと言われて、通してもらえなかったらしい」
「厳しいな」
「しかも、そのせいで警戒されて、警備が増えたっぽい。元々見張り2人だったのが、倍になっちゃった」
「ま、仕方ないか」
からん、とキャンディーがティーカップに触れる音がする。キャンディーが溶け切ったようで、棒だけソーサーに取りだすと、アリスティドは長い溜息をついた。
「俺らが頑張ればいいだけの話だろ、な、可愛い結婚詐欺師様」
「まあ、それはいいんだけど」
柔らかく嘘くさい笑顔を浮かべる男をよそ目に、ティナはコーヒーを啜った。
先ほどから、ずっとアリスティドのキャンディー入り殺人級ミルクティーを見ていると胸やけが止まらないのだ。
砂糖を溶かし込んだミルクティーにさらにキャンディーを溶かすなんて、頭がおかしいと言われても仕方ない。
(この人の味覚、というか、もはや健康が心配になってくるレベルだわ。乗り込む前に死んでもらったら困るんだけど)
警備がただでさえ増えて、緊張感が増しているのというのに、『砂糖の摂りすぎで病気になりました』なんて言われた日には、恨んでも恨み切れない。
アリスティドがティーカップを持ち上げようとした瞬間、ティナは先手を打った。
「はい。このミルクティー、終わり」
ティナは、アリスティドのティーカップに手をかざした。闇色の目がじっとティナのことを恨めしそうに見つめてくる。
「どうして?」
「味覚がおかしすぎる。依存症でしょう、もはや」
「……それがどうした」
「貴方に死んでもらったら困る、それだけよ」
そう言ったティナは、アリスティドの前のミルクティーを取り上げると、グッと飲み干した。もはや紅茶の味が消え去ってしまったそれは、甘いだけの液体となってティナの喉を流れていく。
(最悪な味だわ)
げっそりした顔のまま、ティナは口直しにコーヒーを一口飲んで言う。
「砂糖は高級品だからあまり知られてないけど、取り過ぎは血圧の上昇を引きおこして病気になっちゃうリスクが高くなるの」
「良く知ってるな」
「当然でしょう。私が、王宮に来て何冊本を読んだと思ってるの」
ティナは、王宮にやってきてから、1か月で300冊以上の本は読んでいる。さすがに舐めてもらっては困るのだ。
「はは、君、海軍国家なんかに生まれたのが間違いだ。その勉強熱心さは、アウレリア王国で輝くな。――――本当に、王妃にでもなってみる?」
うっとりと、頬杖をついてティナを見上げるように見つめてくる。
「悪いけど。私、権力には興味ないの」
「へぇ?」
興味深そうに見開かれた双眸は、ティナのことを値踏みしているかのようにも見える。けれども、それもきっとはったりなのだ。
(悪人ぶって、甘い言葉を吐いて。そうやって、いつまで自分の本心を隠すつもり?)
もうアリスティドには、惑わされないとティナは決意する。ぐっとクレープタイを引き寄せて、挑発するように言う。
「昨晩の答えを教えてあげる。王妃の座も、お金も興味は無い。私が貴方に協力するのは、私にも目的があるからよ」
「……お嬢様」
心配そうなジャックの声がぽつりと落とされる。けれど、ティナはもう目の前の婚約者には負けないと決めたのだ。
「私は私の見たものだけを信じるし、私の協力したいものにだけ協力する。いくら貴方がどんな行動をとってもね」
「…………!」
アリスティドは息をするのを忘れているかのように、じっとティナのことだけを見つめている。
「ふっ、俺を脅すなんて、やっぱり君は最高の婚約者だな」
そう言いながら、アリスティドは少しだけ嬉しそうに目を伏せるのだった。




